第5話 見る目がある
土曜日。今日は風璃とふたりで日用品の買い出しに行く。
風璃の引っ越しの荷物は驚くほど少なかった。一番大きかったのは衣装ケース。つぎにちゃぶ台。それ以外は段ボールがふたつ。中身は衣類と勉強道具、それとコスメ関係。以上である。
実家の部屋にはぬいぐるみやクローゼットなどもあったはずで、よくわからないがそういうのって年頃の女の子にとってはそこそこ重要だったりするものじゃないだろうか。高校生にして断捨離に目覚めてしまったのか。
尋ねてみると、風璃はこう答えた。
『奏くんの城をわたしが間借りするんだから、たくさん持ちこむのは悪いと思って』
――ええ子や……!
いま思い出しても新鮮に感動できる。
それから、ちょっと恥ずかしそうに彼女はつけたした。
『思い出は、これからふたりで増やしていけばいいじゃない?』
――うんうん、増やしてこう。俺たち兄妹ふたりで。
「なににやにやしてるの?」
横を歩く風璃が怪訝な顔で俺を見ていた。
「風璃が引っ越してきたとき荷物がどうして少ないのかを尋ねたら『奏くんの城をわたしが間借りするんだから、たくさん持ちこむのは悪いと思って』って答えたときのことを思い出して新鮮に感動してた」
「も、ものすごく詳細な説明ありがとう」
「『思い出は、これからふたりで増やしていけばいいじゃない?』って言ってたことも思いだしてた」
「わかったって、もう……」
むずがゆそうな顔をする。
風璃の今日のファッションは、袖がだぼっとしたタートルネックのセーターと、裾の広い断ち切りのデニム。意外とこういうかわいい感じのコーディネートが好きなようだ。
――ほんと、なにを着てもよく似合うなあ……。
背筋を伸ばして颯爽と歩く風璃を横目に見ながら、繁華街をホームセンターに向かって進んでいく。
道端で、待ちあわせをしていると思しき女性に満面の笑みで話しかける男いた。女性は迷惑そうな表情を浮かべている。
――ナンパか。
正直、ああいう積極性やバイタリティはちょっとうらやましいとは思う。俺ならまず話しかけることができないし、できたとしても拒絶されたら立ち直れない。それにしてもナンパをする男が高確率で色黒なのにはなにか理由があるのだろうか。
ナンパ師の横を通りすぎてから、風璃は低い声で言った。
「最低」
不快を隠さない表情。
「ああいう、誰でもいいから手当たりしだいみたいなの本当に嫌」
「ほんとそう」
ナンパ師を内心で尊敬していた俺はびくびくしながら答えた。
風璃は俺をまっすぐに見て言う。
「安心して。わたし、ああいうのちゃんと断るし。すごく
「あ、ああ」
風璃が変な男に引っかかるような子じゃないのはわかっている。しかし、まともな男とつきあうことになったとして、それはそれで兄としては寂しいものがあって手放しに喜べない。
世の兄たちはどうやってこういう気持ちに折りあいをつけているんだろう。それともこんな気持ちにならないんだろうか。
――なにを仮定でヘコんでるんだ、俺。
今日は風璃と久しぶりのお出かけだ。たっぷり楽しもう。
俺たちはひとまず調理器具を揃えるべくホームセンターへ向かった。
◇
「美人な妹さんですねえ」
調理器具売り場に案内してくれた、ひとのよさそうな女性従業員が言った。
「でしょ~?」
このホームセンターには初めてやってきたが、これからはここを
ごゆっくりどうぞ、と頭をさげて従業員は去っていく。
「いい店員さんだな」
と、風璃の顔を見る。彼女は腕を組み、不機嫌そうにそっぽを向いた。
「そうかもね」
――……?
機嫌を損ねるようなことはなにもなかったと思うが。それとも、実はかわいい系の服装を好む風璃は、きれいと言われるのが好きではないとか?
――大丈夫、俺は風璃のこと、ちゃんとかわいいと思ってるぞ?
かえってへそを曲げられてしまうかもしれないから、あえて言葉にはしないが。
「なにへらへらしてるの? ボウルとか買うんでしょ?」
「あ、うん」
俺は大中小のボウルやお玉、へらなどをカゴに放りこみ、会計へ向かった。
つぎに立ち寄ったのは大型スーパー。ここでは足りない食器類を購入するつもりだ。
「食器売り場は……。風璃、ちょっと店員さんに訊いてもらえるか?」
「うん」
風璃は雑貨にはたきをかけていた若い女性従業員に声をかけた。
「すいません」
「はい、いらっしゃいませ」
風璃は俺を指さした。
「わたしとあのひと、どういう関係に見えますか?」
――なに聞いてんの……?
俺は困惑した。しかし、尋ねられた店員さんのほうが俺なんかよりもずっと困惑していることだろう。
「え? ええと……。ご兄妹でしょうか……?」
おずおずと答える。すると風璃は真顔のままぷるぷると震えだした。
――なにそれどういう感情!?
