scene5.4

「羨ましいって……なんだよ」

「だって私、勇太みたいに器用じゃないもん。写真が撮れたりとか、料理ができたりとか、友達集めて映画の予告撮ったりとか、カメラマンやったりとか……そんないろいろなことができない。だから私、勇太が羨ましい」

 かおるの頬を雫が伝い、自嘲気味に開かれた口元にぶつかった。

「勇太みたいに色々できたら、なにかダメでも別のことにチャレンジできる。でも、それが私にはない。なにがあっても、女優として生きていくしかない。この道しか知らない」

「……かおる」

 勇太はかおるにゆっくりと手を伸ばした。

 かおるは傷ついて、心が折れてしまいかけている。そういうときは、優しい言葉を言って慰めてやるべきなのだろう。「よく頑張った」などという、優しい言葉を。

 だが、口をついて出た言葉はそんな考えに反しまったく配慮に欠けていた。

「なんだよ。それ。ふざけてんじゃねぇぞ」

 勇太は伸ばしていた手を引っ込め、拳をギュッと握った。

「勇……太?」

 困惑するかおるの顔を見て止めようとした。だけど溢れる言葉は留まることを知らず、口は勝手に開く。

「なにが羨ましいだよ。なにがこの道しか知らないだ。贅沢言ってんじゃねぇぞ」

 かおるがそんなことを思っていたなんて知らなかった。いや、他人に対して羨ましいという感情を抱くことなどないと思っていた。なのに……

「俺には何もないんだよ。たしかに大抵のことは器用にこなせるタイプかもしれねぇ。だけど、それだけなんだよ。俺にはこれだって言えるものが何一つねぇんだよ!」

 勇太はかおるの手を掴んだ。

 かおるは眼を見開き、視線を勇太から逸らさない。

「かおるみたいに情熱を燃やせるもの。一生をかけて打ち込めるって思えるもの。人生の一部になってるって断言できるもの。そんなもん一つもねぇんだよ」

 ああ、イライラする。かおるの言った言葉に苛立って仕方がない。

 人に羨ましいって思わせておいて、なぜそう思わせた本人が他人を羨ましがるんだ。

「俺はかおるが羨ましい。犬山かおるはなにで出来てるのか。それをハッキリと言えちまうお前が羨ましい。羨ましくて仕方がない。腹が立って仕方がない! 鏡川勇太はこれで出来ているってものがないからだ! ……だから、俺はかおるにっ――」

「……痛っ」

 かおるの顔を歪む。勇太がハッと顔を向ければ、かおるの手を強く握りすぎていた。

「……ごめん」

 勇太は指先の力を抜くが、かおるの手は握ったまま離さない。息を吸って、先ほどの続きを喋り出す。

「……俺は、かおるにそんなこと言って欲しくない。女優として生きるしかないかおるの、そんな言葉を聞きたくない。だって……」

 ああ、そうだ。鏡川勇太という人間は、なぜ犬山かおるという人間に惹かれるのか。これがただの恋慕であれば、きっとこんな感情は抱かない。

「だって……俺は」

 自分が持っていないもの。情熱、信念。それらを注ぎ込み、命を燃やせるほど愛せるもの。

「俺は……」

 だから惹かれてしまうのだろう。犬山かおるという女の子に。

「俺は……犬山かおるに憧れてるんだ」

 かおるがスッと息を吸う音が聞こえた。

「かおるに夢を叶えてほしい。女優として活躍するって夢があるなら、その夢の中で生きてほしい。夢がない俺に、夢を見せて欲しいんだよ。だから、かおる……」

 勇太はすがるように語り掛ける。

「挫けそうなら頼ってくれ。俺を理由にしてくれ。愚かで……無様で……なんの夢もない俺のために夢を叶えてくれ。……頼む」

 裏も表もない本音だった。

 情けない。これじゃまるで、人の夢が叶うことが自分の夢だと言っているようなものだ。カッコ悪すぎる。だけど彼女が夢を叶えてくれるのなら、それを心の底から祝福してみせる。自分のことのように喜んでやる自信がある。

 ……どのくらい時間が立っただろう。

 勇太が目を閉じ、頭を下げている自分に気が付いたとき、かおるの息を吸う音が聞こえた。

「……嬉しい。勇太」

 勇太が顔を上げてみれば、かおるは悲しそうに笑っていた。

「でも……もうダメだよ。だって、そのチャンスを壊しちゃった。あのシーンを演じるきることができたらって思ってたけど……それだって」

 なに諦めてんだよ。

「それに監督も言ってた。あの程度の事件は越えていくべきだって。才能があるなら踏み散らかしてでも進むべきだったって」

 なに諦めるための言い訳をしてんだよ。

「それに……それに……」

 かおるはぐすっと嗚咽を漏らした。

「それに……もしこれで失敗したら。私、もう立ち直れる気が――」

「絶対に成功する」

 勇太は言葉を遮り、かおるの肩を掴んだ。

「俺が成功させてやる。証明するんだ。かおるは演技イップスをやっつけたって。だから、いまから撮影するぞ」

「ちょっとなに言って……それに夜だし撮影なんて」

「いいから行くぞ! 監督命令だ!」

 勇太はかおるの足を道端で回収した靴に突っ込ませ、無理やり立たせようとした。

「ちょっと勇太――」

「いいからやれ! 俺のために!」

 ごねるかおるを引き起こし、勇太は階段へと向かう。

 すると、ご主人の嫌がる態度を見てのことかケンちゃんが低い声で唸り始めた。

「ウゥゥッ~」

「ほら! ケンちゃんも怒ってるし!」

「うるせぇ! ケンちゃんも一緒だ!」

 勇太はかおるの手を引き、ケンちゃんを脇に抱えて階段を下りる。転げ落ちないように注意しながら降りていく。

 物見やぐらの下までやってくると、勇太はかおるの手を取って駆け出した。地面に下したケケンちゃんが追いかけてくる。

 目指すは野外ステージ。今日撮影できなかった続きをいまから撮る。

 ふと勇太が顔を上げてみれば、いつの間にか雨は止んでいた。

 雲は綺麗に流れ、夜空には星々が光り輝いている。星に手が届きそうな星空のもと、勇太はかおるを引き連れて駆けてゆく。

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