第3話 大切な相談があります1
「に、
社会心理学の講義が終わり教室をあとにしようとしたところ、斜め後ろの席から声がかかった。
「ああ、
声の主は
「どうした?」
「こ、この前――」
八紘は嬉しそうに言う。
「かっこよかった……!」
「なにが?」
「この前だよ。ほら、屋敷くんたちのグループに」
「ああ……」
教室の後ろにちらっと目をやる。
明るい髪とよく焼けた肌をした長身の男、彼が屋敷だ。そしてその周りにいる男女数名がいつもつるんでいるメンバー。いわゆるリア充とかパリピとか呼ばれる連中だ。
俺もつい一週間ほど前まではあのグループと行動を共にすることが多かった。まあ、彼らからしてみれば、いつも一番前で授業を受けている俺のような人間につばをつけておけば、試験や単位の面でなにかと便利だったんだろう。
ただ、べつに屋敷たちが嫌いなわけではなかったし、大学生活を満喫している様子はむしろ好ましく思っていた。
の、だが。
風璃とふたり暮らしを始めてから、俺は屋敷たちの誘いを断ることが多くなった。家に女子高生の妹をひとりにしておくわけにはいかないし、なにより俺が風璃との時間を大切にしたいから。
ある日、風璃との生活が順調であると母さんにメッセージをしたためていたとき、屋敷たちにカラオケに行かないかと誘われた。
「あ~、悪い。早く帰りたいから」
屋敷は不快そうに眉を歪めた。
「また妹に連絡してんの?」
「いや、これは母親」
「母親とLINEやってんのかよ……」
と、笑う。俺はなんで笑われたのかわからなくて、こう付け足した。
「父親ともするけど」
すると彼らは爆笑した。
「シスコンだけじゃなくて、マザコンでファザコンかよ!」「付き合い
などと口々に言う。
ここでようやく俺は、なぜ笑われたのか理解した。
だから俺も笑いながら言い返したのだ。
「俺がシスコンでマザコンでファザコンなら、お前らはフレンドコンプレックスだな」
と。
きつめのジョークにきつめのジョークで応えただけなのだが、彼ら、というか屋敷は俺の言葉が気に入らなかったらしく、それ以来、俺を無視するようになった。
八紘が興奮気味に言う。
「胸がすっとした……!」
「お前、あいつらになんかされたのか?」
「直接的にはなにも……。でも、真面目に講義を聴いてたら『真面目~』とか言って、バカにするみたいなことは言われた」
「ああ……」
たしかに、あいつらの言動には真剣に学ぶのがダサいという価値観が見えることがあった。
「楡野くんはすごいよ。僕なら仲間はずれにされるのが怖くて、あんなこと言えない」
「俺もべつに絶交しようと思ったわけじゃないけどな。まあ、ハブられても俺には――」
――かわいい妹がいるし。
思わずにやにやしてしまう。
「なに? もしかして……、彼女ができたとか?」
「いや、もっといいこと」
「え? じゃあまさか、結婚とか?」
「違う違う。そうじゃなくて、――妹とさ、住むことになったんだ」
八紘はぽかんと口を開けた。
「妹と……ふたり暮らし……?」
「そ、そうだけど……」
ドン引きされたのだろうか? 俺自身もほんのちょっぴりシスコンが過ぎるかもと考えたことはある。
「や、八紘、あのな――」
俺が言い訳を試みようとしたその瞬間、
「はああああああああああああああ!?」
八紘の大絶叫が教室に響いた。帰りかけていた学生たちが何事かとこちらに目を向けてくる。
「いも……、はあ!? い、いも、いも……はあ!?」
DJのスクラッチみたいなリズムでキレる八紘。
「な、なんだ、どうした、落ち着け」
「妹と同居なんて――」
「や、やっぱり引くか?」
「天国じゃん!」
――……ん?
