非日常奇譚/絞殺欲求・十二支編

【第一章志向と異常】02

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「－お――い、お―い、白野君～起きて～」

　誰かに頬をつままれて僕は寝ぼけまなこの中、歪む視界の中心に立つ女性に欠伸交じりに問いかけた。

「どうしたんですか？水瀬さん」

　視界が定まってきて短い黒髪に無地の白シャツとハーフパンツを身にまとったラフな格好の女性。家政婦の水瀬さんだと認識して欠伸後にそう尋ねると僕の頬をつまみながら

「もお！勉強しているか見に来たのに寝ちゃ駄目じゃない！お母さんとお父さんに怒られちゃうよ」

「いたいれふよ～それにしっかりとへんきょうはんひはやりましたよ」

　僕は机の横に置いておいた漢字のワークや算数ドリルを開いて水瀬さんに言った。

「本当だ・・・・・・それにちゃんと全部合ってる・・・・・・生意気だぞ！」

　笑いながら水瀬さんは僕の顔を腕で包みながら頭をわしゃわしゃと触ってきた。

「苦しい――それにあたってるから！」

　両親が居ない日が多い僕はいつもこうして家政婦の水瀬さんと一緒に二人、家で過ごすことが多かった。

「お？ませたガキめ！」

「いや僕だってもう七才だよ、子供扱いはやめてよ」

　水瀬さんの腕から離れようと無理やり頭を引っこ抜いた。その反動で後ろのベッドに椅子ごと倒れてしまった。

「あちゃあ～悪乗りが過ぎたか～ごめんよ」

　水瀬さんから出された手を掴んで立ち上がる。

「水瀬さんの方こそ彼氏さんつくらないの？まだ二十代でしょ」

　僕の家に家政婦として来てから約二年ずっと僕の傍で水瀬さんはまるで家族の様に僕に接してくれていた。

「彼氏ねえ～今は良いかな～」

　焦った様な表情をしながら水瀬さんはそっぽを向いてそう答えた。

「水瀬さん可愛いいんだから彼氏つくらなきゃ損だよ」

　子供ながらに僕は生意気にもそう言うと頬を赤らめながら

「ばっか！子供に可愛いって言われても嬉しくないかんな――今日はビーフシチューにしようかな」

「やった！水瀬さんのビーフシチュー！」

　ご機嫌よく水瀬さんは鼻歌まじりに出ていこうとしようとしたところで何か思い出したかのようにこちらに振り向き聞いてきた。

「あぁ、そうだ！今度白野君お誕生日だよね」

「うん、だけどお父さんとお母さんは仕事で居ないって――」

　この時は両親が忙しい時期で誕生日の時ですら帰ってこれていなかった。

「ならさ！遊園地に行こうよ！私、良いとろ知ってるんだ！」

　水瀬さんの言葉に心が踊り、僕は歓喜のあまり大声で

「行く！」

　と言った。

　一年前は水瀬さんも用事があって一人で迎えた誕生日なだけあって今回は水瀬さんも一緒にいてくれるというだけで嬉しいのに遊園地にまで誘ってくれてとっても嬉しかった。

「よし！決まりだね！じゃあ今からご飯作るから白野君も手伝ってくれるかな？」

　水瀬さんは抑揚の付いた声で僕に尋ね、その言葉に僕は大きな声で

「はい！」

　と気持ち良いほどの声で返事して水瀬さんの後をついて自室からキッチンへ手をつなぎ陽気に向かっていった。

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【誕生日当日】

　僕と水瀬さんは予定通り遊園地に向かってバスに乗っていた。だが、予定はたった一人の男性によって狂わされた。

「お前ら！動くんじゃねえ！いいか、死にたくなきゃ絶対に動くじゃねえぞ！」

　焦点の定まらない中年の髭が濃く、ヨレヨレのワイシャツとスラックスを着た男性が猟銃を構えて大声でバスの中にいる全ての人に向けて怒鳴った。

「彼奴ら――ふざけやがって、俺の――俺の功績盗みやがって、許さねえ」

　男性は僕と水瀬さんが座る二人席の近くでウロウロとしながら身体を震わせてブツブツと呟いていた。

「大丈夫だからね、ごめんね怖い思いさせて」

　僕の左手をギュッと握って水瀬さんは震えた声でこちらに言ってきた。

　その時の僕は状況を把握できていなく、何かの催し物なのかと思っていた。

「運転手！ここに向かえ！」

　前方に歩いて行き、男性は怒鳴りながら地図を運転手の前に放り投げた。

「ここって！無理ですよ！なんでそんな――」

「つべこべ言うんじゃねえ！それと、信号で止まるんじゃねえぞ、こっちは急いでいるんだ。止まったらどうなるか分かるよな？」

　男性は猟銃を頭上に発砲し、運転手を黙らせて指示通りの場所に向かわせるように仕向けた。

「わ、分かりました」

　バスは赤信号お構いなしに次々に無視していき、速度を落とさず男性の指示した場所へと向かって走ってらせた。

　バスに響き渡った銃声に鼓膜が振動し、泣きそうになる程に耳鳴りが酷かった。

　何十分経っただろうか。

　緊張感が充満した重苦しい雰囲気のバスの中では他の乗客たちがタイミングを見計らって男性を抑え込もうと視線を交わしてその時を待っていた。

　先頭の席に座る男性が運転手に何か言っているのがここから見えた。猟銃を持った男性は前と後ろを行ったり来たりしてせわしなく動き続けていた。

「おい！まだか――って！」

　しびれを切らして男性が大声を上げた次の瞬間、バスは急カーブしながらブレーキを掛けて左側に傾いてた。

　水瀬さんと僕の反対の空席に勢いよく倒れる男性を目にした瞬間、前方と後方から男性たちが続々と彼を抑えようと突っ込んで行った。

「ふざけやがって！みんな死ねよ！」

　怒りが最高潮に達した男性は猟銃をこちらに向けて引き金を引いた。

「白野君！」

　水瀬さんは僕に覆いかぶさる様にギュッと抱きしめて銃弾が当たらない様に僕を庇った。

「水瀬――さん」

　血の味がした。

　猟銃から放たれた弾丸は水瀬さんの心臓部分を打ち抜き僕の頬をかすめて窓ガラスを割っていった。

　呆気に取られていた僕は水瀬さんから出血した血が僕の顔にだらりと垂れていくのを見ていることしか出来なかった。

「え――血、――水瀬さん、水瀬さん！返事をしてよ水瀬さん！」

　開いていた口に水瀬さんの血が少し流れ込んできてこれが現実であると知り、ぐったりと僕に覆いかぶさって離れない水瀬さんに大声で声を掛けた。

「ごめん――ね、白野君、――本当は――こんなはずじゃなかったの――」

　ブツブツと切れながらも僕の耳元で水瀬さんは力を振り絞って言ってくる。

「ごめんね――これから――色々と――迷惑かけちゃうけど――ごめんね」

「何だよそれ！僕の家政婦さんだろ、しっかりしてよ水瀬さん！遊園地連れていってくれるんでしょ！水瀬さん！」

　揺さぶりながら水瀬さんに訴えかけるが返事は返ってこなかった。

「水瀬さん！」

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「白野君！大丈夫かい！」

　身体を強く揺さぶられて気がつく。

「飯塚さん――」

　ほっと一息ついてから飯塚さんは

「到着して後ろ振り向いたら苦しそうな顔して「水瀬さん」って呟いてたから心配したよ、何か悪い夢でも見たのかい？」

　と尋ねてきた。

「まあ―――そんな感じです」

　僕は額からダラダラと流れる汗を拭いながら

「お会計お願いできますか？」

　と言った。

「あぁ、そうだったね」

　飯塚さんは前に戻りメーターの額を読み上げる。

「一万五千四百円です」

　僕はポケットから母さんからもらった二万円を取り出してトレイに出して

「お釣りはいいです」

　と言ってタクシーを出ると

「いいって、本当にいいのかい？」

　戸惑いを見せながら飯塚さんはこちらに尋ねてきたが

「お話に付き合ってくれたお礼です。受け取ってください」

　と返答した。

「そうか、ならありがたく頂戴しますよ、また今度タクシーを呼ぶ時は連絡しな、今度は私の方からお礼がしたいからね」

　と気さくに笑いながら言ってきた。

「それじゃあまたよろしくお願いします。おやすみなさい」

　そう言って僕がマンションに戻って行くと後ろから「元気出せよ！」と飯塚さんが声をかけてタクシーを奔らせ始めた。

　住戸のあるフロアに到着すると一番奥の自殺現場の前には規制線が貼られ、警察が二人外で誰も入らないように見張っていた。

　自分の住戸のドアの鍵を開けて中に入り閉めると電気も点けずに自室のベッドにぐったりと倒れ込んだ。

「いつぶりだろうか」

　いつの間にか心に鍵をかけて忘れ去ろうとしていたバスジャックの記憶。

　あの日僕は始めて事件に遭遇し、それを機に一ヶ月に一度事件に遭遇するようになった。

　最悪で災厄な日の出来事を何故今になって思い出したのだろうか――

　そんな事を考えながら僕はもう一度深い眠りに就いた。