第20話 わたしは素直じゃなくても可愛い。

 一月十九日、日曜日。午前十時。


 俺は西條家の門の前に立っていた。

 インターフォンを押してしばらく待つと。


「何?」と対応に出たのは月乃だった。


「隣の家に住む浅見というものだ」


「知ってる」


 まあそうだろうな。当然の反応だ。


「ちょっと話があるんだ。出てこられるか?」


「話って何? ここで出来ない話なの?」


「ああ。少々込み入った話でな……」


「スマホでも出来ない話?」


「そうだ。ちょっとお金も持ってきてくれ」


「借金の相談?」


「違う。ちょっと街に出かけるからさ」


「……わかった。幾らくらい?」


「五千円もありゃ足りるだろ」


「ちょっと待ってて」


 そういうわけで、門の前で待つこと十分。長い。ちょっと待っててと言われたが、十分ってちょっとか?


「なあ、イプノス。ちょっとって、どれくらいだと思う?」


「私の体感だと、十年くらいですかね」


 時間感覚が人間離れしすぎである。もしかしたら月乃も天使と同じような時間感覚の持ち主なのかもしれない。これから十年ほどここで待つのか……と思っていると、ドアが開いた。


「お待たせ」


「すごく待ったわ。めっちゃ待ったわ」


「まだジャージだったから、着替えてたの」


 たしかによそ行きの服装になっていた。今日の月乃は春物のコートを着ている。


「ま、そういうわけで、ちょっとこっちへ来てくれ」と俺は我が家の庭へと月乃を招き入れた。


「庭……ちょっと荒れてるね」


「ああ。最近、ちょっとサボり気味でな」


 あと、イプノスが落ちてきて、俺の家庭菜園に穴が開いたし。


「それで、話って何?」


「これを見てくれ」


 俺は眠りの指輪を月乃に見せた。指輪に祈りを捧げると、紫色の光が周囲を満たしていった。


 俺は月乃に質問をすることにした。


「いまから月乃をデートへ誘おうと思うんだが、どう誘えば来てくれるだろうか?」


「普通に誘えば行く」


「本当か?」


 香芝さんパターンじゃないだろうな。普通に行くとか言っておいて、いざ誘ったら断るとか。


「恥ずかしいから、最初は断る。それでも誘ってくれたら行く」


「一度目は断るのかよ……。まあ良いけど。それで、どこに行きたい?」


「ボウリング」


「球を放るほうか? それとも、穴を掘るほうか?」


「球を放るほう」


「デートで穴を掘るなんて有り得ません!」とイプノス。


 ちょっとしたジョークである。


「ボウリングか。最近行ってないな」


「昔、明久と一緒にいって、楽しかったから」


「そういや、そうだったな」


 浅見家と西條家で、全員で出かけたのだった。懐かしい思い出だ。


「あのときのボウリング、楽しかった」


「お前、素直なら可愛いんだけどなぁ……」


「わたしは素直じゃなくても可愛い」


 自己評価の高すぎる女だった。まあ、たしかに可愛いと言えば可愛いんだけどな。


「明久さんのなかでは、香芝さんと西條さん、どちらのほうが可愛いのですか?」


 難しい質問だな。どっちも、質の違う可愛さというか。美を比較するのは難しいな。あまり、どちらが上と決めるようなものでもないと思う。香芝さんには香芝さんの良さがあるし、月乃には月乃の良さがある。


