第26話 安心しろ。俺が変なのは、生まれつきだ。
月乃は過呼吸になりながら、頭をずっと押さえている。目元からは涙が流れていた。
「おい、イプノス。それで、どうすりゃ良いんだ?」
「明久さんと西條さんの精神は、指輪を通じてシンクロしてます。いまできる対処法は、私の魔法を使って、西條さんの感じている痛みを、明久さんが受け継ぐというものです」
それはつまり、俺が、月乃の痛みを代わりに引き受けるということだ。
「この苦しみは、アモーレ中毒のときの比ではありません。それでも良いですか?」
「ああ。構わないさ。早くやってくれ」
月乃を苦しめたのは俺だ。その苦しみは、本来、俺が受けるべきものだった。
イプノスはうなずき、目をつむった。両手を組み、集中しているようすだ。
イプノスの体から、紫色の光が放出され、その光が俺と月乃を包んでいく。
安らかな気持ちになる。柔らかくて温かい。
「それでは、いきます」
イプノスが宣言した瞬間、頭部に、釘でも打たれたかのような痛みが襲ってくる。
立っていられず、俺は思わず倒れ伏した。
「気休めになるかはわかりませんが、痛いだけです。死にはしません」
俺はもがき苦しみながら、地面を転がった。
対して、倒れていた月乃は、ゆっくりと立ち上がる。
「明久?」
「……ああ」
俺は痛みをこらえ、必死に笑顔をつくろうとした。しかし、どうやら笑うことに失敗しているらしかった。
「大丈夫? どうしたの? 頭痛?」
「そんなことより、お前、タオル一枚だぜ。服を着ろ」
「え?」
月乃は、ようやく現状を認識できたらしい。急いで体を隠そうとするが、無意味だった。
「えっと、わたし、明久とお風呂に……。え? なんで?」
「いろいろあったんだ」
「いろいろって……意味わかんない!」
「とりあえず、俺、目をつむってるから。さっさと上がって服を着ろ」
俺は目を閉じた。真っ暗闇で、ずっと頭を殴られているかのようだ。
苦しい。吐き気がするほどの痛み。目の奥が、圧迫されるように痛い。
俺は吐いた。目が痛い。喉が痛い。鼻が痛い。何もかもが痛い。
「……耐えてください」
イプノスが小さな手で、俺の手に触れてくれていた。
やめろ。汚れるぜ。俺の手は、すっかり吐物にまみれてしまっていた。
「私が、注意していなかったから……」とイプノス。
気にするな。お前のせいじゃない。
俺はそれから、何度も吐いた。果てには吐くものがなくなってしまう。胃の内容物がすべて出てしまったようだった。
「明久!」シャツと下着を装着した月乃が、風呂場へと入ってくる。「救急車、呼ぶから」
「大丈夫だ」
「大丈夫なわけないじゃん!」
「ただの頭痛だから」
「いや。ダメ。呼ぶから」
「やめてくれ」俺は強い口調で言った。
月乃は少し躊躇っていたようだが、かがみ込み、俺の頭を抱きかかえた。
月乃の太腿に、俺の口から漏れた唾液が垂れてしまう。
「月乃、汚いから……離れろよ」
「ねえ、明久。どうしちゃったの? あんた、最近、変だよ」
「安心しろ。俺が変なのは、生まれつきだ」
「バカ。こんなときに冗談言わないでよ」
冗談でもなんでもない。俺は変なやつなのだ。
「頭、痛い?」
「あぁ……。でも、かなりマシになってきた」
いつの間にか時間が経過していたのだろう。
ひどい頭痛、で収まる程度には痛みが軽くなっていた。
「病院、行かないの?」
「大丈夫だ。寝てれば治る」
「でも、立夏さんは……」
月乃の言いたいことはよくわかる。俺だって、もし目の前で月乃が同じように倒れていたら、すぐに救急車を呼んだだろう。俺の母、浅見立夏は風呂上がりに気分が悪いといってソファで横になっていた。その後、脳梗塞で還らぬ人となったのである。
「明久がいなくなったら、嫌だよ」
「安心しろ。任せろ。俺は絶対に死なん」
「わたしと一緒に、長生きして」
「……善処する」
長生きするとは約束できなかった。だって、俺たちは近いうちに死ぬかもしれないんだ。巨大赤竜とかいうやつに襲われて……。俺だけではない。世界もろとも。芽依も、月乃も、香芝さんだって。みんな一緒に死んでしまうかもしれないのだ。
「立夏さんが倒れたって話をきいたとき、救急車を呼んでればって、何度も思った」
それは俺も同じだった。何度も何度も後悔した。後悔してもしきれなかった……。
