scene3.16
「デネブ、アルタイル。ベガ。夏の大三角形」
勇太は、星空を見上げて呟く
春先に見た星空とは違う。暦によって観測できる星々は変化し、季節は巡ってゆく。なにも地球上にあるものだけが、季節の変化によってその様を変えるわけではない。
「……にしても。重い……」
勇太は背中にいるかおるを抱え直す。
華奢な腕が首元に巻き付き、柔らかな四肢が勇太の体に密着する。かおるが少し汗ばんでいるせいか、彼女の匂いを強く意識してしまう。でも、嫌な匂いじゃない。
「なあ、かおる。……お前さ。演技イップスが治ったら……」
勇太の頭の中で渦巻くのは、先ほど千尋と話した内容だ。
もし彼女の演技イップスが治れば、彼女は女優として復活できる。それはつまり……
「東京行くのか?」
もちろん、かおるから返事はない。勇太は独り言のように続ける。
「まあ、でも。そうだよな。女優業なんて東京じゃないと無理だろうし。それにかおるは将来期待されて――」
「そうだね。こんなド田舎じゃ女優は無理かな」
と、勇太の言葉を遮った。
ぎょっとして肩越しに振り返ってみれば、かおるはニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「聞いてたのかよ。どっからだ」
「おんぶされたときから」
「最初からじゃねーか。降りろ。重い」
「やだー。歩くのめんどくさい」
かおるがぎゅっと腕の力を強めれば密着度が上がり、勇太の心臓の鼓動が早まった・
「でも。東京に行くってのは間違い。私の場合は東京に帰るって言うの。田舎者の勇太にはわからないかもしれないけど」
「田舎者ディスるのやめろ。まあ……なんだ。そのためには演技イップス直さないとな」
「うん。わかってる。でも、きっと大丈夫。良くなってる」
「ああ」
勇太はかおるの言葉に頷く。
たしかにかおるの演技イップスは最初に比べると格段に良くなっている。セリフの途中で声が出なくなったり、体が強張る頻度も減っている。
「だから、もう一度チャレンジさせて。あの舞台でのセリフ。あのセリフを言いきれたらきっと私は……」
「……そのつもりだ。一応、作品としては出品できる状態だけど、あのシーンがあったほうが絶対にいい」
「うん。私もそう思う」
「でも締め切りを考えると時間はそんなにない。チャレンジできるのは明後日でラストだ」
「わかった。だから誓わせて」
かおるは勇太の耳元に口を近づけ、内緒話をするようにつぶやいた。
「私は演技イップスを克服する。それで女優として復活する」
「ああ」
勇太とかおるはそれ以降言葉を交わさず、黙って星空の下を歩く。
そのとき、ふいに流れ星が夜空を駆けた。
きっとかおるも同じ流れ星を見ているはずだ。でも、なんら声を漏らさないし、願い事を唱えもしない。だけど、それもそうだろう。
短冊のトンネルで願い事を書いたとき、彼女は言った。『神様に願うのは違う。神様には誓うもの』なのだと。なれば彼女は流れ星に願い事を託すことはしない。
そして、鏡川勇太という人間も流れ星に願い事を託すことはしない。否、できない。託すべき夢や願い事が自分にはない。
だけど自分に願いがなくとも祈ることなら許されるだろう。そして、彼女も誰かのために祈るのなら許してくれるだろう。
――どうか彼女が、女優として復活できますように。
勇太はとおに燃え尽きてしまった流れ星に祈りを込めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます