scene5.5

 ガコンと音を立て、照明装置に灯が点る。

 白銀の光はステージの上を照らし、スポットライトのように一点だけを明るくした。

「よし」

 ステージ裏にあった電源設備を操作し、照明を起動させたのだ。

 間違いなくやってはいけないことだし、そもそも閉館後なのでここにいること自体問題だ。

 勇太はステージ裏から回り込み、ステージ前に足を向ける。

 ステージの前では、かおるはジッと地面を見つめ手を震わせていた。その震えを止めるように勇太はかおるの手を掴んだ。

「いいか。勝負は一回きりだ。この時間にこんなことすりゃ誰か飛んでくるだろうし、それに軽く犯罪だ」

 勇太は首に掛けていたカメラの電源を入れる。

 上着の下に隠し、雨から守っていたとは言えカメラは湿り気を帯びている。電源はついたものの、いつぶっ壊れてもおかしくはない。

「それにカメラのバッテリーも少ない。撮れてあとワンシーン。ワンテイク。NGを出せばバッテリーは切れる」

 勇太はカメラを起動させ設定をいじる。ほったらかしにしていたガンマイクと三脚は、どうにも忘れ物として回収されたらしく、ステージ近辺にその姿はなかった。なので手持ちかつ、カメラ内蔵のマイクを使うしかない。

 かおるの手の震えが一層強まった。かおるは「無理だよ」と呟く。

「……ダメだよ。勇太。私、失敗する。こんな……一回も演じきれてないのに。そんなの……」

「……それでもやるんだ」

 勇太はぎゅっとかおるの手を握った。

「言葉に詰まっても……体が強張っても続けろ。なにがあっても演技を止めるな。NGだと思ってもやめるな」

「でも……それじゃ」

「かおるが言ったんだろ。NGかOKか決めるのは役者じゃないって。それに……」

 勇太はカメラをぎゅっと握りしめ、ステージ上へ視線を移した。

「朝霧薫の凄み、見せてくれるって言ったじゃねぇか。いまじゃないなら、いつ見れるんだよ」

「勇太……」

「見せてみろよ。かおる」

 勇太は視線を戻し、かおるを見据えた。

「魅せてくれ。俺を。他の誰でもない俺のために。かおるの女優魂を」

 パッと手を離し、かおるを舞台に向かって送り出した。

「その代わりちゃんと撮ってやる。お前の存在意義を。かおるの魂が燃える瞬間を」

 かおるはわずかに顔を上げた。そこからじっと動かなかった。

 こんな言葉が届く分からない。かおるの心を揺さぶるか知りもしない。でも言ってやりたかった。犬山かおるはこんなところで終わる人間ではないのだと。

「……うん」

 と、かおるは顔を上げた。

「ちゃんとできる気なんてしない。演じ切れる気もしない。勇太にそんなこと言われてもぜんぜん説得力がない」

「か、かおる。お前……」

 勇太は笑ってしまった。でもそれは、かおるが微笑みを携えていたからだ。

「でもね。勇太」

 かおるは勇太を見据え、ニコリと微笑んだ。

「いいよ。魅せてあげる。だから……」

 力強く彼女は言う。

「ちゃんと撮って」

「……ああ。まかせろ」

 その言葉を皮切りに、かおるは舞台に上ってゆく。

 照明の灯が一番濃い場所へ立つと、スッと眼を閉じた。

 勇太はカメラを構える。ファインダーに映る彼女の顔は、すでに物語のヒロインである内海三波になっていた。

「いつでもいいよ。勇太」

「わかった」

 勇太は深呼吸して録画ボタンを押す。

「本番いくぞ。5秒前、4、3、……」

 2と1は口に出すことはしない。

 かおるは胸に手を当て、心の内を絞り出すように体を丸めた。

「――私は生きたい。なんのために生まれて、なにをして生きるのか。きっと、私にとってそれは女優になること。だから生きたいの!」

 かおるの眼には、早くも涙が浮かんでいた。

「――なにが私の幸せで、なにをして喜ぶのか。それを知らないまま、答えられないままで終わりたくない!」

 涙を払い、力強く言った。

「……聞いて。私の夢。私の夢はいつか舞台女優として……女優っ……女優としてっ……」

 かおるが言葉に詰まり、体が強張った。顔が歪みそうになるが、それを堪えている。

 ――いけ。かおる。そのままだ。演技イップスなんて関係ない。演技ができなくなっても、途中でやめなければ失敗じゃない。するとかおるは、予想外の行動に出た。

「いつか女優として、最高の演技がしたい! ずっとずっと女優として生きていきたい!」

「――っ!」

 ハッと零れそうになった笑いを、マイクに音が入らないよう無理やり殺す。

 こんなセリフ台本にはない。本来、後に続くセリフは「いつか舞台女優として活躍したい」というものだ。

 かおるはこのタイミングでアドリブを入れてきた。そのことにゾクっと身体が震えた。

「私はこの道しか知らない。女優としてしか生きられない。だから私は……私は!」

 かおるの体が強張り、再びセリフに詰まる。だが、それでも演技は止まらない。

 これから彼女が紡ごうとしている言葉。それはきっと……。

 勇太は夜空を見上げた。

 星の降る町という名称に相応しいく、あまたの星々が輝いている。

 そんな星空を見ていると、吸い込まれてゆくような感覚に陥る。

 彼女は言った。神様に願うことは間違いなのだと。

 そうなのだろうか。

 彼女は言った。神様に祈ることも間違いなのだと。

 そうなのかもしれない。

 彼女は言った。神様には誓うものなのだと。

 きっと、そういうものなのだろう。

 ――ねぇ、勇太。勇太が神様に誓いたいこと。それはなに?

 ……なら、俺は。鏡川勇太は祈ろう。願いを込めよう。星に願い、祈ろう。

「私は……」

 どうか彼女が夢の中で永遠に生きられますように。

 負けそうになったとも、挫けたときも、その夢の中で生きられますように。

「私は女優として生きて――」

 どうか彼女が女優として復活できますように。

 いまこの瞬間、彼女が女優として立ち上がり、自分の足で前に進めますように。

「女優として死にたい。……それが私の夢だから」

 そうして、朝霧薫はファインダーに向かって微笑んだ。

「……カット」

 勇太は録画を停止させ、データが保存されたのを確認する。

「朝霧薫。クランクアップだ」

 その瞬間、カメラの電源が落ちた。

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