scene5.3
「……ここか」
勇太はそれを見上げながら呟く。視線の先にあるのは物見やぐらだ。
それは『中世夢ヶ原』の中にある、山城を再現した施設の一つ。
城主の住んでいた館、武士の住まう屋敷、武具や食料を保管しておく建物、さらには馬小屋などの設備が再現されており、その中の一つに物見やぐらもある。
小高い山の上に建てられた高さ10mほどの物見やぐらは、この町でもっとも高い建物だと言えるかもしれない。
勇太は螺旋状に続く道を、ケンちゃんを引き連れて上ってゆく。ケンちゃんは疲れているのか、舌をはっははっはとさせて後ろを着いてくる。
雨は小ぶりになったが、ぬかるんだ地面は歩きにくく、斜面ともなればなおさらだ。足を滑らせながら、なんとか山頂までやってくる。すると、物見やぐらの出入り口が微妙に開いていた。扉を開け中に入れば、上のほうからすすり泣くような声まで聞こえてくる。
「灯台下暗し……じゃねぇな。灯台そのものに居たんだし……」
スマホを取り出し「無事確保。詳細は後日」と短いメッセージを空に送った。恐らく、灯にも伝えてくれるだろう。
「んで、ケンちゃんはここで待機な」
と、勇太はケンちゃんに伝えてみるが、ケンちゃんは前足で勇太をカリカリとひっかく。どうにも一緒に登りたいらしい。
「いや。無理だって。この急な階段。抱えて登れねぇから」
ケンちゃんを無視して階段を上れば、後ろから「くぅ~ん」と寂しそうな声が聞こえた。だがそれも仕方ない。傾斜50度はあろうかという急階段のために、手を付きながら上るほかない。こんな状態でケンちゃんを抱えて登るのは不可能だ。
おぼつかない足腰で階段を上っていると、すすり泣く声が鮮明になってきた。きっと彼女はここに迷い込んだとき、泣きながら階段を上ったのだろうと想像してしまう。
勇太は階段の終わりまで到達し、視線を上げる。
するとすぐ近くに、膝を抱えてうずくまる彼女がいた。
「……かおる」
勇太は彼女の名前を呼んだ。
かおるは少しだけ顔を上げ、勇太に眼を向けた。
赤く泣きはらした眼に、濡れた髪の毛。どうにも衣服も濡れているようで、寒さからか体がぷるぷると震えている。捨てられた子犬が、雨風の中じっと耐え忍んでいるかのようだった。
「……」
かおるはすぐに顔を伏せ、再び膝を抱え込んでしまった。
勇太はそのまま、かおるの横に腰を下ろす。
「なあ、大丈夫か? ……ケガとか、ねぇか?」
その問いかけに、かおるは小さく頷く。だがそれ以降、言葉を発しようとはしない。
いったい。なんと声を掛ければいいのだろう。
そもそも、なにを話すべきなのだろうか。先ほどの事件に対し、励ますべきなのか。それとも、あの監督への怒りを露わにすればいいのだろうか。あるいは、嫌なことを忘れられるような、明るい話をするべきなのだろうか。……だけど、それはかおるに伝えたいことはでない。
勇太がそんなことを考えあぐねていると、階段のほうからトコトコと音がしてくる。「ん?」と首を傾げながら階段を覗き込んでみれば、
「げ……登って来やがった」
暗闇からぬっと姿を現したのは、下で待機していたはずのケンちゃんだった。
「こんのアホ犬め」
最後の段を上れないでいるケンちゃんを勇太が引っ張りあげてやる。するとケンちゃんはかおるに近づき匂いを嗅ぎ始めた。自分のご主人が悲しんでいるのを察してか、かおるの指先をぺろぺろと舐め始める。
かおるはケンちゃんの舌先から逃れるように指を動かしていたが、根負けしたのかケンちゃんの頭を撫で始めた。
「……」
その様子を見た勇太は小さく息を吐き出す。そういう日常的な動きをしてくれると、なんとなく話はできる状態なのだろうと思えてくるからだ。
「その……なんだ。気にすんなよ。あんな奴の言葉なんて」
勇太がそう声をかけると、ケンちゃんを撫でいたかおるの指がピタリと止まる。
「…………やめる」
かおるはポツリと呟き、弱弱しい視線を地面に向けた。
「私、女優やめたい」
彼女は鼻をすんと鳴らし、腕に顔をうずめる。
「……演技ができない女優なんて存在意義がない。だからいまの私には価値がない」
勇太は首を横に振った。
「……それはあの監督の考えだろ。それに女優として価値がなくたって、かおるの存在意義が否定されたわけじゃ……」
「否定さてるの」
かおるは、独白でもするかのように喋り出す。
「だって私、女優しかできない。ほかにやってみたいこととか、得意なこととか、夢中になれることなんてない。女優じゃなかったら、私が私じゃなくなる」
痛みを堪えるかのように、細い手先をギュッと握る。
「小さいことからずっとお芝居で生きてきた。だから世界しか私は知らない。いまさら他のことに打ち込んで頑張るなんて、できない。私にはこれしかない」
かおるは少しだけ顔を上げ、赤く腫れた眼を夜空に向けた。
私にはこれしかない。そう言った彼女の横顔を勇太はぼうっと見つめていた。
いったい、この世の中のどれだけの人間が、『自分にはこれしかない』と言えるほど熱中できるものを見つけることができるのだろうか。
場違いだと思いつつも、勇太はそう言えてしまう彼女のことが……。
「だからね、私。勇太が羨ましいの」
「……はぁ?」
唐突に言われ、勇太は変な声を出してしまった。
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