第35話 本人には、絶対に秘密だけどね。

 翌日、一月二十八日、火曜日。

 俺、芽依、香芝さん、月乃の四人は学校を休み、遊園地へと向かっていた。あと、当然だが、イプノスも俺の肩の上に乗っていた。

 遊園地までは電車に乗って一時間ほどかかる。四人がけの席は空いていなかったので、二対二に別れて座ることになった。俺と月乃が隣で、少し離れた席で芽依と香芝さんが隣という配置だ。初対面のはずだが、いつの間にか芽依はすっかり香芝さんと打ち解けてしまっていた。

 月乃はそれを見て、少し寂しそうにしている。妹が取られてしまったような感覚なのかもしれない。

 しばらくしてから、月乃は無言で、じっと俺の顔を見ていた。


「なんだ? 顔になんかついてるか?」


「なんも」


「なんもってことはないだろ。口とか目とかついてるはずだ」


 のっぺらぼうじゃあるまいし。


「明久は楽しい?」


「ああ、楽しいよ」


「なら、もっと笑ったら?」


「笑ってないか?」


「全然。ただ、なんか……やさしい顔をしてる。笑ってはいないかも」


 心の底から、いまの状況を楽しめているわけではない。

 アモーレを貯めなければならない、というプレッシャーもある。

 ただ、このなんでもない平凡な時間を大切にしたい、とは思っていた。


「これから、戦争にでも行くみたい」


 さりげない月乃の言葉。それは、いまの俺を表現するのに、ぴったりだった。


「お前は俺のことをよく見てるな」


「べつに」月乃は、ぷいっと窓のほうを見る。


「月乃と仲直りできて良かったよ」


「ほら、そういうとこ! なんかやさしすぎ。おかしくなってる。普段の明久は、もっと意地悪だし、性格が悪いし、クズだよ」


「なら、改善されてて良いじゃねえか……」というか、普段の俺は、そんなにクズなのか?


「なんか、いまの明久……消えちゃいそう」


「消えるって、どこに?」


「わかんないけど。遠くへ行ってしまいそうな気がして……怖い」


「心配するな。俺は、どこにも行かん」


「本当?」


「本当だ」


「ずっと一緒にいてくれる?」


「……ずっと一緒だ」


 仮に、世界が滅ぶとしても……。それまでは、ずっと一緒である。

 月乃は、さきほど売店で買った缶コーヒーを一口飲んだ。


「わたし、明久に謝らないといけないことがあるんだよね」


「なんだ? いまの俺は寛大だ。なんでも許してやるぞ」


「わたし、嘘ついてた」


「自称Cカップってことか?」


「それは本当」


 いや、明らかに嘘じゃん。Bか、Bもないくらいじゃん。まあ良いけど……。


「わたしさ、彼氏がいるって言ってたじゃん?」


「おう」


「あれ、嘘だから」


「は?」


「先輩からの告白を断るためについた嘘。それだけ」


「……そっか」


「そうなの」


「それは、なんというか……良かった、かな?」


「なにが?」


「わかんないけど。なんとなく」


 俺の言葉に、月乃は口元に笑みを浮かべた。

 そして月乃は窓の外を眺めはじめた。その横顔も、可愛らしい。


 俺は月乃のことを守ってやりたいと、強く思った。


 電車が駅へ到着する。俺たちは、遊園地へと移動した。平日ということもあって、園内は混雑していない。アトラクションに乗り放題だった。各自の乗りたいものに、どんどん乗っていくことにした。最初は香芝さんの提案でジェットコースター。次は月乃の提案で、違うジェットコースター。そして芽依がジェットコースターを提案したところで、俺は言った。