俺は慌てた。しかし店員さんのほうが慌てていた。
「あ、違いましたか……!」
「……その続柄で合ってます」
――なにその言い回し……。
店員さんの顔にはハテナマークがいっぱい浮かんでいた。
風璃は会釈をしてもどってきた。
「わからないって」
「うん、俺も風璃がわからない。――食器売り場は?」
「あ、忘れてた」
――主目的忘れる……?
今度はちゃんと食器売り場の場所を尋ね、俺たちは目当ての品を買うことができた。
カフェで軽く昼食をとったあと、俺たちは食品売り場に移動した。
野菜のコーナーでほうれん草やブロッコリーを吟味する。これらの野菜は冷凍しておくと便利なのだ――と俺が参考にしている料理研究家のブログに書いてあった。
吟味とは言ったが、正直なところどこを見れば新鮮なものとそうでないものを見分けられるのかはわかっていない。俺はとりあえずしなびたり虫が食っていないものを適当にカゴに放りこんだ。
加工肉コーナーに行くと、売り子のおばさんがホットプレートでウインナーを焼いていた。周囲にはスパイシーかつ香ばしい香りが漂っている。
売り子さんは爪楊枝に刺したウインナーを俺に差しだした。
「はいお兄さん食べてってね~」
「ありがとうございます」
噛んでみると、パリッと弾けるように皮が割れて、なかから肉汁の旨みが流れだしてくる。噛みしめると粗挽き肉のしっかりと歯ごたえがあった。ついで香辛料の香りが鼻を抜けていく。
――うまっ……!
「これ、料理にも使えます?」
「野菜炒めとかスープ、カレー、シチュー、お鍋に入れてもおいしいですよ~」
「なるほど……!」
朝食としてはもちろん鉄板だし、ウインナーは意外と汎用性が高いかもしれない。
売り子さんは風璃にもウインナーを差しだした。
「はい、妹さんも食べてみてね~」
「……ぁぃ」
――声小っさ……!?
風璃は虚ろな表情でもそもそとウインナーをかじる。
「ぉぃ……し……す」
「ど、どうもね~」
メンタルの強そうな売り子さんも、風璃の尋常でない落ちこみように戸惑いの色を隠せない。
俺はウインナーの袋をカゴに入れた。
「会計してくるから、ちょっと待っててくれるか?」
風璃はついに声すら出さずにこくりと頷き、店の出口のほうへふらふらと歩いていった。
――大丈夫か……?
風邪でもひいて朦朧としているんだろうか。しかしせきやくしゃみをしているわけではないし、ホームセンターに行く前までは元気だった。こんな急速に症状って進むものなのか……?
俺は手早く会計を済ませてマイバッグに品物を詰めると、風璃が待っているであろう店の出口へ早歩きした。
店を出て、左右を見る。
――いた。
自販機の前に風璃――と、もうひとり、誰かがいた。
男だ。妙に甲高い声で笑う、ジャケットを着た色黒の男。
――出たなナンパ師……!
風璃は迷惑そうに顔をしかめている。
ナンパ師への尊敬の念は跡形もなく吹き飛んだ。俺は彼をにらみつけたままのしのしと歩み寄る。
近づく俺に気がつき、楽しそうだったナンパ師の表情がこわばった。俺は肩を怒らせ彼を見おろす。そしてできるかぎりの低い声で言った。
「連れになにか?」
「あ、いえ~。は、ははは」
ナンパ師はへこへこしながら、
「か、彼氏さんいたんですね~。いや、きれいな彼女さんでうらやまし~。お似合いのカップルっすね」
などと言いながら逃げていった。
俺はナンパ師の背中に舌打ちをしてから風璃に声をかけた。
「大丈夫か? 怖くなかっ――」
「え、なあに?」
風璃の顔はさきほどの般若のような表情と打って変わり、恵比寿のようなニコニコ――というニヨニヨした笑顔に変貌を遂げていた。
「表情の振れ幅すごいな!?」
「ええ? いつもこんな感じじゃない?」
「自分の顔忘れちゃったのか?」
俺は聞きたいことがあったのを思い出した。
「具合は悪くないか?」
「ん? 全然。むしろ絶好調だけど」
たしかに、体調の悪そうな顔ではない。しかしではあの落ちこんだ様子はなんだったんだろう。
「それにしても、うちの風璃をナンパとは図々しい野郎もいたもんだな」
「奏くん、あのひとを悪く言わないで」
「は?」
「あのひとはいいひとだよ」
「いやいや! でも風璃も嫌そうにしてただろ!? ナンパは最低って言ってたし!」
「言いすぎたと思ってる」
――ええ……?
表情だけでなく考え方も百八十度変わってしまったらしかった。
「あのひとは
風璃は腕を組み、こくこくと頷いた。
――なんなの……。
「なんだかんだ言って一回ナンパされてみたかったのか」
「は? そんなわけないでしょ」
「え、だって、いいひとだって……」
「それとこれとはべつ」
――どれとどれだよ……!
「さ、帰ろう? あ、ひとつ持ってあげる」
風璃は俺からマイバッグをひったくって、軽い足どりで歩きはじめた。
――わからん……!
乙女心はまるでスイスの時計だ。
「複雑すぎる」
俺は風璃の背中を追いかけた。
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