第29話 いっぱいあるよ。世界が滅ぶ前にしたいこと。

 ひとり、ベッドの上に寝転んで、ぼんやりと考える。白い天井なんかを見ている場合ではない。残された時間は少ない。もはやできることは少ない。いつも通りの日常を送るのが良いのかもしれなかった。極々普通の学生として、終わりの日を迎える。皆と一緒に、世界が滅ぶのを見守る。そういう風に生きるのが、良いように思えた。


 世界が終わってしまうのは、さびしいけれど。皆と一緒であれば、そんなにさびしくはないのかもしれない。そんなことを思った。


 少し眠ったあと、目を覚ますと隣に芽依の姿があった。

 来客用の丸椅子に座って、こちらを眺めている。


「あ、起きた?」


「……おう」


 ゆっくりと体を起こしてみる。時計を見て時刻を確認した。どうやら一時間ほど寝ていたようだ。一応、病室を見回してみたけれど、俺と芽依以外には誰もいない。

 あの小うるさい天使は、いなかった。


「もう元気? 今日の検査結果次第で、明日には退院できるかもって。お医者さんが」


「ああ、問題ない。元気だ」


「それなら良かった」と芽依は満面の笑みを浮かべる。


「飯、ちゃんと食ってるか?」


 芽依は自分では料理をしない。コンビニ飯ばかり食っているのではないか、と心配になった。


「月乃お姉ちゃんの家で食べてる」


「……そっか。あとで、ちゃんとお礼言っとかないとな」


 あとで。不意に出た、その言葉の重みを感じた。

 俺たちには、あとどれくらいの時間が残されているのだろう。


「なあ、芽依。何かやり残したことってあるか?」


「やり残したこと?」


「もし、近いうちに世界が滅ぶとしてさ。何か、やりたいことってあるか」


「近いうちって、どれくらい?」


「さあ。一週間くらいかな……」


 いつになったら巨大赤竜が地球へ侵攻してくるのかはわからない。

 もしかしたら、明日には世界が終わってしまうのかもしれない。

 それどころか、いまこの瞬間、終焉が訪れるということも考えられる。


「明日、俺が退院したら、一緒にどこか遊びに行こう」


「え? どうしたの? 急に」


「芽依の好きなところに行こう。遊園地でも良いし、スキーでも良い。映画でも良い。焼き肉、食べ放題だ。ほしいものはないか? なんだって買ってやる」


「兄さん、どうしちゃったの? おかしいよ」


「なんとなく、そんな気分なんだよ」


「変な病気とかじゃ、ないんだよね?」


「そういうわけじゃない」


「ずっと一緒にいられるんだよね?」


「……ああ、そうだな。ずっと一緒だ」


 世界が滅ぶまで、俺は芽依と一緒にいる。いや、世界が滅んだって……。俺たちは、一緒だ。


 芽依は黙って、俺を見つめていた。


「さっきの質問だけどさ」


「おう」


「いっぱいあるよ。世界が滅ぶ前にしたいこと。わたし、好きな歌手のライブにも行きたいし、もっと友達と遊びたいし、恋だってしてみたい。子供だってほしい。勉強もしたいし、大学にも通ってみたいし。そして、兄さんと一緒に、楽しく生きたい」


 しかし、そんな未来は……。俺たちには、ない。

 芽依の希望に満ちている言葉をきいて、俺は己の無力さを痛感していた。

 芽依の願いを、俺は何一つ叶えてやることができない。

 この世界を救ってやることができなかった。すべてを諦めて、逃げだしてしまった。


「ごめん……ごめんな」


「なんで兄さんが謝るの?」


「すまん……」


 俺は泣きそうになっていた。芽依に泣いている姿を見せるわけにはいかない。

 ベッドの背にもたれて、天井を見た。こうしていれば、涙がこぼれることはない。


「……泣いてるの?」芽依の驚いたような声。


「いや、ちょっとあくびが出ただけだ」


「こっち見て」


「嫌だ」


「こっち見るの」芽依がベッドに乗り出して、俺の顔にやさしく触れる。


 真正面から、見つめられる。


 俺の目からは、涙がこぼれていた。


「兄さんの泣き虫。でも、可愛い」


 そう言って、芽依は俺を抱きしめた。小さい体。人の温もり。安らかな気持ちになる。


「もうすぐさ、世界が滅ぶんだ」


 俺は芽依の耳元でささやいた。


「え?」


「……なんてな」


 俺は着ていた病衣の裾で、目元を拭った。いつまでも泣いている場合ではない。さっさと立ち直って、残された人生を満喫しなければ。芽依は俺から離れ、恥ずかしそうに笑い、椅子に座りなおした。