あのとき、母は俺と芽依に西條家で泊まるように指示した。
自分は面倒を見切れないからと。
俺たちが三人で楽しく遊んでいるときに、母は亡くなったのである。
「明久、立夏さんが亡くなってから、家のこと、なんでもひとりでやろうとして」
「……そうだったな」
母さんが亡くなったのは俺のせいだ。だから、俺は芽依の母親代わりになってやらないとダメだと思った。家事なんか、まったくやったことがなかったけれど。掃除も洗濯も、毎日毎日、ひたすらにつづけた。
「ねえ、きいて良い?」
「なんでも、正直に答えるよ」
俺はいままで催眠能力を使って、月乃にきいてきた。
その借りを返す意味でも、嘘はつかず、すべて本音で答えてやろうと思ったのだ。
「立夏さんが亡くなったあと、わたしが料理をつくりにいったとき……明久、自分でやるからって怒ったの、覚えてる?」
「……ああ、覚えてるよ」
月乃は昔から、西條のおばさんの手伝いをしていた。
だから俺たちに料理をつくってくれようとしたんだ。俺は、それを強く拒絶した。
「いまさらだけど、すまん。俺さ、意地を張ってたんだ。月乃に同情されたくなかった。母さんがいなくても、俺がひとりでちゃんとできるって証明したくて」
あれ以来、俺は人づきあいを諦めてしまった。学校へ通えるようになってからは、先生も、クラスメイトも、みんなが同情する。全員、可哀想な人を見るような目で俺を見る。それが辛くて。耐えられなくて。俺は、ひとりで生きていくことを選んだのだ。
月乃とも距離を置いた。しばらく放っておいてほしかったんだ。
それから俺は、うまく誰かとつきあうことができずに苦しんでいた。高校生になった頃には、母の死を随分と克服したつもりでいたけれど。うまいこと友達をつくれず、月乃との関係もうまくいかず……。でも、ずっとさびしかったんだ。誰かと、ちゃんと関係を結びたかった。
もう一度、誰かと話したり、笑ったりしたかったんだ。
その願いが、眠りの指輪を引き寄せたのかもしれないと、そう思った。
「ねえ、明久。あんた、最近、どうしちゃったの?」
「どうもしねえよ」
「急に、香芝さんと仲良くなろうとしたり。わたしに話しかけてきたり」
俺は何も言わなかった。
「わたしね、もしかして、明久が病気なのかもしれないって思ったの。バカみたいだよね。そんなこと、あるわけないのにね。ただの妄想なんだけど。なんか悪い病気で、もうすぐ死ぬかもしれないから、最後に学校生活を楽しもうとしてるのかもって」
妄想のたくましいやつだ、と思ったけれど。しかし、それと似た状況ではあった。
「ねえ、なんとか言ってよ。全部、わたしの勝手な妄想だって。ただ、女の子とつきあいたいから、香芝さんとか、わたしに手を出そうとしてたって、そう言ってよ」
俺はやはり、何も言うことができなかった。
俺が頑張らないと、地球が滅んでしまうなんて。そんなこと、言えるわけがなかった。
「なんも言ってくれないんだ」
「すまない」
「謝らないでよ」
「……すまない」
それでも、謝らざるを得なかった。
「明久が言いたくないなら、良い。無理にはきかない。また、話したくなったらで良いから。相談したくなったら、ちゃんと言って。わたし、あんたのこと……家族だと思ってる」
その言葉は……俺の胸に、強く刺さった。
「帰るね。全部話す決心がつくまで、話しかけてこないで。わたし、ずっと待ってるから」
そう言って、月乃は立ち上がり浴室から去っていった。衣擦れの音がきこえている。
頭痛は、もうすっかり治まっていた。俺は風呂の椅子に腰を下ろし、目をつむった。
何をどうすれば良いのか。悩んでいる場合ではない。考えている場合ではない。迷っている場合でもない。俺はアモーレを貯めて、世界を救わなければならないのだ。
なあ、イプノス。そうだろ?
イプノスは無言で……悲しそうな顔で、俺のほうを見ていた。
「そんな顔で見るな。同情してるのか?」
「……いえ」イプノスは深く息を吐いて、無理に笑顔をつくった。「さあ、明久さん。気を取り直して、世界を救いましょう」
俺も、無理に笑顔をつくった。
「そうだな。じゃあ、もう少しだけ頑張ろう」
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