「ま、いまはそれで良いですけど……」


 いまは? よくわからんが……。


 とりあえず、月乃をデートへ誘うか。


 催眠を解除する。現実へ戻ってきた月乃は、ぱちぱちと目を何度かしばたたかせていた。


「デートしようぜ」


「は? 何言ってんの?」


「デートしようぜ!」


「……だから、何言ってんの? 頭おかしくなった? 病院行く?」


「デートしようぜ!!」


 心が折れかけていたけれど、勢いで押し通してみた。


 すると、月乃は下を向いて、もじもじしはじめた。


「そんなに行きたいんだ」


「行きたいぜ! 月乃とデートしたいぜ! マジで!」


「大声出さないでよ。恥ずかしい。きかれるでしょ」


「きかれると言っても、このあたりには俺とお前の家しかないけどな」


「家族にきかれるのが一番最悪なんだって。最近、あんたの家に行くことが増えてから、お母さんにも、お父さんにも、いろいろ言われるし……」


「何を言われるんだ?」


「言いたくない」


 言いたくないのであれば、それ以上は追求しないことにしよう。


「デート……だよね。どこに連れていってくれるの?」


「ボウリングだ」


「ふーん。まあ良いんじゃない」


「一応言っておくが、穴を掘らないほうのボウリングだ」


「当たり前でしょ!」


 怒られてしまった。


 それから俺たちはバス停へと歩いていった。途中、月乃が、不意に俺の手を握った。一瞬、握りつぶされるのではないか、と思ったけれど。そんなことはなかった。なんと言って良いのかわからないまま歩きつづける。二人並んで、無言のまま進んでいく。


「勘違いしないで」月乃は、まっすぐ前を向いたまま、そう言った。


「勘違いって、何がだ?」


「あんたがデートしたいって言うから。デートっぽいことをしてあげようと思っただけ」


「そっか。ありがとう」


「うん……」


 なんだか調子が狂う。いつもの月乃とは違う。しおらしいと言うのか……。うーむ。普段の月乃は、もっと怒りっぽい。どこに地雷が潜んでいるかわからないところが魅力なのだが。


「それは明久さんが、怒らせるようなことばかり言っているだけでは?」


 それはそうなのかもしれない。


 バスに乗り、ボウリング場へと向かった。学校から少し離れたところに、そのボウリング場はある。カラオケやリサイクルショップ、それに漫画喫茶などの店が並んでいる。 学校帰りに、よく生徒たちが遊びに行く場となっていた。今日も、同じ学校の生徒たちで混雑しているようだった。バス停からボウリング場を目指して歩く。ちらちらと、同世代と思われる若者から視線を向けられる。


「手、繋いだままで良いのか?」


「明久は、わたしと手を繋ぐの、嫌?」


「嫌ってわけじゃないけどさ」


 なんというか、恥ずかしい。


「やっぱり嫌なんだ」


「嫌じゃないって」


「繋ぎたいか、繋ぎたくないかで言ったら?」


「繋ぎたい?」思わず疑問形になってしまった。


「明久が繋ぎたいって言うから、仕方なく繋いであげる」


「……ありがとう?」


 よくわからない会話の展開である。


 とりあえず、俺の要望で(?)手を繋いだままボウリング場を目指すことになった。


 さて。ボウリング場は、それほど混んでいるわけではなかった。待ち時間はなく、球を転がす場所へと案内される。


「球を転がす場所のことをレーンと言います」


 物知りのイプノスだった。レーンな。オーケー。


 月乃と二人で椅子に座り、無言のまま時間がすぎる。


「……球、投げないのか?」


「やり方知らないし」


「俺も知らん」


「ボウリングのルールも知らないのですか……」とイプノスが呆れたような口調で言った。


 結局、イプノスがルールを教えてくれた。どうやら交互にボールを投げ、たくさんピンを倒したやつが勝ちらしい。


「じゃ、俺から行くぜ」


 一投目。ゴロゴロと転がって、脇の溝へと落ちていった。うーむ。なかなか良いボールだったんじゃないか? 溝は何点だ?


「ゼロ点です!」


 厳しいゲームである。


 次に月乃がピンク色のボールを手に持った。


「うわ、重い。こんなに重かったっけ」


「赤子の頭くらい重いよな」


「いや、赤ちゃんの頭の重さとか知らないけど」


 俺も知らん。適当に思いついたことを言っただけだ。


 月乃はボールをゆっくりと持ち上げ、頭上へ掲げた。


「いや、待て待て。その投げ方は違うと思う」


「え? 違うの?」


「ほら、隣のレーンを見てみろよ。ああやって転がすんだって」


 隣のレーンには女子高生の連中がたむろしてやがった。そいつらは月乃のフォームを見て、笑いをかみ殺している。月乃はよくわかっていないようだったが、見よう見まねで球をぼてっと落とす。そう。転がすというよりは、落とすといったほうが正しいだろう。


