第二章 The man must be insane. He can't distinguish vice from virtue.

第11話 俺、次に生まれ変わるときは椅子にするわ。

 一月十七日、金曜日。六時間目、日本史の授業中。


 俺はぼんやりと黒板を眺めていた。

 教師は途中で自分の話に夢中になってしまっている。

 多くの生徒がうんざりしたようすで黒板を眺めていた。寝ているものも多い。

 そんななか、香芝さんはノートの切れ端で折り鶴をつくっていた。自由な女だ。

 うーん。今日は一日、策を練っている間に時間が過ぎてしまった。催眠能力を使って、うまいこと香芝さんとエロいことができないだろうか……。ずっとそのことについて考えていたのだった。やっぱりキスとかしたいよな。めちゃくちゃアモーレ貯まりそうだし。


「関係性を進展させていない限り、急性アモーレ中毒で命を落とすでしょう」


 危険すぎるだろ。もし、うっかり俺がこけた先に香芝さんの唇があったら人生終わりじゃん。


「欲望に基づいた行動ではなく、単なる事故であれば、それほどアモーレも貯まらないはずです。さっきの例では急性アモーレ中毒になることもないと思いますけど」


 それなら安心だが、一応、気をつけておいたほうが良いな……。


「それに、関係を進展させる上で、キスよりも先にすることがあるでしょう」


 わかってるって……足の指を舐めるとかだろ?


「冗談で言っているんですか? それとも、単にアホなだけですか?」


 もちろん冗談に決まってるさ。今度は真剣に考えてみることにする。うーむ……そうだ。手の指を舐めるとかはどうだろうか?


「どうだろうか、じゃないです! 何も変わってないです!」


 いやいや、足の指を舐めるのはアブノーマルだけど、手の指はノーマルだろ。


「どちらもアブノーマルですよ! 明久さんは常識がなさすぎます!」


 地球に来てから三日目の天使には言われたくないものだった。人間界では俺のほうが先輩だ。


 まあ良いや。とりあえず、俺のほうから接触しなければ、急性アモーレ中毒にはならないわけだ。


「まあ、そういうことになりますかね……」


 なるほどな。最強のアモーレの貯め方を思いついたから、早速、放課後に見せてやるぜ。


「心配です……」


 大丈夫だ。安心しろ。俺に任せておけ。


「まったくもって安心できませんが……」


 六時間目の授業が終わる。ホームルームのあと、教室を出た香芝さんのあとをつける。階段を下りていき、靴箱の近くでひとりになったのを見計らって話しかける。


「香芝さん。ちょっと話があるんだけど、良いか?」


「え? あ、うん。良いけど。告白以外なら」


「そんなに告白されたくないのか……」


「だって振るの可哀想なんだもん」


 完全に振ること前提で話が進んでいた。


「いや、告白じゃなくてさ。ちょっと相談があるんだ」


「わたしに相談か~。恋愛相談なら任せて!」


「香芝さんって、恋愛経験、豊富だったりする?」


「ううん。全然」


 ダメじゃん。


「ちょっと人前ではしづらい相談なんだよな。ついてきてもらって良いか?」


「良いよ~。もしかして、犯罪の相談だったりする? ストーカーとか」


「違う」


 どうも、香芝さんは俺のことを犯罪者予備軍か何かだと勘違いしているらしかった。

 クラスメイトの大半からそのように思われているのであれば、ゆゆしき自体である。


 とりあえず香芝さんをつれて、俺は階段を上っていった。屋上へとつづく扉の前の空間。たしか階段室とかいったか……。ほとんど誰にも使われていないようで、少しほこりっぽい。いまは使われていない、型式の古い机や椅子が積まれていた。


「こんなところ、学校にあったんだ」と香芝さん。


「ああ。昼休みにここで時間を潰したりするんだ」


「え? ひとりで?」


「ひとりで」


「へぇ……」


 なんだか哀れまれているような気がした。


「それで、相談って何? 友達の作り方を教えてほしいとか?」


「これを見てほしいんだ」


 俺はそう言って、眠りの指輪を香芝さんの眼前に掲げた。祈りを捧げると、紫色の光が周囲に満ちていく。香芝さんの目がとろけはじめ、催眠状態へ陥ったことがわかる。


 そして俺は、近くに置いてあった木製の椅子に腰を下ろした。


「俺はいまから椅子だ。香芝さんは、俺の上に座ってくれ」


「……明久さん、何を言っているんですか?」と俺の肩に座るイプノスが突っ込みを入れる。


「俺の素晴らしい作戦を黙って見てろ」


 香芝さんは俺の命令に従い、俺の上に腰を下ろす。


 イプノスは呆れたような顔でこちらを見ていた。


 俺が考えたのは、香芝さんを合法的に抱っこする技だった。抱っこさせてくれ、と頼んでも拒絶されてしまうかもしれない。ところが、俺を椅子と認識させてしまえば拒絶されることもないのだ。ずっしりとした重みがあって、素晴らしい。


