scene3.10

「アジかな。いや、この形はサバか?」

「種類なんて知らないよ。てかなんで魚の頭があるの? 七夕じゃないの?」

「それは、このお祭りがお魚と関係しているからですよ」

 後ろから声を掛けられた。

 勇太が振り返ってみれば、灯が空を引き連れてこちらまでやって来る。

「むかし、ここから遠く南にある町。傘岡かさおかという場所で、魚が捕れず不漁が続く時期があったそうです」

 まるで、昔ばなしを地域の子供たちに語り出す老婆のようにして説明しだす灯。

「ですがそんなとき、傘岡の漁師たちにあるお告げがありました。それは『北の地に、神様の神殿が南向きに建てられているのが原因だ』というものでした。ところで、お二人は星尾ほしお神社をご存知ですか?」

 灯はそこで話しを区切り、質問をしてくる。

 頭にクエスチョンマークを浮かべるかおるに、勇太が「俺とかおるが最初に出会った神社だ」と説明してやれば「ああ、勇太に盗撮された神社ね」と余計なことを言った。

「と、盗撮。……もういいです。鏡川さんと犬山さんの関係には慣れました。……とにかく、その『神威の激しい神様の神殿』こそ、星尾神社だったのです。なので漁師たちはここ美星町までやってきて、神殿の向きを北向きに建て替えてもらうようお願いしたそうです」

「「へー」」

 勇太とかおるは同時に声を漏らす。

「そして、その願いは無事聞き届けられ、それ以降は豊漁が続いたとされています。そのときのお礼として、漁師たちは毎年お祭りの時期になると、お魚を星尾神社に奉納する習慣ができたそうですよ」

「てことは、そんな昔話があったから、お魚が飾ってあるってこと?」

 と、かおるが興味深そうな顔をしてみれば、灯は自慢げな顔で頷いた。

「はい。そうなんです。面白いでしょ?」

「――ま、つっても。その習慣は江戸時代くらいに廃止されてるけどなー」

 するとそこで、空が頭を掻きながら割って入ってきた。灯は握りこぶしを上下させ、頬っぺたを膨らませた。

「もうっ白鷹さん! なんで言うんですか! この町の数少ない面白昔話を犬山さんに教えてあげてるのに!」

「嘘はよくねぇな。百万石。この祭りは廃れた習慣を町おこしの七夕祭りに無理やりくっ付けただけだ」

「えぇ……。そうなんだ。てか白鷹くん詳しいね」

 がっかり気味のかおるに、空は「まあな」と肩を竦めた。

「俺、このあたりに住んでるし。そりゃ知ってるわな」

「はあ。まあいいです。それより、よかったら短冊書いていきませんか?」

 灯はジト目を空に向けたあと、そんな提案をしてきた。

「あ、書きたい。 短冊書くなんて久しぶり」

「そう機会があるものでもありませんね。犬山さん、こちらで書けますよ」

 灯はかおるを、笹のトンネル入ってすぐにあるテーブルに案内してゆく。勇太と空も連れだってそのテーブルまでやってくる。

 灯から短冊とペンを渡された勇太だったが、別段書くような願い事もない。ふと顔を横に向けてみれば、空はペンを動かし短冊に願い事を書いているようだった。

「白鷹。なに書いたんだ?」

「あ? 決まってんだろ」

 空は短冊を笹に括りつける。勇太が見てみれば大きな文字で『漫画家になる(原作)』と書かれていた。

「使えるものは神様でも使う。それが俺のやり方だ」

「貪欲だな」

「まあな。そんくらい恋焦がれてんだよ」

 空は満足げにその短冊を眺めていた。大方、漫画家になった妄想でもしているのだろう。だけど、短冊を渡されてすぐに書けるほどの願いを持っているのは羨ましい。

 そんなことを考えていると、今度はかおるが短冊を括り付けている姿が目にとまる。勇太はかおるの元まで行き「かおるはなに書いたんだ?」と声をかけてみれば、

「え? ちょっと。やだぁ。見ないでよ」

「うるせぇ。気色悪い声出すな」

 かおるをグイとどかしてみれば『女優として復活する』と書かれた短冊があった。

 大方予想した通りだったけど、なぜか拍子抜けしてしまった。かおるならもっとトンチンカンな願い事でもしそうなのに。

「ま、かおるの願い事はそれだよな」

「だね。……でも、これはお願い事じゃないよ」

 かおるの言ったことが理解できず、勇太は顔だけで話しの続きを促してみる。

「私はね。神様にお願いするのって違うと思うの。そんで祈るのも違うと思う。だから、これは誓いなの」

「誓い?」

「うん。誓い。こうするから、もう決めたことだからって神様に宣言する。そんで、その気持ちが本当かどうか確かめる」

 そう語ったかおるの眼は力強く輝いていた。

 だから勇太は、かおるの横顔から眼が離せない。信念や情熱。それを原動力とするからこそ言える言葉。かおるからは、そんな得体の知れない自信のようなものを感じる。だからこそ、そんな彼女の姿を美しく思う。

 ……ああ、なるほど。

 そのとき納得した。あのとき。先のキスシーンの撮影で彼女に抱いた感情。その正体に。

「ねぇ。勇太は?」

 ふいに、かおるがそんなことを言った。

「勇太が神様に誓いたいこと。それはなに?」

「俺は……」

 かおるにそう問われたところで、なにも言えない。

 白鷹空のように確固たる夢があるわけでもない。

 百万石灯のように恋焦がれる存在がいるわけでもない。

 犬山かおるのように誓えるほどのなにかを持っているわけでもない。

 鏡川勇太にはなにもない。心の底から渇望する願いなどない。

 勇太が言い淀んでいると、かおるが小さく溜息をついた。

「じゃあさ。勇太が誓えるものが見つかったら教えて」

「……ああ。そのうちな」

 なんて言って勇太はぎこちなく笑ってみせる。そのときなど、全くやってくる気配など感じていないのに。

「あら。お二人は何を書いたんですか?」

 と、勇太の後ろから声がして、灯がかおるの短冊を覗き込んできた。

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