scene3.11

「灯ちゃん。えっとねー。私が書いたお願いは……」

「あ! 待て百万石! かおるは――」

 勇太が声を上げたときには遅かった。すでに灯は、かおるが書いた短冊を見ていた。

 かおるは自分が朝霧薫であることを周囲に内緒にしている。なれば、かおるにとって短冊を見られるのはマズいことだ。

 だが、灯から返ってきた言葉は、

「……いいですね。ヒロインの内海三波さんの願い事ですか」

 灯は関心したように頷いている。

 瞬間、勇太は灯の勘違いを理解し、掲げかけた右腕をゆっくりと引っ込めた。

 どうにも、かおるが書いた短冊の内容を、いま撮っている映画予告作品のヒロインの願いを代弁したのだと勘違いしてくれたらしい。

 するとかおるは「助かった!」とばかりに顔を明るくした。

「え? ああっ! そうなの! いいでしょ!」

「はい。粋な計らいだと思いますよ」

 かおるは誤魔化すようにして、灯の言葉にうんうんと頷いて見せた。

 勇太はそんな光景を横目に、ほっと胸を撫でおろす。だけど心臓の鼓動は少しばかり早まったままだった。と、そのとき。鼓動が早くなった心臓に伝わる振動があった。同時に、遠くで太鼓の音がした。

 タン、タン。タン、タタタタタタタン、タン――。そんな太鼓のリズムに合わせるように、日本歌謡でも歌い上げるような声が響いてくる。

 かおるは「んん?」と首を傾げた。

「なにいまの?」

「神楽だな。祭りだからやってんだろ」

「神楽?」

 かおるがさらに首を傾げたので、勇太は「説明してやって」と灯に丸投げした。

「郷土芸能と呼ばれるものですね。日本書紀や古事記、古今和歌集を参考にしたお話に、能や狂言、歌舞伎の要素を取り入れた歌舞です」

「うーん。よくわかんない……」

「でしょうねぇ。言葉で説明するのは難しいものがあります。よかったら見にいきませんか? 同じクラスの久万さんと道元さんが出ているはずです」

「へぇー。そうなんだ。わかった。行こ行こ。勇太も行くでしょ?」

「いかない。子供の頃から死ぬほど見てるからな。あ、福のたねはもらっとけよ。お菓子投げてくれるし」

「なにそれ?」

「行けばわかりますよ。犬山さん。さあ、こちらです」

 そんな感じでかおるは灯にひきつれられ、その場を後にした。

 遠ざかってゆく2人の背中を見ていた勇太だったが、これといってやることもなってしまう。なので空を探してみれば、短冊トンネルの脇に備え付けられたベンチに座っているのを発見した。

 勇太はベンチまで行き、空の横に腰を下ろした。

「……なあ。白鷹いいのか?」

「なにがだよ」

「百万石行っちまったぞ? デートだろ?」

 からかうように勇太が言ってみれば空は失笑する。

「ははっ。ちげぇだろ」

「ふぅん。つか、白鷹って百万石と付き合わないのか?」

「んだよ。急に。つか、なんでそんな話になる」

「さっきのお返しだ。てか、前々から聞きたかったんだよ。白鷹が百万石と付き合う気はないって教えたもらったことあったよな。それってなんでなんだ?」

 勇太が皮肉気に言ってれば、空は困ったような顔になる。

「俺の夢は漫画家になることだからな。そういうお付き合いとかしてる暇ねーの」

「それは知ってる。でも、それ本心じゃなねぇだろ」

 スカした感じで言った空だが、勇太はどうにもそれが本心とは思えなかった。長年の付き合いだからわかる。空はそういう風に誤魔化すのが苦手なタイプだ。

 すると空は観念したように溜息をついた。

「知ってっと思うけどさ、百万石って一人っ子だよな」

「だな。それが?」

「だから、百万石はたった一人の跡取り娘だってことだ。わかるだろ? 田舎って場所は跡取りとかを猛烈に気にする」

 空は腕を組み、どこか遠くに視線を移した。

「でだ、俺は漫画家になるし、高校卒業すれば東京に出てく。百万石は大学とか行くだろうけど、絶対にここに帰ってくることになる。地主の娘だしな。んで、そんな2人が付き合ってうまくいくと思うか?」

「ま、まさか白鷹。お付き合いは結婚を前提にって考えてでもあるのか?」

 勇太は苦笑いを浮かべてしまう。そういう考え方は割と古めかしい価値観だし、空がそういう考えを持っているのに戸惑ってしまった。

 だけど空は呆れたように肩を竦める。

「ちげぇよ。百万石はいいヤツだ。性格もいいし、顔もいい。しかも良家のお嬢様ときた。でもよ」

 空はスッと笑みを引っ込めた。

「どうやっても別れることになるのに、付き合う意味なんてあんのかって言いたいんだよ。付き合って仕方なく別れたって傷を残すくらいなら、最初から付き合わないほうがいい」

「そうだけどさ……」

「それに、俺の夢の延長線上に百万石は存在できない。生きる世界が違いすぎる」

 空はスッと視線を地面に落とした。

 たしかに、空の言うことも一理あるかもしれない。どうやっても別れの道を辿るのなら、最初からその道を歩まないのも一つの手だ。だけど……。

 勇太はくくっと笑ってしまう。空が「あ?」と低い声を出した。

「んだよ」

「いや。付き合わない理由が百万石に好意がないってわけじゃねぇんだな」

「ああ?」

「だから。それって百万石が普通の女の子なら付き合ってもいいって思ってるってことだろ?」

「なっ……おまっ」

 空は焦った顔で口を開こうとした。だが言葉が出てこないらしく、口をパクパクさせているだけだった。

「おいおい。白鷹。分かりやすいな」

「うっせぇな。つか、勇太だってそうじゃねぇのか?」

「は? なにが?」

 勇太が空の言っている意味がわからず怪訝そうな顔になる。すると空は「はぁ?」と呆れた顔になって、

「犬山さんが、あの『朝霧薫』だから気後れしてんだろ?」

「…………はぁ!?」

 勇太の体が強張った。いま、空はなんて言ったか。

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