第3話 柔らかい。ナイスおっぱいだ。

人形が動いたのには心底驚いた。


「うわっ!」と思わず声が出た。


 人形が生きてる? いや、まさか……。そんなわけは……。


「助けてください……」という声が、直接、脳に響いたような気がした。


 よくわからんが、俺はゆっくりと地面を掘り起こしていった。足につづいて、白い服が出てくる。そして手と。顔と。ようやくすべてを救出し終えたが、泥にまみれて何がなんだかよくわからない。泥まみれになったそいつは、ぶるぶると顔を振った。


「助かりました」


「お、おう……」


「このような姿ですみません。ちょっと待ってください」


 そいつは、一瞬、紫色の光を発した。

 まぶしくて何も見えない……と思った瞬間。可愛らしい小さな人形が、宙に浮いていた。

 その人形は、天使の姿をしていた。背中には白い羽が生えている。

 頭には金色の輪っか。纏っているローブは純白だ。そして、そのローブに負けないほどの白い肌。あまりにも美しい人形が、宙に浮いていた。人形は、ゆっくりと目を開く。青い瞳。なんだかその姿を見ていると、懐かしいような……そんな気がした。


「私の名前はイプノスです」ゆっくりと人形の口が動いていた。「眠りを司る者です」


「……俺は浅見明久あさみ あきひさ。特に何も司ってはいない者だ」


 混乱のあまり、おかしな返答になってしまった。


「明久ですか。良い名前ですね」


「お前、なにもんだ?」


「だから、イプノスと名乗ったでしょう。もう忘れたのですか?」


「いや、そうじゃなくて、種族というかさ」


「天使です」


「天使」


「そうです。なにか文句ありますか?」


「いや、ないけど……」


 あまりにも荒唐無稽だ。まったくもって信じられない。

 しかし、俺の目の前に人形サイズの何者かがいることはたしかだ。俺の頭が、ついにおかしくなってしまったのだろうか……。いや、生まれつき結構おかしいのは自覚しているけどさ。などと考えていると。


 イプノスと名乗る人形(自称天使)が、ふらふらと揺れ、俺のほうへと墜落してきた。

 俺は、慌てて手でその矮躯を受け止める。


「すみません……。少々手負いでして」


「そうか。最期に、何かしてほしいことはあるか?」


「勝手に殺そうとしないでください! 少し休めば回復します!」


「そっか。じゃあ、すべて見なかったことにして、ここに置き去りにしても良いな?」


「良いわけありません! 私は、この地球を救うために使わされた天使なんですよ!」


「へぇ……」


「信じていませんね?」


「地球を救うにしては小さすぎだろ。どう見ても」


 タイマンしたら、地球の犬にさえ負けそうだ。


「これは仮の姿です。さきほどの戦いで、力を失ってしまったのですよ」


「戦いって、何と戦ってるんだ?」


「竜ですけど」


「竜」


 俺は思わずつぶやいてしまった。天使につづいて、どうしようもない単語である。現実世界とは相容れない。まったくもってバカらしい。

 とはいえ、俺の手の上に天使が載っているというのも、また事実なのだった。


「とりあえず、俺の部屋、来るか?」


「良いのですか?」


「まあな」


 得体の知れない謎の生物を部屋に入れるのは抵抗があった。しかし、このイプノスとかいうやつは、まあまあ可愛いし。体も小さいし。俺に危害を加えてこないような気がした。俺はイプノスを慎重に両手の平に載せ、リビングへと戻った。


