第三章 Ironically, despite their best endeavors, their mission resulted in complete failure.

第21話 まあ、巨大赤竜に殺されましたけどね。

 一月二十日、月曜日。朝、俺は靴箱で上履きへと履き替えていた。隣で靴を履き替えはじめた女子生徒がいた。香芝さんだ。いつもであれば、香芝さんから声をかけてくれるのだが……。今日は俺の存在に気づいていないのか、さっさと履き替えて去っていこうとする。


「おはよう」と勇気を振り絞って声をかけてみた。


 香芝さんは、こちらをちらりと見たあと、表情を変えずに下足場から去っていった。


 慌ててその後を追い、隣を並走する。


「あの……おはよう」


「おはようございます」と香芝さんは抑揚のない平坦な声で応えた。


「あのさ、なんか怒ってる……よな?」


「いいえ。まったく」


「昨日のさ、あれは、なんていうかさ……」


 廊下の途中で立ち止まり、香芝さんは鋭い視線を俺に向けた。


「怒ってるわけないじゃん。わたしと浅見くんって、ただのクラスメイトなだけだし。浅見くんが幼馴染みの子とイチャイチャしてても、わたしにはまったくなんの関係もないもんね」


「いや、なんというか、あれは世界を救うために必要な行為で……」


「何言ってんの? わけわかんない」


 まあ、妥当な反応である。世界を救うなんてバカみたいな話、信じられるわけがない。


「なんていうかさ、浅見くんに怒ってるわけじゃないんだよね」


「あ、そうなんだ」


 少し気が楽になった。


「浅見くんのことを、少し気になってた自分に腹が立ってるだけだから」


「気になってたんだ」


「なってないけどね」


 どっちだよ。


「とにかくさ、もう、しばらく話しかけないでほしいな」


 そう言って、香芝さんは去っていこうとした。


「ちょっと待ってくれ」


 追いすがり、さらに並走する。


「待たない」


「待ってくれないと泣くぞ」


「……小さな子供じゃないんだから」香芝さんは足を止めて、再び俺のほうを向いた。「何?」


「俺、月乃とは、そういう関係じゃなくってさ。あれは幼なじみというか。そう、俺にとって月乃ってのは、妹みたいなもんだよ」


「それがどうしたの?」


「どうしたっていうか、気にしないでほしいっていうか」


「無理に決まってる。つきあってない? 幼なじみ? だから手を繋いで歩いてますって? ばっかみたい。浅見くんはどうだか知らないけど、西條さんの気持ちもちゃんと考えたら?」


 月乃の、気持ち……。


「わたしのことは良いから、ちゃんと西條さんと向き合いなよ」


「でも、あいつには彼氏がいるんだ」


「だから何? 彼氏がいるのに遊んでて良いの? 西條さんには彼氏がいるから、仕方なくフリーのわたしに手を出そうとしてたの?」


「そういうわけじゃなくて……」


「浅見くんが何を考えてるのか、全然わかんない」


 俺は何も言えなかった。考えていることはある。だけども、言えなかった。

 世界を救うために、月乃とデートをしているなんて。

 そんな荒唐無稽なこと、信じてもらえないだろうから。


「やっぱり何も言わないんだね」そう言って、香芝さんは去っていった。


 もう後を追いかけることもできない。俺は深く息を吐いた。教室へ行く元気がなかったので、そのまま校舎から出た。人気のない校舎裏の道を、ゆっくりと進んでいく。


「……気を落とさないでください」


 イプノスが俺の頭の上に乗り、小さな手で頭を撫でてくれていた。


「嫌われちまったよ」


「なんというか、すみません」


「お前が謝ることじゃないよ」


「アモーレを貯めるという使命がなければ、香芝さんとの仲もうまくいったかもしれません」


「可能性の話をしても仕方ないさ。そもそも、お前が地球に来てくれてなかったら。催眠能力を俺が手にしてなかったら、香芝さんとはいまほど仲良くなれてないんだ。だから、これはずるをした報いなんだろう。ちゃんと、自分の力で向き合わなかった報い。そう思えば、べつに傷ついたりもしないさ」


 イプノスは何も言わず、俺の頭を撫でつづけた。


「どうせ、最初から無理な組み合わせだったんだよ。クラスで浮いてて、友達が誰もいなくて。ずっとひとりでいる俺みたいなやつと、クラスの中心にいて、友達がたくさんいる香芝さん。対等な人間関係なんて築けるわけがなかったんだ。だから、べつに傷つく必要もないんだ。元通りになっただけ。それだけなんだから」


「……ちょっと待っていてください」


 そう言って、イプノスが俺の頭から飛び降りた。空中で紫色の光を発し、小学生くらいのサイズへと戻っていた。そして、俺の近くへ歩いてきた。


「頭を下げてください」


 言われるがまま、屈んで頭を下げると。


 イプノスは、ゆっくりと頭を撫でてくれた。


 途中でチャイムが鳴っていた。朝のホームルームがはじまってしまった。


「……お前、大きくなれたんだな」


「少々アモーレを使ってしまいましたけど」


 校舎の壁にもたれている俺の隣で、イプノスが同じように立っていた。


「アモーレの無駄使いだな」


「明久さんを慰めるためです。無駄ではありません」


「俺がダメになったら、困るもんな」


「それもありますけど……。やっぱり、私のせいでもありますから」


 俺はそのとき、ずっと考えていたことを尋ねることにした。


「なあ。イプノスは、なんで地球を救おうとしてくれてるんだ?」


「使命だからです」


「それだけなのか? 眠りの神様だかなんだか知らないが、そいつに命令されたから?」


「そうですね。もともと、私もあなた方のような知的生命体だったのです」


「いまは違うのか?」


「いまは知的精神体です」


「どう違うんだ?」


「明久さんたちの使う言語では説明が難しいです。簡単に言えば、私は物質的な肉体を持っていません。ここにある体は、かりそめの姿に過ぎないのです」


 よくわからないが、まあ、よくわからないということだけはわかった。


「私も明久さんたちのように、ある綺麗な星に生まれ、そこで育っていました。争いもなく、幸せに暮らしていたのですが。そこに、巨大赤竜が襲ってきたのです」


 俺は黙って話をきいていた。


「大地が割れ、世界中が火に包まれ……。私と姉を残し、すべての種族が死に絶えました。そんなときに私と姉を救ってくれたのが、眠りを司る者だったのです。それ以来、私と姉は、明久さんたちのような知的生命体を救うための活動をしている……というわけです」


「……そっか。お前、姉さんがいたんだな。そいつも美人なのか?」


「はい。少し前まで、この地球を守っていたのですけど」


「ふーん。それはありがたい話だな」


「まあ、巨大赤竜に殺されましたけどね」


「え?」


「ですから、地球を守るために私がやってきたのです。姉の代わりに」イプノスは俺の顔を見上げて、微笑んでみせた。「明久さんたちのような知的生命体を救うことで、当時の私も救われた気持ちになる。それから、姉の敵討ち。これが私の戦っている理由ですかね」


「……ありがとうな」


「やめてください。湿っぽいのは終わりです」


 そう言って、イプノスは紫色の光を発し、いつものサイズに戻った。


 手のひらサイズの、可愛らしい天使の姿に。


「最後まで、諦めないでくださいね」


「ああ」


「明久さんには言ってませんでしたが……実は、巨大赤竜が接近してます」


「……そうなのか」


 香芝さんとの件は、地球を救ってから悩めば良い。いまはただ、アモーレを貯めることに注力しよう。俺は、そう決意したのだった。

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