 コロコロと転がり、溝へ落ちていく。


「これは、何点?」


「芸術点は高かったと思うけどな」


「へえ。ボウリングって、芸術点とかあるんだ」


「あるわけないでしょう!」


 ないらしかった。


 その後、俺と月乃は存分に溝へボールを落としまくった。なかなかピンまでたどり着かない。どちらのほうがピンの近くで溝へ落ちるか、というゲームを楽しんでいたのだが。


「あの、お客様……。ガーター、埋めましょうか?」と店員らしき女が話しかけてきた。


「月乃、どうする?」


「えっと……その、ガーターとかいうのを埋めると、良いことあるんですか?」


「ええ、はい。ボールが溝に落ちなくなります」


「じゃ、それお願いします」


 少し待っていると、機械音がして地面がせり上がってきた。溝が埋まる。


 月乃はボールを手にして、その光景をじっと眺めていた。


「そういえばさ、昔も、こうやって溝を埋めてもらわなかったっけ」


「そうだったか?」


「ほら。わたしと明久が、ずっと溝にボールを落としててさ。芽依ちゃんも落としてばっかりで。そこで立夏りっかさんが店員さんに頼んでくれて……」


「ああ、そういえば、そうだっけか……」


 ちなみに、立夏というのは俺の母の名前である。


「楽しかったよね」


「ああ」


「わたしは、いまも楽しいけどね」


 そう言って、月乃はレーンに向かって歩いていき、ボールを投げた。


 いつものように、ボールはぼてっと落ちる。右の壁、左の壁とジグザグに転がっていく。


 そして、ようやくピンへとたどり着いた。ど真ん中に当たって、すべてのピンがドミノ式に倒れた。


「これで良いの?」


「たぶんな」


「あなた方はボウリングの楽しみ方を間違っています……」とイプノス。


 隣のレーンを見ると、同じようにピンをすべて倒している女子高生がいた。


 どうやらチーム戦をしているようで、同じチームの子とハイタッチを決めている。


「わたしたちも、してみる?」


「ああ……」


 そういうわけで、俺と月乃はハイタッチをした。というか、同じチームではなく対戦相手なのだから、ハイタッチをするのは変だが。まあ良いか。


 それから俺たちはボールを投げつづけ、ようやく一ゲームが終わった。点数に関してはよくわからない。途中で俺の番のときに月乃が投げたり、月乃の番で俺が投げたりしたからだ。 どうやらボウリングというのは投げる順番が決まっているらしい。イプノスに教えてもらったのだが、ルールがいまいち理解できなかった。今後の課題としておこう。

 靴とボールを返却し、ボウリング場を後にする。


 バス停へ向かって歩いていると、再び月乃が俺の手を取った。


「今日の明久、やさしい」


「そうか? 普通だと思うが」


「可愛い」


「可愛いはやめろ……」


 コンプレックスなのだ。


「なんで、わたしをデートに誘ったの?」


「なんでと言われてもなぁ」


 強いて言えば、地球を救うためだった。

 たくさん手を繋いだし、ハイタッチもした。ばっちりアモーレが貯まっているはずだ。


「よくわかんない。明久は、どうしたいの?」


「月乃と……仲良くなりたい……んだと思う。たぶん」


「そっか」


「嫌か?」


「嫌じゃない。全然。嬉しい……かも」


「嬉しいなら良かった」


「うん」


 いつになく素直な月乃だった。そして、俺もちょっと素直だった。


 そのまま手をつなぎながら無言で道を歩いていると、不意に視線を感じた。誰かに見られているような気がした。視線を向けてみると、そこにいたのは香芝さんだった。女子のグループで歩いている。

 香芝さんは、じっとこちらを……俺と月乃を見ていた。

 そして俺の視線に気づいたのか、視線を外して去っていった。


「どうしたの? 誰かいた?」


「……いや、なんでもない」


 そう答える他なかった。

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