「あ、兄さん、どうだった?」


 芽依はジャージに着替え終わり、リュックを背負っていた。どうやら逃げる準備は万端らしかった。


 俺はすぐさま、イプノスを着ていたフリースのポケットへ突っ込んだ。


「うぎゃ!」という声がポケットのなかからきこえてきたが、無視する。


「うぎゃ?」と芽依が首をかしげていた。


「雨儀や、だな。雨儀って知ってるか? 雨のときに儀式を省略することだ」


「へぇ。しらないけど。なんで、雨儀やって言ったの?」


「空見てたんだけど、明日雨降りそうだったからな。儀式があったら延期になるな、と」


「ふーん。なんか、嘘ついてるでしょ」


 芽依は俺をにらんでいた。


「ついてないよ」


「兄さん、嘘ついてるときって、すぐに変な知識を披露して誤魔化そうとするもん」


 ばればれだった。


「何かあった? 大丈夫?」と芽衣は心配そうに言った。


「いや、なんでもない」


「何か落ちてた?」


 庭に天使が落ちてた……とは言えない。さすがに。間違いなく病院行きだ。


「ま、気にするな。心配無用だ」


「本当?」


「たぶん……」


 天使とか見えてるし、大丈夫じゃないかもしれないけど。


 結局、俺はイプノスを連れて自分の部屋へと戻った。


 パーカーのポケットがもぞもぞと動き、イプノスが飛び出してきた。


「潰れるかと思いました!」


「悪い悪い。妹に見られてたら、どう誤魔化すか難しいだろ」


「私は、あなた以外には視認されないように姿を隠せるんです!」


「先に言えよ」


「言う前にあなたが私に乱暴を働いたんでしょう!」


「その表現はやめろ」


 きわどい表現をするやつだ。


 俺は自室のリクライニングチェアに腰を下ろした。イプノスは机の上に置いてあった、ティッシュケースの端に腰を下ろす。


「さきほども名乗らせていただきましたが、イプノスです。改めてよろしくお願いします」


「ああ。よろしく……。というか、お前、なんなんだ?」


「眠りを司る神の使いです」


「それはきいた。天使だっけ? なんつーか、荒唐無稽っていうかだな。あまりにも現実味がないというか」


「しかし、こうして実在していますでしょう?」


 そう言って、イプノスは軽やかに宙を舞った。彼女の小さな小さな手が、俺の手にそっと触れる。感触が、ちゃんとあった。


「幻覚ってわけじゃ……なさそうだな」


「はい。私は実在しています」


 イプノスは空中浮遊をしながら胸を張っていた。


「えい」

 俺は人差し指でイプノスの胸部に触れてみる。柔らかい。ナイスおっぱいだ。


「何をするんですか!」

 イプノスが俺の指にかみついてきた。


「いってえ!」


 小学生の頃、ハムスターに噛まれたのを思い出した。いまは亡きハム蔵……。


 イプノスは再びティッシュケースの上に戻り、そっぽを向いていた。


「やっぱりお前、ちゃんと存在してるんだな」


「してますよ!」


 まあ、胸もさわらせてもらったことだし、存在を信じないわけにもいかない。

 そういえばファーストタッチか……。

 はじめてさわった胸が、この小さな天使の胸なのか……。はぁ……。


「どうしました? 元気がないようですけど」


「いやな。俺のはじめてさわった胸が、こんな小さな女の胸かと思うと悲しくなってな」


「知りませんよ! 失礼な! それに、小さくてもちゃんと柔らかかったでしょう!」


「ああ。それに関してはナイスだったぜ。また、さわらせてくれよな」


「言っておきますけど、あなたのやった行為は犯罪です! 訴えますよ!」


「いや、日本において、天使って人権ないだろ。たぶん」


「むむ。たしかに……。法の穴をつきましたね!」


 つーか、話が先に進まん。謝っておくか。


「セクハラをしたのは悪かった。それで、お前、なんであそこにいたんだ? 空から降ってきたのか?」


「その通りです。エネルギーを使い果たしてしまい、着地に失敗したのです」


「お前のせいで俺の育ててたブルちゃんが亡くなったからな」


「ブルちゃんというと、ブルドッグ? 犬ですか? それは本当にすみません……」


「いや、ブルーベリーの木だけど」