「なんて?」
「天国! 妹と同居って、そんな……」
八紘ははっとしたように俺を見た。
「妹さんってまさか、JK?」
「JK? あ、女子高生のことか? そうだけど……」
「マジかよ!」
机に突っ伏し、どんどんと拳を打ちつける。
「妹さんってどんな娘?」
「見る?」
俺はスマホに風璃の写真を表示させ、彼のほうに向けた。
「中学生のころの写真なんだけど。いまはもうちょっと大人っぽくなってる」
写真を見ていた八紘の目がみるみる大きく見開かれていく。
「め、めちゃくちゃきれい……」
「そ、そう?」
なんて言いながら、兄のひいき目で見てもそのとおりだと思う。
八紘は机にバン! と手をつき立ちあがった。
「ふっざけんな!」
「も、もうちょっと机を大事にしようぜ……?」
「ラノベかよ!!」
「おい、キャラどうした」
八紘は我に返ったように息を飲んですとんと座った。
「ご、ごめん。ちょっと興奮した」
「だいぶん興奮してたけどな」
「フィクションのなかでしか聞いたことのないシチュエーションが身近で起こっていたことへの喜びと嫉妬だよ」
なんだかとても複雑な感情を抱いていたらしかった。
「お前、こんなキャラだったんだな。というか、こんなに長く話したのがそもそも初めてだし」
「いつもは楡野くん、すごく険しい顔をしてるから……その……」
八紘が申し訳なさそうに言う。俺は自分の顔を撫でた。
「あ~……、べつに怒ってるわけじゃないんだけどなあ……」
「でも今日は、なんか話しかけやすくて。――いいことでもあったの?」
「わかるう? 風璃――妹の名前なんだけどさ、俺のこと好きなんだって。でえへへ……!」
「うわあ、でれでれ」
八紘は苦笑した。
「それで表情が柔らかかったんだね」
「俺、意外と気さくなナイスガイだろ?」
「どっちかというと妹ラブの気のいい兄ちゃんって感じだけどね」
「けっこう言うね、お前」
ははっと笑いあって、俺は鞄を引っつかんだ。
「さて、じゃあ帰るかな」
「うん、じゃあね、楡野くん」
俺は足を止め、八紘に言った。
「楡野くん、ってやめないか? 奏太郎って呼んでくれよ」
「え? あ、うん。――そ、奏太郎、くん」
「それでいい」
「なんかラブコメのやりとりみたいだね」
「そうなの? なんかお前、そういうの詳しそうだからまた教えてくれよ」
俺は手を振って教室を出た。
八紘があんなに面白い奴だとは思わなかった。あいつなら風璃の話をシスコンなんて色眼鏡なしに聞いてくれそうだ。
高校のころもそうだったが、大学に入ると余計に『家族の話をするのはダサい』という風潮が強まったように感じていた。もう自立しろよ、という空気が濃くなるせいなのかもしれない。
そのため自重していたが、実は風璃のことを誰かに自慢したくてしかたなかったのだ、俺は。
――大学生活も楽しくなりそうだな。
俺は軽い足どりで風璃の待つアパートへ向かった。
◇
「おかえり、
家に帰ると風璃が声をかけてきた。
「ただいま!」
昨日までみたいにびくびくはしない。だって風璃は俺のことが好きなのだから。クールな応対はたんなる風璃の性質なのであり、俺を嫌っているわけではない。俺が周囲から怒っていると勘違いされるのと一緒なのだ。
――家に帰ったら妹が待ってるって最高だな……。
八紘じゃないが、まさに天国だ。
風璃は猫のような目をいぶかしげにした。
「なに? ひとのことをじっと見て」
「風璃の顔を見たら疲れが吹っ飛んだ」
「ひとをパワースポットみたいに言わないで」
表情も変えずに顔をそむける。
でもこれは怒っているわけではない。
「もしかして照れたのか~?」
「……は?」
風璃は顔をしかめた。
これは怒っている。調子に乗ったら怒られる。当たり前だ。
「あのさ、突っ立ってないで座ってくれる? 相談したいことがあるんだけど」
「あ、うん、相談――相談!?」
俺は風璃を二度見した。
「なに? なんでそんなに驚くの?」
「俺に、相談……?」
俺は感激のあまり泣きそうになった。
「俺を、頼りにしてくれるのか……?」
「ま、まあ、そうだけど」
「任せてくれ! なんだ? お金か? 大丈夫、貯金は少ないけど足りない分はなんとかするから! 腎臓って二個あるし!」
「怖い怖い怖い……。もっと自分の身体を大事にして」
「心配まで……。なんて優しいんだ……!」
俺は親指を立てた。
「大丈夫、風璃のためなら腎臓の一個や二個」
「二個は絶対ダメでしょ。いや一個ならいいってわけでもないけど」
風璃はぱんぱんと手を叩いた。
「いいから座ってくれる? お金の話じゃないし」
「じゃあ、なんの話だ?」
「それは……」
風璃はしばらく爪をいじったり、そわそわと明後日の方向を向いたりしたあと、口ごもるように言った。
「恋愛の話、なんだけど……」
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