第28話 世界の命運を、俺なんかに託さないでくれ。

 体が揺さぶられていることを自覚する。


「兄さん!」


 その声で、ようやく意識が戻ってくる。


 視界に映っているのは、えっと……そうそう、俺の妹、芽依だった。


 芽依は俺の額に手を当てていた。


「すごい熱……。救急車、呼ぶから」


 要らないよ、と言おうとしたけれど声が出なかった。


 俺の頭を抱いたまま、芽依はスマホで救急車を呼んでいた。


 そして、俺が再びまどろんでいる間に救急車が到着したようだ。

 俺はストレッチャーに乗せられ、近所にある大型の病院へと運ばれた。

 そのときのことは、なんとなくしか覚えていない。

 まるで夢を見ているかのように現実味がなかった。

 何かしらの検査をされたあと、俺はずっとベッドの上で寝かされていた。

 そこはカーテンで区切られたスペースだった。どことなく学校の保健室に似ている。

 何も考える気が起こらなかった。ただ、ひたすらにだるい。辛い。痛い。熱い。

 じっと待っていると、カーテンを開けて芽依が入ってきた。


「……兄さん、大丈夫?」


 俺は何も答えられなかった。口を動かす気力もない。


「あのね、検査したんだけど……原因不明、だって。CTとか見ても、何もわからないって。インフルでもないって」


 そりゃそうだ。俺をこんな風にしたのは、巨大赤竜とかいうやつなんだ。

 バカみたいだろ? 嘘みたいな話だろ?


「兄さん……」芽依は近づいてきて、俺の頭をやさしく撫でた。「死なないで」


 死なないよ、と答えたかったが、答えられなかった。


 それから俺は、ただひたすらに眠りつづけた。


 次に目が覚めたときは、白い病室だった。体にはチューブが繋がれている。

 俺が覚醒したことに看護師が気づいたようで、すぐに医師を呼んでくれた。

 その医師の説明によると、俺はずっと眠っていたらしい。

 二日目からは熱が引いていたのだが、意識が戻らなかったのだという。

 今日は日曜だから、火、水、木、金、土と眠りつづけていたわけか……。

 熱が引いた俺は、すっかり元気になっていた。

 看護師と医師が退室したあと、枕元にいたイプノスが話しかけてきた。


「……大丈夫ですか」


「生きてるみたいだ」


「よく頑張りました。明久さんがいなくなれば、この世界は終わりです」


「まだ、終わってないのか?」


「はい。まだ、終わってません……かろうじて」


 俺は……怖かった。

 また、あの巨大赤竜と戦わなくてはならないのだと思うと、怖くて仕方がなかった。

 だが、逃げるわけにはいかない。諦めるわけにはいかない。

 俺は、地球を救わなければならないのだ。


「これから、どうすれば良い?」


「いままでと同じです。アモーレを貯めれば、それで良いです」


「そっか。じゃあ、いままでよりも必死に頑張らないとな」


「そうですね」


 そして、俺はゆっくりとベッドから起き上がった。久々に体を動かしたせいか、少しの動作でも体が痛い。しかし、我慢できないほどではない。明日までに退院して、さっさとアモーレを貯めなければ……。なんとしてでも、アモーレを貯めて巨大赤竜を倒す。

 それが俺のやらなければならないことだった。俺にしかできないことなのだった。


「とりあえずさ、今日は看護師さんと手を繋いで、アモーレを貯めるわ」


「……左手を見てください」


 イプノスに言われた通りに、俺は自身の左手を見た。


 その薬指についていた指輪が、色を失っている。紫色の宝石が、灰色になっていた。


「眠りの指輪は、すべての力を使い果たしました。巨大赤竜の攻撃から、私と明久さんを守って……。よって、もう催眠能力を使うことは出来ません」


「……あ? ……なんだって?」


「だから、もう、催眠能力は使えません」


 イプノスの言っていることが理解できなかった。

 五秒ほど経って、ようやく俺は言葉を発することができた。


「じゃあ、どうするんだよ」


「催眠能力を使わずに、アモーレを貯めるしかないです」


「催眠能力を使わずに……って、どうやって?」


「明久さんが、自分自身の力で関係を築くしかありません」


「……そんなの、無理に決まってるだろ」


「無理ではないです!」


「無理だ。そんなの」


 催眠術を使っても、何一つうまくいかなかったんだ。香芝さんにも、月乃にも嫌われてしまった。俺はひとりになってしまった。それなのに、いまさら俺ひとりの力でなんとかしろ、だって? あまりにもバカげている。


 イプノスは、俺の目をじっと見て言った。


「諦めるのですか?」


「……諦めるも何も、どうしようもないだろ」


「そんなことはありません。いまの明久さんなら、催眠能力に頼らずとも、人間関係を築くことができるはずです!」


 俺は何も言わなかった。


「諦めないでください! この世界を救えるのは、明久さんだけなのです! 地球に住む、全人類、いや、全ての生命が、明久さんに掛かっているんですよ!」


「知らねえよ!」


 思わず、語気が強くなってしまった。感情を抑えようとするが、歯止めが利かない。

 俺は思いつくがままに言葉をつづけた。


「わけわかんねえよ! 巨大赤竜ってなんだよ!」


 イプノスは何も言わず、悲しそうな目で俺を見ていた。


「なんなんだよ! なんで俺が戦わなきゃいけないんだよ! 俺なんかに世界を任せるなよ! もっと他に適任のやつがいただろ! もう……俺は、嫌だ」


「……私は、明久さんを傷つけたいわけではありません。むしろ、守ってあげたいとさえ思っています。しかし、いまや、この世界を救えるのは明久さん以外にいません」


「そんなこと言われても、無理なものは無理だ」


 催眠能力がなければ、アモーレは貯められない。


「俺は、もう……戦えない」


 イプノスは黙っていた。


「もう無理なんだよ。俺なんかに、世界を救えるわけがない」


「……そうですか」


 だから俺を、開放してくれ。世界の命運を、俺なんかに託さないでくれ。


「明久さんが戦いたくないというのであれば、それは明久さんの選択です。私には責められません。滅びを受け入れるというのであれば、それはそれで仕方がないです」


 俺は何も言わずにイプノスの話をきいていた。


「最後にひとつ言わせてもらいます。気づいていないかもしれませんが、指輪とともに生活したことで、明久さんは随分と成長しています。再び、他人と向き合うことができるようになっています。傍で見ていた私にはわかる。明久さんは、立派な、世界を救うに値する人間になっていますよ」


「……もう、ほっといてくれ。俺の前から消えろ。消えてくれよ」


「そうですね。わかりました。最後に謝らせてください。明久さんに難題を押しつけてしまったことは、申しわけなかったです。大丈夫です。明久さんは何も悪くない。気にすることはないんです。少しの間でしたけど、明久さんと一緒に過ごせて、楽しかったです。それでは、残された時間を有意義に過ごしてください。悔いのないように」そう言って、イプノスは微笑んだ。「それでは」


 俺は何も言えなかった。


 イプノスの体が紫色に光る。次の瞬間、イプノスの姿は消えていた。


 ……どうやら、これですべてが終わったようだった。

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