第4話 大切な相談があります2

「恋愛の……話……?」


 膝から力が抜け、俺は床に倒れこんだ。


「奏くん!?」

「く、来るときが……来た……」

「なに予言者みたいなことつぶやいてるの? 来るときってなに?」

「風璃に悪い虫が引っついた……」

「は? なにそれ、引っつくって――」


 風璃はなにかに気がついた顔をした。


「違う違う! 恋愛の話って、そういうのじゃないから!」


 俺は床に頬をつけたまま風璃を見あげた。


「違うのか……?」

「友だちの話」

「友だちの……話……」


 俺は顔をあげた。


「な、な~んだ、そうか! 友だちの話な!」


 起きあがり、ソファに腰かける。


「びっくりして胃がめくれかえるかと思った」

「どんな身体してるの」


 風璃が呆れたように言う。


「それに、まだ高校に入って十日くらいしかたってないんだよ? そんなに早く彼氏ができるわけないでしょ」

「そんなことないだろ。風璃、すごいきれいだし」


 風璃は切れ長の目を大きく見開いた。


「風璃が都会の高校に入学するなんて、腹を空かせた虫の住処に蜜たっぷりの花を入れるようなもんだろ。俺は心配で心配で――ってなんで顔隠してるんだ?」


 風璃は手で顔を覆っていた。


「やめてよ」

「す、すまん。クラスメイトを虫呼ばわりはよくないな」

「そっちもそうだけど」

「……?」

「もういい」


 と、ぱたぱた顔をあおぐ。


「どうした? 暑いのか? ジュース飲むか?」

「いい。――それより相談していい?」

「ああ、もちろん」


 俺は居住まいを正す。風璃はこほんとせき払いしてから話しはじめた。


「これはなんだけど」


 さっきも言ったのに念を押す。


「その娘、好きな男のひとがいるの。年上で、すごく、その……距離が近い」

「距離が近い、というのは、近所っていうことか?」

「近所というかもう、ほぼ同居レベルと考えて」

「同居レベルの近所……?」


 ゲームみたいにバグって家と家が重なっている光景が脳裏に浮かぶ。


「細かいことはいいでしょ。――それでね、その娘、遠回しにアピールしてるんだけど、男のひとは全然気づかなくて」

「朴念仁なんだな」

「ほんとそれ!」


 急に声のボリュームが上がって俺はびくりとなった。


「あ、ごめん。――どうやらその男のひと、友だちのことを妹的な存在としてしか見てないみたいなの」

「ああ……」


 よく聞く話だ。


 風璃が俺のことを上目遣いで見た。


「で、どうかな。どうやったら振り向かせられると思う?」

「妹としてしか見てないなら無理じゃない?」


 俺は率直に感想を言った。


「だって、恋愛対象として――って、な、なんだその顔……?」


 目は虚ろ、口はぽかんと開いており、そこから魂が出ていきそうな顔だった。


「無理、なの……?」


 蚊の羽音みたいな小さな声でささやくように言う。


 しまった。せっかく期待してくれたのに突き放すようなことを言ってしまった。


「い、いや、無理というか、ええと……。そうだ、同居みたいな感じなら、もっとスキンシップっぽいことをしてみるとか……」

「けっこう頑張ったよ――って聞いてるけど」

「スキンシップでダメって、もう単純に好みじゃないとか――、ってどうした風璃!?」


 風璃がテーブルに突っ伏して動かなくなっていた。つやつやの黒髪が扇のように広がってとても美しい――とか言っている場合ではない。


「風璃。風璃!」


 肩を揺する。彼女は震える腕で身体を支えてなんとか起きあがり、俺に尋ねた。


「好みじゃないの……?」

「俺に聞かれても……」

「じゃあもう、全然脈はないってこと?」

「気になったんだけどさ。さっき『遠回しにアピールしてる』って言ってたけど」

「うん」

「ストレートにアピールすればいいんじゃないの?」


 その瞬間、風璃はドン! テーブルを叩いた。俺は驚きのあまり飛びあがった。


「した! したけど気づかないの!」

「す、すいません……」


 俺は丁寧語で謝った。


 風璃ははっと息を飲む。


「――って聞いてるけど」

「感情移入度高すぎない?」

「その娘は一見気が強そうに見えるけど、本当はシャイで奥手なの」

「それじゃあ難しいか……」


 クールな風璃がむきになるなんて、よっぽどその友だちを大事にしているということだろうか。なんとか力になってやりたいが……。


 風璃は頭を抱え、深いため息をついた。顔には失意の色が浮かんでいる。


「ありがとう、もういい」


 そう言い残して立ち去ろうとした彼女の背中に俺は、


「待って」


 と声をかけた。風璃は疲れたような顔で振りかえる。


「なに? いいアイデアを思いついたの?」

「いや、違う。魔法みたいに相手を振り向かせるアイデアなんてない」

「そう。じゃあ、いい」


 隣の部屋に行こうとする風璃を「まあ聞いてくれ」と制止する。


「ひとの感情に近道はない。そう思わないか?」

「……」

「親友になろうと頼まれて、イエスと返事をすれば、そいつと親友になれると思うか?」

「……なれない」

「だろ? 会話したり、一緒に遊んだり、喧嘩したり、苦しいときを共に乗り越えたり……。そうしているうちに想いが積み重なって、ようやく親友と呼べる関係になる。恋愛も同じだと思わないか?」

「……うん」

「その娘も奥手なりに頑張ってアピールをつづけていくべきだと思う。妹みたいに思われてるならそれを最大限に利用して、一緒に過ごす時間を増やしてさ。そうやって少しずつ少しずつ関係を深めていけばきっと――」


 俺は風璃に微笑みかけた。


「親愛の情が恋愛感情に変わることはあると思うよ」

「っ!」


 風璃はシャツの胸元をぎゅっとつかみ、こくりと頷いた。


「うん。頑張る――」


 はっとして付け足す。


「ように言っておく」

「おう。その友だちによろしくな」

「ありがとう、奏くん」


 はにかむように笑って、隣の部屋に引っこんだ。


 ――か、かわええ……。


 ふだんクールなぶん、ちょっとした笑顔でも破壊力がすごい。


 ――恋愛かあ……。


 俺はソファにごろんと横になった。


 いつか風璃も『いいひと』を連れてくるだろう。古い頑固親父みたいに「うちの妹はやらん!」なんて突っぱねるなんてことをするつもりはない。だって風璃が惚れた男だ、絶対にいい奴に決まってる。念のため興信所に身辺調査を依頼するくらいで大丈夫だろう。


 ――ウエディングドレスの風璃、きれいだろうな……。


 俺の頭のなかに、まるで映画のような映像が再生される。


 披露宴の会場。純白のドレスに身を包み、嬉しそうに微笑む風璃。その笑顔を向けた先――隣に座る新郎にカメラが移る。


 その顔は、なぜか俺の顔だった。


 ――バカか……!


 俺は妄想を打ちきった。


 風璃は妹、守るべき存在だ。兄である俺がどうこうしていいわけがない。それに――。


 ――風璃には『家族』が必要なんだ。


 心を許せる、帰る場所である家族が。


 兄である俺は、それにならなければならない。


「よしっ」


 反動をつけて起きあがった。


 ――家族の基本は、やっぱりだよな。


 俺は先日から始めた料理の勉強を進めるべくキッチンへ向かった。

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