scene4.5
勇太はトイレまでの短い距離を全力で駆け抜ける。
運命のいたずらか。はたまた神様の仕業か。それともただの偶然か。
なんにせよ、むごすぎる。思わず、その見えないなにかに向かって叫びたくなる。
すぐに、トイレ付近までたどり付いた。だが、正面にそれらしき姿はない。
すかさずトイレの裏側へと走り込むと、そこには小道がある。そしてその道で蹲っている人影を視界に捕えた。
「かおるっ!」
そこにいたのは、こちらに背を向け蹲る犬山かおる。そして、その傍らにはあの稲垣隼人が立っている。先ほどまで撮影をしていたためか和装だった。
「おいっ! かおる!」
勇太はかおるの元まで駆け寄りしゃがみ込む。そして彼女の顔を覗き込んでみれば、
「かおっ――」
思わず言葉を失ってしまった。
かおるは苦しそうに胸を押え、顔を歪めていた。浅く早い呼吸を繰り返し、大粒の汗が額に浮かんでいる。
「ごめんなさい。私……わたしっ……」
かおるの眼には涙が浮かんでいた。勇太はかおるの肩に手を伸ばそうとしたが、
「ひぃっ! いや! いやあぁ!」
かおるは腕を振り、勇太の手を振り払った。
捨てられた子犬が人間を睨むかのように、擦れた眼を勇太に向ける。そして肩を抱いて小さく震えている。
「すまない」
その声に勇太が顔をあげれば、唇を噛む稲垣隼人がいる。痛みでもこらえるかのように、顔が歪んでいた。
「こんなことになってるのは……」
続く言葉を探しているのだろうが、隼人は早々に口を閉じてしまう。この状況をどう説明すればいいのか迷っているのだろう。
だから勇太はこちらから話す。
「……知ってます。あなたは稲垣隼人さんですよね」
「うん。そうだよ。えっと……君は……」
「鏡川勇太です。かおる……犬山さんのクラスメイトです。今日は、ちょっと用事でここに来てたんです」
隼人は小さく頷き、勇太と同じ目線まで屈み込んだ。
「そうか。こんなことになってるのか説明してあげたいんだけど……。その……」
「知ってます。全部。右手の甲にある傷。それが関係している。そう言えばわかりますか?」
「……驚いた。君は」
隼人は眼を見開く。勇太をまじまじと見つめるが「すまない」と謝った。
「知ってるなら話が早い。彼女がこの町に引っ越したのは知っていて、もしかしたらどこかで会えるかもと思っていたんだ。そしたらここで……」
「偶然出会ってしまった」
「ああ。そうだ。かおるちゃん……朝霧さんとね」
隼人は嬉しそうに笑みを浮かべる。だが、場違いだと思ったのかすぐにその笑みを引っ込めた。隼人の口走った「かおるちゃん」という呼び方に、この二人はそれなりに交友があったのだろうと勇太は感じた。
隼人は「それより」と焦った顔になる。
「鏡川くん。朝霧さんをどこか休める場所に移動させてあげてほしい。できるだけ早く」
「いや、そうしたいんですけど。でも……」
勇太から見たかおるは、いますぐに立たせられる状態ではない。
きっと、稲垣隼人に出会ってしまったことで過去の記憶を思い出してしまったのだ。それも悪い方向で。演技イップスを解消しようと奮闘し、そのための撮影で心身が疲労していたことも関係しているのだろう。
「こんな状態で移動させるのは。ちょっと」
すると、隼人は首を横に振る。焦りの色を孕んだ眼を、勇太に向ける。
「なら、おぶってでも移動させるんだ。だってここには――」
「――稲垣くん。どうした」
そのとき、低い声が響いた。
瞬間、うずくまっていたかおるの震えがピタリと止まった。
勇太はその声をした方へ顔を向けて、隼人が焦っていた理由を知った。
「庵野……監督」
隼人の後ろから庵野一誠が歩いてくる。その濁りのある眼を勇太らに向けていた。
「稲垣くん。きみのマネージャーが呼んで……朝霧くん?」
一誠は隼人の真横で立ち止まりその名を呼んだ。かおるは腕を抱き、一誠の視線から逃れるように蹲っていた。
「朝霧くん。ここで何をしている」
一誠は右手を伸ばし、かおるに近づいてゆく。まるで、なにかに憑りつかれたようにふらふらとした足取りをしていた。
「なあ。朝霧く――」
「――ちょっと、すいません」
勇太は立ち上がえり、一誠の前に立ちふさがった。
「……なんだ。君は」
睨まれるが、勇太は視線を逸らすことはしなかった。
「犬山さんのクラスメイトです。喫茶店で出会ったの覚えてませんか?」
「覚えてない。が、あの喫茶店で朝霧くんが映る映像は見た記憶はある」
「覚えてないならそれでもいいです。僕は鏡川勇太って言います」
「そうか。それよりそこをどいてくれ。僕は朝霧くんと話をしているんだ」
一誠は興味を失ったかのように勇太から視線を逸らし、再びかおるに顔を向けた。
勇太の奥歯がギリッと鳴る。
どうにもこの人には、いまかおるがどんな状態なのか理解できていないらしい。いや、理解しているけど意に介していないとでも言うべきか。
「できません。かおるは話せる状態じゃない」
「朝霧くん。君はいったい、いつになったら復帰するんだ」
勇太の存在を無視して、庵野はかおるに話し掛ける。
かおるは一誠が発する一言一言に、体を揺らした。
「ごめんなさい。私は……私、女優なのに。ごめんなさい」
「朝霧くん。いつまでそうやって才能を腐らせておくつもりだ。演技イップスなど――」
「――っつ!」
瞬間、勇太は頭に一気に血が上ったのが分かった。目の前の男に対し、怒りの感情が爆発する。
「こんのっ! 監督あんた――」
「おっさん! テメェ聞えねぇのか!」
突如、勇太の後ろから手が伸びてきた。その手は荒々しく一誠の胸倉を掴み上げた。
「白鷹!」
勇太と一誠の間に割って入ったのは白鷹空だった。額に青筋を立て、いまにも一誠に殴りかかってしまいそうだった。
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