第32話 もし、生きて帰ったら、結婚しような。
夕方。無理を言って退院することに成功した。
もう元気だし、今日は芽依の誕生日だから外で祝ってやりたいのだと言いくるめた。
もちろん嘘だけどな。
俺はひとりで街を歩いていた。はたして、イプノスはどこにいるのだろう。まだ地球にいるのだろうか。俺たちのことを諦めて、神様のもとへ帰ってしまったのかもしれない。どこかに、あいつの姿がないかと考えながら、街を歩いた。学校にも行ってみた。俺とイプノスが、自宅を除けばもっとも一緒にいた場所だ。教室。廊下。校舎裏……。どこにもイプノスの姿はない。
夜になり、閉門の時間になったので学校を出た。当て所なく学校の周辺をうろつく。
この世界は広すぎる。
イプノスを探しだすのは至難の業だった。あいつの行きそうなところなんてわからない。
それでも、あいつを見つけ出してやりたかった。ひどいことを言ってしまった。会って、一言謝って……。もう一度、一緒に頑張ろうって、言いたい。俺は、左手の薬指につけた指輪を撫でた。
宝石を撫でていると、淡い紫色の光を発した。その光は、ゆっくりと指輪から離れる。
まるで蛍みたいに、紫色の光がふらふらと宙を待っていた。
紫色の小さな光球は動きはじめる。俺は、その光を追った。
その光は、まるで俺を誘っているかのように、進んでは止まりを繰り返す。
そして到着したのは、学校から歩いて十五分程度の距離にある公園だった。
なんとなく存在は知っていたが、一度も訪れたことのない公園だ。
滑り台の上に、紫色の光は向かっていった。
遠目からもわかる。そこに座って、ぼんやりと空を見上げている、小さな天使。
それが、イプノスだった。
近づいていくと、イプノスがちらりとこちらを見た。
「よう」
「……いつの間に退院したのです」
「さっきだ。お前を探そうと思ってさ」
「目の前から消えろとか言ってませんでしたっけ」
「言った。でも、言ってから後悔した。本当にごめんな」
イプノスは、ふわりと宙を舞い、俺の目の前を浮遊していた。
「今日は、久しぶりにお前がいなくてさ。さびしかったよ」
「……私もです。ほんの少しだけですけどね」
「俺さ、もう一度だけ、頑張ってみることにした。芽依と話して、勇気をもらったんだ。だから、できれば、イプノスに力を貸してほしい。この世界を救うために」
「任せてください。明久さんの望みを叶えます」
「じゃあ、仲直りだ」と俺は人差し指をイプノスに向けた。
「べつに喧嘩したわけではないですけど」
そう言ってイプノスは微笑み、俺の人差し指を、その小さな手でぎゅっとつかんだ。
また少し、俺は幸せを感じているようだった。
心は落ち着いている。体に力が戻ってくるような気がした。
「残念ながら、もはや私が明久さんしてあげられることは何もありません。以前のように、明久さんが失敗したときに誤魔化す力もない。私にできるのは、明久さんの貯めてくれたアモーレの力を使って、巨大赤竜と戦うことだけです」
「それで十分だ。いままで通り、傍で見守っててくれよ」
「明久さん……」
「惚れたか?」
「うつけさんですね。調子に乗らないでください」イプノスは微笑んで、俺の肩の上に乗った。「もしも明久さんがこの世界を救ったら……その暁には、私のファーストキスをさしあげます」
「……ありがとう?」
あまりにも意外な言葉だったので、疑問形になってしまった。
「なんですか。要らないのですか」
「いや、もらえるならもらうが、お前、ファーストキス、まだなのか?」
「……まあ」
「やりまくりとか言ってなかったか?」
「……ちょっと見栄を張ってみました」
なぜ見栄を張る必要があるのか、さっぱりわからんが……。
「俺はファーストキスじゃないけど、べつに良いのか?」
「良いですけど、どうせ明久さんのキスをした相手は、妹さんとかでしょう。ノーカンです」
「小さな頃、月乃ともしたけどな」
「それもノーカンです。明久さんは、まだ誰ともキスをしていません。私と同じ立場です」
都合の良い解釈をする天使だった。
それから、俺とイプノスは公園を後にし、家へ向かうためにバスへ乗り込んだ。バスは暗闇のなかを進んでいく。信号で止まった際、不意にイプノスが口を開いた。
「真面目な話をしても良いですか」
「俺はいつだって真面目だから問題ない」
「いつだって不真面目でしょう。まあ、そう茶化さないでください。真面目な話です」
「おう」
「明久さんに世界の命運を託すことになってしまった。とても過酷な運命を背負わせてしまったのではないか……と私はひとりで悩んでました」
「……そうかよ」
「あの……明久さんが、もし記憶を消してほしいというのであれば、消します。私と会ったことも、指輪のことも、巨大赤竜のこともすべて忘れて、この世界に残された僅かな時間を過ごしても良いのですよ」
俺は、なんと答えるか迷い……。結局、本音をぶつけることにした。
「俺さ、指輪に選ばれて、良かったよ」
「そうでしょうか。たくさん辛い思いをさせてしまったと思いますけど」
「お前と会えて、良かった。前はさ、ひとりでも生きていけるって思ってた。さびしくなんかないってさ。でも、そんなの強がりだったんだ。本当は、普通に人を好きになったりしたかったんだ。指輪の力を使って、ちょっとずるいけど、好きな人とデートすることもできた。それに、いまではちゃんと、自分の力で、香芝さんとか月乃と向き合おうって思えてるんだ。自分で言うのもなんだけど、すごく成長したと思う。だからさ。指輪と……そして、お前には感謝してるんだ」
「照れます」
「存分に照れろ」
正直者の俺は、恥ずかしい台詞だってバンバン言えちゃうのだ。
「明久さんのようなうつけさんが美しい台詞を言うのは、死亡フラグですよ」
たしかにな……。まあ、もう少しフラグを立てておくか。
「もし、生きて帰ったら、結婚しような」
「絶対に嫌です」そう言って、イプノスは微笑んだ。
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