「木くらいどうでも良いじゃないですか!」


「良くねえよ! 大切に育ててたんだぞ!」


「……それに関しては私が悪かったです。謝罪します。どうもすみません」


「まあ良いけどさ。それで、お前、なんで墜落したんだ?」


「宇宙空間で敵と戦っていたんですけど。知的生命体の魂を好物とする『火のように赤い竜』通称、巨大赤竜と」


「へぇ……。竜ねぇ……」


「まったく信じていない顔ですね……」


「いまどき竜とか言われてもなぁ」


「天使がいるんですよ。竜くらいいてもおかしくはないでしょう」


「そうかもしれないけどさぁ」


「とにかく、地球は巨大赤竜によって狙われています。それを救うのが、私の任務なのです」


「へぇ。それはありがたいことだ。頑張ってくれ」


「頑張りたい……ところなのですが、人間の助けが必要なのです」


 面倒な話になりそうな気がした。


「悪いけど、俺、実は天使アレルギーでさ。天使と一緒にいると、くしゃみが止まらなくなるんだ。そういうわけで、協力者は他を当たってくれるとありがたいんだが?」


「私をアレルゲンみたいに言わないでください!」


「とにかくさ、そういう面倒なのはパスだ」


「……まあ良いですけどね。そこまで言うなら、他の協力者を探します」


「そうしてくれ。俺じゃないといけないって理由もないんだろ?」


「この指輪を見てください」


 イプノスは小さな銀色の指輪をつけていた。その中央にある宝石が、紫色に光る。


「私は指輪の意志に導かれて、この地へと降りました。『眠りの指輪』は、あなたが協力者として相応しいと判断したようです」


「協力者って、具体的には何をするんだ?」


「次の戦いに備えて、エネルギーを貯めないといけないのです」


 面倒くせえ! 俺には、いろいろしなければならないことがあるのだった。アニメを見たり、ゲームをしたり、恋をしたり……。恋に関してはできれば良いな、という程度。実際にできるかどうかはわからないんだが。


「その契約って、クーリングオフとかできるのか?」


「無理ですー」


 笑顔で言い切りやがった。完全に悪徳商法のやつじゃん。


「あなたが協力しなかったら、地球が滅ぶんですよ!」


「そんなこと言われても、実感ないしなぁ」


「ダメですか?」


「可愛らしく言っても、ダメなもんはダメだ」


「そうですか。仕方ないですね。あなたと協力すれば、たくさんのエネルギーを獲得できたと思うんですけど。まあ、諦めて他の協力者を探すことにします」


「そうか。達者でな」


「明久さんも、お元気で」


 イプノスは軽く羽ばたき、ふわりと宙に浮いた。


「すみません。窓を開けてもらえませんか? 私の体には大きすぎまして」


「ああ……。一晩くらい、泊まっていってもいいけどな」


「ありがたいですけど。本日中に、契約者を見つけたいので」


 小さいくせに働き者である。

 なんだか、少しだけ協力してやりたい気もするのだが……。

 世界を救う、などという大それたことに、俺は関わり合いになりたくなかった。


「うーん。催眠能力を使いこなせる人が、近くにいると良いんですけど……」


「待て」


 俺は飛び去ろうとしていたイプノスの羽をつかんだ。


「うぎゃあ! 痛いです! 急に羽をつかまないでください!」


「いま、なんて言った?」


「羽をつかまないでください……」


 イプノスを手のひらの上に載せ、俺の目の前に移動させる。


「催眠能力?」


「ああ、そのことですか。この『眠りの指輪』の所持者は、催眠能力を得ることができるんです。説明してませんでしたっけ?」


「してねえよ! ちゃんと言ってくれないと困るぜ! まったく!」


「すみません。でも、そんなに怒るほどのことでもないと思うんですけど……」


「ひとつきいておくが、催眠能力っていうのは、あの、いわゆる催眠能力か?」


「そうですね。極々普通の催眠能力です。私が必要とするエネルギーは、アモーレといいまして。アモーレとは、人間同士の交流によって生まれる愛の力です。アモーレ回収の手助けをするため、協力者には、指輪に宿る催眠能力が与えられるのですけど」


