第25話 大丈夫だ。お前には尻があるだろ。
「明久、なんか元気ないね」
「そうか? いつも通りだと思うが」
「なんか、小さくなってるし」
実は、そうなのだ。どうやら俺は、緊張しているらしい。
性的にも興奮しているはずなのだが。なぜか、やや、元気をなくしていた。
「わたし、そんなに魅力ない?」
「いや、すごく可愛い。最高の彼女だ」
「ありがと。でも、わたし、胸がないしさ」
「大丈夫だ。お前には尻があるだろ」
「最低」
そう言って、月乃が後頭部を俺の顔面にこすりつけてくる。痛い痛い痛い。
「本当にデリカシーがないよね」
「お前の尻が素晴らしいのは本当だ」
「気にしてるの。胸は小さいのに、お尻は大きいから……」
「自信を持て。月乃の尻は、最高の尻だ」
「だから、言わないでってば……。まあ、一応、ありがとうだけど」
素直な月乃だった。しかし、こいつ、こんなに可愛かったか?
普段は、もうちょっとつんけんした感じなんだけどな。
いや、それは俺が月乃を怒らせてるからか。昔は、こんな感じだったような気もする。
ちょっと怒りっぽいところはあるけれど、素直で、可愛くて……。
俺は、背後から月乃を抱きしめた。
「急にどうしたの? 興奮しちゃった?」
「月乃……」
「何?」
「月乃……」
興奮していたわけではなかった。
「どうしたの? 急に。ねえ……大丈夫?」
「大丈夫だ」
「よしよし」
ゆっくりと頭を撫でられる。
最近、撫でられまくりだ。
俺は誰が見てもわかるくらいには弱っているらしい。
「ねえ、どうしたの? 何か辛いことでもあった?」
「何もない」
「ふーん。そっか」月乃は、深く息を吐いてから言葉をつづけた。「頭、洗ってあげよっか」
そして、俺たちは浴槽から出た。
椅子に座って、目をつむり、頭をわしゃわしゃされる。
「痛くないですか~?」
「ない……っていうか、それは歯医者だろ」
「冗談冗談。かゆいところはないですか~?」
「ないよ。気持ちいい。最高だ」
美容院以外で誰かに頭を洗ってもらうのなんて、久々だ。
小さな頃に母さんから洗ってもらって以来か……。
そのまま、月乃にすべてを任せている間に、洗髪は終わった。
「はい。おしまい」
「ありがとう」
「どういたしまして」
そう言って、月乃が背後から抱きついてきた。ほのかに感じる、やわらかな膨らみ。
それほど隆起しているわけでもない双丘だが、それでも女を感じずにはいられなかった。
「あのさ」背後から抱きついたまま、月乃は言った。「香芝さんに振られて、辛かった?」
「……べつに、振られたってわけじゃ」
「大丈夫。わかってるから。べつに、わたしのことが嫌いになったわけじゃないんでしょ」
「ああ、そりゃ、もちろん……」
俺の言葉を遮って、月乃は言った。
「ただ、香芝さんのことも好きになっちゃっただけなんだよね。あるよね。そういうこと」
俺は何も言えなかった。
「浮気っていうのかな。それとも、香芝さんのほうが本気? だから、わたし、明久のことは諦めようかなって思ってたんだけどね。でも、どうしてだろうね。諦められなかった。いまでも好きみたい」
「やめてくれ……」
「本当は香芝さんとの恋愛を応援してあげなきゃダメだったのにね。ごめん。彼女失格だよね」
「やめてくれ!」風呂場に静寂が満ちる。「これ以上、俺の感情を揺さぶらないでくれ! いま月乃が感じているのは、全部、気のせいなんだ! 嘘の感情なんだ!」
「……待つのです」
じっと待っていたイプノスの制止の声がきこえたが、もう無理だった。
「謝ったりするな。悪いのは月乃じゃない。全部俺が悪いんだ」
「明久、落ち着いて……」
「落ち着いていられるか。俺は、お前の彼氏でも、なんでもないんだ! ただの幼なじみ。それだけだ!」
「やめてください!」
イプノスの強い制止の声。
だが、すでに遅かった。月乃は目を見開き、頭を抑えていた。
「明久は彼氏……。わたしたちは、つきあってて……」
「現実と虚構の齟齬で、脳に負荷が掛かっているのです」
月乃は頭を抑え、地面にうずくまった。痙攣している。
俺は焦ってイプノスのほうを見た。
「……どうしたら良い? どうすれば良い?」
「まずは、ゆっくりと抱きしめてください」
俺はイプノスの指示に従い、かがみ込んだ月乃の体を抱きしめた。
小さくて細い体が、俺の腕のなかで震えている。
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