第12話 うーん。月乃のスカートのなかに隠れて、そのまま家に帰るというのはどうだろうか?

 放課後。保健室のベッドで三十分ほど横になっていると、ドアのスライドする音がきこえてきた。誰か生徒が入ってきたらしい。こちらからはカーテンが敷かれていて、外のようすがわからない。保健の先生は十分程前に、少し席を外すと言い残して保健室を出ていっていた。

 先生が帰ってきたのだろうか、と思っていると……。

 足音が近づいてくる。カーテンが少し開いた。そこに現れたのは月乃だった。


「……よう」と俺は声をかけた。


「香芝さんから、あんたが倒れたってきいたから」


「心配して、来てくれたのか?」


「心配ってわけじゃないけど。あんたと家近いの、わたしくらいだし。一緒に帰ってあげても良いっていうか」


 家が近いっていうか隣同士だしな。


「じゃ、一緒に帰るか」


「もう動いて大丈夫なの?」


「まったく問題ない。ばっちり。完璧だ」


 結局、月乃と一緒に帰ることになった。保健室を出てからバス停まで、ずっと無言だった。何を話せば良いのかわからない。気まずい。昔は、もっと気楽に話ができていたはずだが……。俺たちの関係は、すっかり変わってしまったのだ。

 無言で待っているとバスが到着した。ふたりで乗り込み、二人がけの席に並んで座る。

 いったい、月乃は何を考えているんだろう。


「催眠術を使って、きいてみるのはどうでしょうか?」


 その線でいくか……。


 さすがに急性アモーレ中毒は勘弁である。今回は性的な接触は一切なしでいこう。


「なあ」


「なに」


「これを見てくれ」


 俺は、そう言って眠りの指輪を月乃に見せた。紫色の光が車内に満ちていく。

 いや、ちょっと待て。たしか、これって周囲の人間には催眠が掛からないんだよな?


「その通りです。その光は西條さんにしか見えていません。効果も西條さんだけです。周囲にはなんの影響もありません。派手なことをしたらいけませんよ」


 俺が倒れていたこともあり、生徒の下校時刻からずれている。車内に学生はおらず、利用者もそれほど多くない。派手なことをしなければ問題にはならないだろう。


 俺は、隣に座る月乃を見た。


「質問に答えてほしいんだけど、いま、何を考えてる?」


「特に考えていない。楽しいって思ってる」


「楽しい? 帰ってるだけなのにか?」


「そうだよ」


 うーむ。下校が楽しいというのも不思議な話だ。


「何かしたいことでもあるのか?」


 家に帰ってからしたいことがあって、それを楽しみにしているのかと思ってきいたのだが。


「明久と手が繋ぎたい」月乃は、そう言った。


「うん? なんて?」


「明久と手が繋ぎたい」


 聞き間違いかと思ったが、二度も言った。よくわからんが、俺と手を繋ぎたいらしい。


「繋いだら良いのでは? アモーレが貯まりますし、それくらいならば急性アモーレ中毒になることもないと思いますけど」


 イプノスは簡単に言うが、それほど単純な話でもない。

 しかし、世界を救うためにはアモーレが必要なのも事実だ。


 俺は少し考えたが……結局、月乃と手を繋いでみることにした。月乃は窓際の席である。手を両膝の間に置いていた。俺は月乃の左手を、右手でそっとつかんでみた。柔らかい。最近、女子の体をさわって、柔らかいしか言ってないな……。ボキャブラリーが足りてなさすぎるかもしれない。


「なあ、何を考えてる?」


「幸せだなって考えてる」


 手を繋いだだけで幸せになるなんて、軽い女だった。


「いえ、明久さんもアモーレが良い感じに貯まってますよ。西條さんと手を繋いでることに幸福を感じているようです」


 どうやら俺も軽い男らしかった。


 催眠状態の月乃と特に会話もないまま時間が過ぎていった。バスはゆっくりと丘を上っていく。我が家まで、あと十分程度。このまま、何もせずに帰ってしまっても良いのだが。どうせだし、なにか変態行為に及びたいものだった。


「やめましょう。また急性アモーレ中毒になりますよ」


 大丈夫だ。ぎりぎりのラインを攻めるからな。


 そうだな。うーん。月乃のスカートのなかに隠れて、そのまま家に帰るというのはどうだろうか?