「……ちょっと休ませてもらって良いか」


「え~」と芽依が不満そうな声を漏らす。


「俺、そんなに絶叫系って得意じゃないんだよ」


 得意じゃないというのは見栄を張った言葉である。実際には、非常に不得意であった。


「じゃ、わたしが残るよ。二人で行ってきたら?」香芝さんが、芽依と月乃に対して言った。


「どうしようかな……」月乃は、俺と香芝さんを交互に見比べた。「二人きりにすると、明久、変なことするかもしれないし」


「え? 浅見くん、わたしに変なことするの?」


「しねえよ!」


 たぶん。というか、指輪は力を失ってるから、もうできないし。


 結局、芽依と月乃は二人でジェットコースターへと向かっていった。元気なやつらである。

 近くにあった屋台でアイスクリームを買い、白いテーブルについた。


「こんな季節にアイスなんて、普通は食べないけど。美味しいね」


「今日は暑いしな」


 本日は、初夏と同じくらいの気温だった。はっきり言って、異常気象だ。

 これもすべては、巨大赤竜のせいなのだろう。


「明久くんってさ、遊園地、結構来るの?」


「……明久くん?」


「あなたのお名前だと思いますけど」香芝さんは照れているようだった。


「急に名前で呼ばれたから、驚いた」


「だってさ。わたしだけ、距離あるもん。月乃ちゃんとは幼なじみで、芽依ちゃんとは家族だから仕方ないんだけどさ。なんか、仲間はずれって感じ」


「そういうわけじゃないよ」


「じゃあ、わたしのことも名前で呼んでよ」


「うん……。あれ?」


「ん?」


「非常に申しわけないんだけど、香芝さんの名前ってなんだっけ?」


 香芝さんは俺の問いに対し、笑顔だった。

 ああ、怒ってないんだ。それくらいでは怒らないんだ、と思ったけれど。


「帰る」


「帰らないでくれ……」


「わたしの名前、知らないの? 本当に?」


「いや、ここまで出かかってるんだが……」


 もちろん嘘である。まったく出かかっていなかった。


 むしろ俺の記憶のなかにあるのかどうかすら不明である。


「……最低」


「悪かったよ。香芝ってさ、綺麗な名字だから。そっちで覚えちゃってたっていうか」


「下の名前、早織なんだけど。そっちは綺麗じゃないってこと?」


 完全なる藪蛇である。


「悪かった。機嫌直せよ。早織……さん」


「ん……」


「早織って良い名前だよな。明久くらい良い名前だ」


「なにそれ。自画自賛?」


「明久っていけてるだろ?」


「自分の名前、そんなに好きな人ってはじめて見た」


「早織もいけてるな。魚の名前みたいで素晴らしい」


「それは……サヨリ? だっけ?」


 ちょっとマイナーな魚かもしれない。下顎の口先が尖っているのが特徴の魚だ。


「ま、お互いの名前もわかったことだし、よろしく」


 俺は、そう言って右手を差し出した。


「明久くんの名前、わたしは入学式のときから知ってるけどね」


 香芝さんは……いや、早織さんは俺の手をつかんだ。


「なんでだ? 俺、そんなに目立ってたか?」


「えっとね、秘密なんだけど。入学式のときに、美人な子がいるなって思ってさ」


「美人?」


「うん。男装の子がいるんだなって思って。ずっと気になってたの」


 男装というか、俺、男なんだけどな。


「で、まあ、一目惚れっていうかね」


「え?」


「本人には、絶対に秘密だけどね」

 早織さんは微笑んだ。


 なんと答えて良いのか、迷いに迷った挙げ句。


「……おう」とだけ答えておくことにした。


 照れくさくなって、俺は早織さんから視線を外した。


 ぼんやりと遊園地のなかを見回す。園内は人気がなく、どことなくさびしい。ジェットコースターのほうを見ると、一回転しているところだった。芽依と月乃が乗っているのだろう。二人の声が、ここまで届いたような気がした。楽しそうでなによりである。


 俺は眼前に座る早織さんに視線を移す。俺が見ていると、彼女はにっこりと微笑みを返してくれた。しかし、それにしても……幸せだな、と思った。幸せすぎる。こんなに幸せで良いんだろうか。


 俺は言葉を漏らした。


「ありがとう」


「あ、出た」


「出たって、何が?」


「最近の明久くんの口癖だって。月乃さん、ことあるごとに感謝されるから、困るって言ってたよ。なんか気持ち悪いってさ」


 言いたい放題だな。


「最近、なんか、いろんなことに感謝したい気持ちでいっぱいなんだ」


「ふーん。まあ、良いこと? なのかな?」


「ありがとう」


「何に対して?」


「俺と友達になってくれて。一緒に遊んでくれて。楽しませてくれて」


「いえいえ。こちらこそ、どうも」と早織さんは笑顔を見せてくれる。


「こういうこと、いつまで言えるか、わからないからな」


「あぁ。そうだよね。明久くん、お母様を亡くしてるんだよね」


「……そうだな」


 死んでしまったら、もう感謝をすることもできない。だから俺は、皆を救いたいと思った。


「最近、俺、おかしくなってただろ?」


「うん。わたしの知る限り、明久くんってずっとおかしいけど。ここ最近は、特に変」


 ずっとおかしいやつだと思われてたのかよ。それはそれで失礼な話だが……。


「俺、ちょっと大変なことを任されてさ。いろいろ頑張ってみたんだけど、あんまりうまくいかなくて。へこんでさ。それでみんなに迷惑かけちゃって。ダメになって。でも、いまは少し立ち直って、頑張ろうって思ってる」


「そっか。よくわかんないけど、わかった」


「どっちだよ」


「詳しくは話せないんでしょ? でも、それでも良いや。明久くんのことを知ることができて、嬉しい。わたしにできることなんて、なんもないけどさ」


 そう言って、早織さんは俺の目をまっすぐに見て言った。


「頑張って。ファイト!」


 その一言が、とても嬉しかった。

 もう少しだけ頑張ろう。素直にそう思った。

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