 なるほど……。つまり、指輪の力で催眠能力を手に入れ、エロいことをすれば良いってわけだ。愛の力。アモーレ。最高じゃないか。


「わかった。そこまで頼まれたら仕方ない。俺が世界を救う手助けをしようじゃないか」


「べつにあなたが嫌なら、他の方に協力をお願いしますけど……」


「さあ契約しよう! 地球の未来は俺に任せろ!」


「変わり身が早すぎます! そこはかとなく不安です!」


「契約するぜ! どうすりゃいいんだ? お前とキスでもすればいいのか?」


 俺はイプノスをつかみ、そのまま口のほうへと近づけていった。


「やめてください! 口を近づけないでください! 食べられそうで怖いです!」


 イプノスは、ぱたぱたと羽ばたき、俺から距離を取った。


「まあ良いですけど……。契約しますか……ん? その指輪は?」


「これか?」


 俺は左手の薬指にはめた指輪をイプノスに見せた。


「なるほど。いまは力をなくしているようですが、かつては強大なエネルギーに満ちていたようですね。これは、どこで手に入れたのですか?」


「母さんの形見だけど」


「なるほど。もしかしたら、私の指輪は、あなたの指輪に惹かれたのかもしれません。この指輪を契約の媒介とすることで、私とあなたのエネルギー伝達効率が良くなるはずです」


「ふーん。効率が良くなったら、どういう良いことがあるんだ?」


「貯まるアモーレの量が増えたり、あなたの催眠能力が強化されたり……ですけど」


「じゃ、それで頼むわ」


「宝石の色が、灰色から紫色に変わりますけど、大丈夫ですか?」


「……まあ良いか」


 もともと、この宝石は母が生きていた頃は紫色だったのだ。亡くなってから、どういうわけが色がくすみはじめ、灰色に変わってしまった。指輪は本来の美しさを取り戻せるし。エネルギーとかも貯まりやすくなるみたいだし。一石二鳥である。


「さて、それでは契約をはじめましょう」


 そう言って、イプノスは目を閉じた。


「眠りの神よ……。力をお授けくださいませ……」


 イプノスのつけている指輪の宝石が、紫色に光りはじめる。妖しい紫色の光が、部屋中に満ちていく。この世のものとは思えないような、美しい光だった。


「明久さん。あなたのつけている指輪に、契約を誓ってください」


「契約って、どうやって?」


「なんでも良いです。それっぽいことを祈ってください」


 適当だな。


「……俺は契約する」


 そうつぶやいた瞬間、光がさらに強まった。視界が、すべて紫色に塗りつぶされる。目を閉じていても、尚、世界のすべてが紫色だった。そして、何も見えなくなり……。次に目を開けたときには、俺の指輪の宝石の色が変わっていた。紫色の宝石は、妖しくも美しい。かつての輝きを取り戻しているように思えた。


「契約完了です」


 イプノスは、にっこりと微笑んだ。イプノスの指にも、小さな指輪がはまったままだ。


 うーむ。ついに契約してしまった。なんかハメられた気がしないでもないが……。軽く右手で指輪をさわってみる。


「これで催眠術が使えるのか?」


「そうです。指輪に念じると、紫色に光りまして。その光を見せることで対象者を催眠状態へと移行させることができます。その指輪を使ってアモーレを貯めるのが、明久さんの役目です」


「オーケー。わかった。早速、世界を救いに行こうぜ!」


 催眠術最高!


「待ってください。そろそろ人間は寝る時間かと存じますが」


「そんなこと言ってて良いのかよ! 地球の危機なんじゃないのか! 一刻も早くアモーレを貯めようぜ!」


 さっさと催眠術を使わせろや!


「待ってください。私は戦闘の影響もあって、疲れてまして。明日にしませんか」


「仕方ねえなぁ」


 今夜から、酒池肉林の日々を送れると思ったのだが……。

 仕方がない。明日からは頑張ってエロいことをしつつ、世界を救おうじゃないか。

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