「どうだろうか、じゃないですよ! 何を言ってるんですか!」


 いや、だから言葉通りだよ。俺が月乃のスカートのなかに隠れて、そのまま家に帰るんだ。月乃のお尻を見ながら家に帰れるんだ。素晴らしいと思わないか?


「明久さんの発想力には、つくづく驚かされます……」


「褒めるなって。照れるだろ」


「まったく褒めてません! そもそも、その短いスカートのどこに隠れるのですか。どう考えても無理ですよ」


「催眠能力で、月乃には俺が認識できないようにしてさ……」


「周囲から見たら、スカートのなかに顔を突っ込んでる、ただの変態じゃないですか」


「うちの近所は店もないし、誰にもばれないって」


「明久さん、声が出てますよ」


 うわぉ。独り言をつぶやいているやばいやつになってたぜ。というか……指輪が光を失っている! 催眠が解けてるじゃねえか! どうしてだ!


「明久さんが催眠対象から意識を外したせいです」


 やべえ! 手を繋いだままだし!


「……あの、月乃さん?」


「何? いきなりさんづけなんて、バカにしてる?」


「そういうわけではないんですけどね。ほら、なんというか、手が……」


「どうかした?」


「いえ、べつに……良いんですけど……」


 月乃は車窓を、ぼんやりと眺めていた。木々の緑が流れ去っていく。


「怒らないのか?」


「何が? 怒ってほしいの?」


「怒らないなら、それで良いんだが……」


 普段の月乃なら、俺が無断で手を繋いでいたら怒るだろう。きっと。それにしても、催眠状態でもないのに手を繋いでるなんて不思議な気分だ。少しだけ、昔の俺たちに戻れたような気がした。まあ、気のせいなんだろうけど……。


 俺は、ふと思いついたことを言った。


「なんか、懐かしいよな」


「何が?」


「小さな頃、こうやって遊びに行ったこと、あったよな」


「たしかにね」


 近所の公園へ出かけるときは、いつも俺が月乃の手を引っ張っていったのだ。そのときのことを思い出す。あの頃は母さんもいて。芽依もついてくるようになって。本当に幸せだった。


 そのとき、不意に月乃が俺のほうを向いた。


「手、大きくなったね」


「お前も成長したな。胸以外は」


 ぎゅっと、力一杯、繋いでいた手を潰される。


「いてえ!」


「大きな声を出さない」


「お前が出させたんだろ!」


「バカ……」


 月乃は怒っているようだったが、いまだに手は握られたままだった。白くて柔らかい手。

 手を握っているだけなのに、たしかに幸せな気持ちになれた。

 しかし、月乃には彼氏がいるのだ。本来は、俺の手を握っていてはいけないはず。

 他の誰かが、月乃の手を握っているのだ。そう考えると、辛いものがあった。


「あのさ」という月乃の声で我に返る。


「なんだ?」


「いままでも、これからも……。わたしたちがおばあちゃんとおじいちゃんになっても、こういう風にいられたら、良いよね」


「あ、ああ。うん。まあな」


 彼氏がいるにしては、なんというか俺を勘違いさせるような台詞だった。


「まあ、明久さんが頑張らないと地球は滅びます。老人になることもできませんがね」


 世知辛い話だった。頑張ろう……。


 結局、バスを下りるまで、俺と月乃は手を繋いだままだった。

 最後、別れ際に。


「明日の朝だけど。久しぶりに、起こしにいってあげよっか」


「え?」


「嫌なの?」


「嫌ではないが……」


「じゃ、そういうことだから」と言って、月乃は西條家へと去っていった。


「どういうことだ?」


「わかりません」


 わからないことだらけだった。

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