「女子に重みとかいうのは禁句だと思いますけど……」


 しかし柔らかい。こんなに柔らかい物質が世界に存在しても良いのだろうか。いやぁ、それにしても幸せだ……。こんな幸福がこの世界にあったなんて……。


「俺、次に生まれ変わるときは椅子にするわ」


「生まれ変わるも何も、世界が滅んだら転生できなくなりますけど」


 それもそうか。シビアな話である。


 さっさとアモーレを貯め、巨大赤竜とかいうやつを倒さなければならないのだった。

 そしてなんとか次の人生で椅子へ転生するのだ。それが俺の目標だ。


「椅子になりたい、という人間も珍しいですねぇ……」


 極々普通の発想だ。全男性の八割くらいは椅子になりたいと思っているはずだ。


「そんな世界、滅んでしまえ……」とイプノス。


 まあ、それは良いとして。


「俺からさわってるわけじゃないから、急性アモーレ中毒にはならないんだよな?」


「基本的には、明久さんが性的に興奮していなければ大丈夫です。ただ、アモーレは大して貯まっていません。アモーレは人と人のふれあいによって、心が通じ合ったときに生まれるもので……あれ? 急にアモーレが貯まりはじめてますね」


「俺の息子がやや隆起しつつあるんだが、これは急性アモーレ中毒になるだろうか?」


「なりますよ! たわけさん! 何勃起してるんですか!」


「いやいや、するだろ。普通に。健全な男子高校生を舐めんなよ。香芝さん、めっちゃ柔らかいし、すっごく良い匂いするし、もう、最高なんだぜ。勃起くらいするだろ」


「まず、明久さんは不健全な男子高校生です。いやいや、そんなことを言っている場合ではありません。さっさと性欲を抑えてください! 明久さんの精神が不安定になると、アモーレの許容量が落ちます。急性アモーレ中毒になってしまいます!」


「そんなこと言われてもな。なんかうまいこと興奮を抑える方法はないものか……」


「明久さんの母親の裸でも想像してください!」


「いや、うちの母さん死んでるし……」ほんのり……しなしな。「まあ、母さん、結構美人だったから、頑張れば勃起できないこともないが」


「頑張らなくていいです! このたわけさん!」


 とか言っている間にも興奮は収まらない。完全に硬くなってしまっていた。


 そのとき、すっと香芝さんが立ち上がった。その瞳は眠たげで、まだ催眠状態は継続しているようだが……。香芝さんは、大きく右手を振りかぶった。


「来ます! 耐えてください!」


 とっさに手でガードしようとした、その瞬間。

 強烈な頭痛。ほぼ同時に、平手打ちを食らう。俺は椅子から転落し、ついでに階段を二段、三段と転げて落ちていった。痛い痛い痛い。……痛い!


「あれ? 浅見くん? なんだっけ……。いま、お尻、さわられたような」


 イプノス、頼むぜ……。


「仕方ないですねぇ……」


 イプノスは、いつものように紫色の光を発し、事後処理をはじめる。


「さきほどの出来事は、すべて夢です……」


「夢……」


 そして十秒をカウントし、ゼロになったところで催眠を解除する。


「えっと、浅見くん、そんなところでどうしたの?」


「ある女子生徒に頬を叩かれ、その勢いで階段を転げ落ちたんだ」


「うわ、そんなひどい女の子いるの?」


 きょろきょろと周囲を見回す香芝さん。


「犯人、逃げちゃったみたいだね」


 いや、お前だけどな。犯人。


 香芝さんが近づいてきて、いつものように手を差し伸べてくれた。


「ほら、起きて。頭痛いの? 打った?」と俺の頭に手を伸ばし、撫でてくれる。「たんこぶはできてないみたい。あれ? 頭を打ったときって、たんこぶができてたほうが良いんだっけ。まあいいや。とりあえず、保健室だね」


「悪いな」


「良いよ。気にしないで~。わたし、人助けって嫌いじゃないからさ」


 香芝さんは素晴らしい人だった。俺の頬を何度も叩くけれど。


「原因をつくっているのは明久さんですけどね」


 それはその通りである。


 俺は香芝さんに肩を借りつつ、一階にある保健室を目指して階段を下りた。


「こうやって肩を借りているときが、もっとも良い感じでアモーレが貯まってますよ」


「そういう作戦だぜ」


「嘘をつかないでください」


 ばれたか。

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