「さっきの話だけどさ、お前、欲張りだな。やりたいこと多過ぎだろ」


「うん。わたし、欲張りなんだよね」


「一週間しかないんだぞ」


「そうだったね」芽依は苦笑する。「じゃあ、兄さんと一緒にいたいかな。他のは、諦める」


「俺も……」


 芽依とか、月乃とか。香芝さんとも。一緒に楽しく過ごせたら良い。

 もちろん、そんなことは無理だろうけれど。

 俺の身勝手な行動で、人間関係は粉々に崩れ去ってしまった。

 俺にできるのは、芽依を幸せにしてやることだけだ。

 あと一週間で、どうやって芽依を幸せにしてやれば良いのか。難しい話だった。


「なあ、芽依。なんでも言うことをきいてやるよ」


「え~、急にどうしたの?」


「なんとなく。お前を幸せにしてやりたくてさ」


「なにそれ。プロポーズみたい」そう言って、芽依は笑っていた。


 たしかに笑えた。妹に言う台詞ではないか。


「じゃあ、ひとつめのお願い」


「おう。なんでも言ってくれ」


「元気出して」


 芽依は、真剣な表情で俺を見ていた。


「なんだ? いまの俺は超元気だぜ? いまから腕立て伏せ十回はできるくらいな」


「しょぼ」


 非力なのである。腕立て伏せは十回が限度だった。


「最近の兄さん、なんか思い詰めてるみたい。悩んでるでしょ」


「……悩んでいないといえば嘘になる」


「わたしには、相談できない悩み?」


「そうだ」


「じゃあ、二つ目のお願い。わたしに相談して」


「それは……」


「何? 兄さん、嘘つくの? なんでもお願い、きいてくれるんでしょ?」


「でも……」


「わたし、兄さんの力になりたい。話をきいてあげることしかできないかもしれないけど。それでも、少しは楽になるんじゃないかな」


「芽依……」


「わたしも、ちょっとは大人になってるんだから。兄さんが、どんな悪事に手を染めていようとも、ちゃんと受け止めるよ」


「悪いことはしてねえよ」


「二股は悪いことじゃないの?」


 む……。言い返せねえ……。


「ねえ、兄さん。悩んでることがあるなら、わたしに話して」


 真剣な表情だった。まっすぐに俺の目を見つめている。強い意志を感じられる瞳だ。

 俺は、逃げられなかった。話すべきか、話すべきではないのか。迷い。沈黙はつづく。

 その間も、ずっと芽依は俺の目から視線を外さなかった。


 俺は深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開く。


「……さっきの話だけど」


「どの話?」


「もし、世界が滅ぶならって話」


「ああ、それね」


「本当なんだ」


「え?」


「世界は滅ぶ。信じられないかもしれないけど、本当だ」


「何言ってるの?」


「わかるよ。信じられないよな」


 俺だって、信じたくない。けれども。俺は、あいつの姿を見てしまっている。

 この世界のすべてを焼き尽くす、禍々しい赤い竜。


「この地球に、巨大赤竜ってやつが襲ってくるんだ」


「漫画とか、アニメの話? それかゲーム? あ、わかった。そういう夢を見たとか?」


「夢じゃない。現実の話だ。近いうちに、この世界は滅ぶんだ」


 芽依は、俺の目をじっと見ていた。信じるかどうか、迷っているのだろう。


「ほら、ここ最近、妙に暑いだろ。冬なのに、真夏みたいに」


「うん。でも、それは地球温暖化の影響だって、テレビでやってたけど」


 どうやら、公式にはそういうことになっているらしい。でも、違う。

 俺にはわかっている。


「信じられないかもしれないが、俺が言ったことは本当だ。それに、これから言うことも、すべて本当だ」


 そう前置きをして、俺は話をはじめた。

 流星群の日、庭でイプノスを拾ったこと。そして、指輪を授かり、催眠能力を手に入れたこと。アモーレを手に入れるために、奮闘していたこと。この世界を救うために頑張っていたけれど、ダメだったこと。そのすべてを、芽依に打ち明けた。

 芽依は、黙って話をきいていてくれた。すべてを話し終えたあとも、芽依は黙っていた。


「荒唐無稽で、信じられない話だよな。俺だって、夢でも見てたんじゃないかって思う」


 そして、実際に夢であってほしいと思った。

 巨大赤竜なんて存在しなくて。催眠能力なんてなくて。イプノスだって、俺の妄想で。

 いままでも、これからも、ちゃんとこの世界はつづいていくんだって。

 そう、思いたかった。


「兄さん、頑張ったね」芽依は、両手で俺の手を握ってくれた。ぎゅっと。力いっぱい。「たくさんたくさん頑張ったんだね」


「俺の話、信じるのか?」


 たぶん、俺が他の誰かから同じ話をきかされても、信じなかっただろう。

 ただの妄想と決めつけたに違いない。

 だが。


「信じるよ。……信じる」芽依は、さらにぎゅっと強く手を握ってくれた。「最近、ずっと兄さん、変だったもん。香芝さんって人と、月乃お姉ちゃんと二股かけてるって噂も学校で流行ってたし。いままでの兄さんだったら、あり得ないもん。なにか理由があるんだろうって思ってた。だから、話をきいて、すっきりした」


 俺が二股をかけるという話はあり得なくて。天使やドラゴンが出てくる話はあり得るのか。

 不思議なものだった。


「俺は……どうすれば良いんだろうな」


「うーん。そうだね」芽依は考えているのか、俺から視線を外し、窓外を見た。「ちょっと出ない?」


 そう言って、芽依は俺の手を離し、立ち上がった。

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