scene3.15
「ほら、あそこにいます。あの、船漕いでるやつ」
「あああ!? ほんどでずねぇ! ううっ! お元気ぞうでなにより!」
千尋は泣きじゃくりなら言葉にならない声を漏らした。
周りから冷ややかな視線を受けるがもう諦める。
ケンちゃんに引き連れられた勇太と千尋は、とある民家でかおるを発見した。
縁側から家の中を覗いてみれば、座布団に座って船を漕いでいるかおるがいた。
神楽の演目は大蛇退治と言ったところだろうか。スサノオノミコトがヤマタノオロチと死闘を繰り広げている最中だった。荒々しい掛け声、大蛇のうねるような動き、それに翻弄されるスサノオ、はやし立てるように打ち付けられる太鼓。そんなやかましい中寝ているのだから、かおるはそうとう深い眠りにいるらしい。
「見てくだざい! かおるさんがこんな状況で寝れるのは忙しい子役時代の賜物! どこでも寝られるように訓練されていまじた! 天才ですね!」
「……ああ。そうっすか」
どうでもいいかおるの情報を知ってしまった。でもこれは天才がどうとか関係ないと思う。
それからしばらく千尋はかおるを愛おしそうに見つめていたが、踏ん切りでも付いたような顔をして「よし」と頷いた。
「かおるさんの姿を見れて良かったです。では鏡川さん僕はこれで」
「え? 会って行かないんですか?」
そのまま帰ってしまいそうな勢いの千尋に、勇太は声をかける。
「ええ。かおるさんは僕のことを嫌いなのだと思います。かおるさんが苦しんでいるとき、なにもしてあげられませんでしたから」
「でも……」
「いいんです。それに、かおるさんには鏡川さんがいます。それで大丈夫です」
「ちょっと信頼しすぎじゃないですかね」
怪訝そうな顔で細めた勇太に、千尋は首を横に振った。
「問題ありません。僕はかおるさんのことを信頼しています。そのかおるさんが心を許した相手なら僕も心配ありません。ああ、それにしても。よかったです」
千尋は胸に手を当て、安心した顔になる。
そんな千尋の顔を見てしまえば、勇太も嬉しい気持ちになり笑みを浮かべかける。だが、
「これで『庵野監督』と『稲垣』さんも安心できる」
「は?」
突然、千尋が口走った名前が勇太の体を硬直させた。
千尋は不思議そうな顔をしたが、「ああ」と納得したような顔をした。
「そうですね。ご存知でないですよね。もうこの際だから言っちゃいますけど、かおるさんが最後に出演した映画の監督が、庵野一誠という監督さん。かおるさんに傷つけられた男の子が稲垣隼人さんという俳優さんなんですけど……どうかしましたか?」
「あ、いえ……」
その名前を知っている。
あの日。空と一緒に喫茶店で編集をしていたあの日に出会った2人だ。
庵野一誠と稲垣隼人。
間接的だが、かおるの演技イップスの原因ともなった人物に出会っているのだ。
「えっと……面白い映画撮りますよね。庵野監督って。あと、稲垣って人は売れっ子でしたっけ」
「はい、素晴らしい方々です。でも、あの事件のことをお二人は気に病んでいると思います。ですが、かおるさんの演技イップスが治ればいくらかは気分が晴れるはずです」
と、千尋はニコリと笑い「では、僕は帰りますので」そう言ってその場を後にしようとした。だがそこで「あ、そうだ」と言って立ち止まる。
「かおるさんが演技イップスを克服できたら、僕に一報くださると助かります。先ほどのお渡しした名刺に僕の電話番号がありますので」
「……それはもちろん。でも、かおるが直接言うんじゃありませんか?」
「いえ。かおるさんから言ってくるまで僕は待つつもりです。でも、できるだけ早く知っておいたほうが準備に時間を割けます。かおるさんが東京に戻ったときに備えて」
「え? 東京?」
勇太の口から不意に言葉が漏れた。
東京に……戻る?
千尋は「ははっ」と嬉しそうに笑った。
「大阪とかであればまだしも、こんな田舎に住みながら女優業は難しいところがあります。演技イップスが治ったらかおるさんは東京に戻りますよ」
「……そう、ですよね」
「はい。それでは」
千尋はそう言い残すと雑踏の中に消えて行ってしまった。
宴もたけなわ。お祭り特有の熱気は徐々に冷め、道行く人々はまばらになりつつある。気の早い屋台のおっちゃんは片付けを始め、眠ってしまった子供が親に抱きかかえられ帰路に着く。
勇太が視線を家の中へ戻せば、いつの間にか神楽は終わっていた。縁側から人がぞろぞろと出てくる。
勇太が縁側から家の中に入ってみれば、眠ってしまったかおるを必死に起こそうとしている灯の姿があった。
「起きてくださーい。犬山さーん。あっ、鏡川さん。犬山さんが……」
「わかってる。おーい、起きろかおる」
勇太が呼び掛けてみても、返ってくるのはス―ス―というかおるの寝息だけ。
「……。おんぶして帰るわ。世話になったな百万石」
「いえ……。お気を付けて。あの……鏡川さん」
「ん?」
灯が不思議そうな顔をして首を傾げた。
「なにか……ありましたか? お顔の色がよくないですよ?」
勇太は軽く笑って首を横に振った。
「いや。なにも。あ、白鷹は用事があるから帰ったぞ」
そうとだけ言って、勇太はその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます