scene2.10
二週間が経過した、6月3日の放課後。
降り続く雨が、肌にまとわりつくような湿気をもたらす。
雨音に包まれた旧講堂教室に、勇太たち4人再び集結していた。
「ご迷惑をおかけしました。さあ、撮影を再開させましょう!」
灯は深々とお辞儀をしたあと、両手でガッツポーズをしてみせる。
「お帰り百万石会長」
この二週間の間に行われた生徒会選挙にて、灯は信任投票で生徒会長に任命された。そしてめでたく百万石政権が発足したのだ。
「てことで撮影を再開していこうと思う。それじゃあ――」
「早く撮ろう。勇太」
勇太の声を遮り、かおるは舞台に向かって歩いてゆく。舞台に上がれば、すぐさまリハーサルを開始してしまう。
「……犬山さん。焦ってんな」
と、勇太が考えていたことを空が口にした。
「……すみません。私が不甲斐ないばかりに」
灯が申し訳なさそうに頭を下げる。
「気にすんな百万石。……ったく」
勇太は小さなため息をつく。
かおるが焦っているのはわかる。でもいまの行動は、灯からすればスケジュールが遅れたことに対する当てつけのように見えてしまってもしかたがない。本人にその意思がなくとも、そう捉えかねられない。もしくは、そういったことにまで気が回らないほどかおるは焦っているとも言える。
「まあ、やろう。百万石マイク頼む。白鷹は前と同じで待機で」
勇太はガンマイクを灯に渡し、手早くカメラの設置を進めていたのだが、
「勇太。いつでもいいよ」
「あ? わかってる。ちょっと待ってくれ。いろいろいじる設定があるんだよ」
せかすようなかおるの言葉に、勇太は少しばかりむっとする。事実、自分の声が少し尖っていたことに気が付いた。
「よし。できた。あーちょっと待て。雨だからなんか暗いな。ホワバラ弄って……」
「勇太」
「待てって。よし。できた。いいぞ、かおる」
コクリと頷いたかおるを見た勇太は、5カウントしてからスッと手を降ろす。それにともにいかおるは演技を始めた。
「私は生きたい。なんのために生まれて、なにをして生きるのか。きっと、私にとってそれは女優に……女優に……じょっ……ごめん。もっかいお願い」
「続けていくぞ5、4、3……」
「私は生きたい。なんのために生まれて、なにをして生き……いき……いき」
「カット」
「生きるのか。きっと私にとってそれは女優に……じょっ……女優に……」
「おい、カットだって」
勇太は思わずかおるを睨んでしまう。
するとかおるは小さなため息をつき、勇太を見た。かおるは睨み返してくるわけではない。ただ、その眼には焦りや苛立ちと言った感情が見てとれた。
「もう一回いくから。5秒前――」
それから勇太はカメラを回し続けた。
かおるは何度もトライするが、セリフが詰まり、体が強張った。
NGを重ね、リテイクが重なってゆく。そのたびにSDカードの記憶容量は減り、バッテリーの残量も減ってゆく。成功しないまま、時間だけがすぎてゆく。
だんだんと、かおるの声が掠れてゆく。灯が掲げるガンマイクの高さが下がってゆく。
空が零した小さなため息が聞こえてくる。その溜息が伝染したかのように、灯は溜息ともとれないほど音を漏らした。その音が聞こえたのか、かおるはピクリと眉を動かした。まるで、雨に濡れた靴先がじわじわと湿っていくかのように、言葉で表現できない嫌な空気が伝番してゆく。
ふと勇太は、そんな空気から逃れるように窓の外へと眼を移した。
ここ数日降り続く雨は、べっとりとした湿気を運んできた。夏服を着ていても、その不快感から逃れることはできない。むしろむき出しになった素肌が、より湿気を含んだ空気に触れるぶん不快感が増すように思う。
「それでもっ……私は……私は……生きて、生き――」
その掠れた声に意識が引き戻された。
勇太がかおるに眼を向ければ、彼女は額にべっとりとした汗を掻いている。声も枯れかけていた。
「ちょ、待った。かおるストップだ」
勇太は慌ててて録画ボタンを止め、舞台下まで駆け寄っていく。
かおるは膝に手をつき、肩で呼吸をしていた。
「かおる。ちょっと休憩しよう。声が枯れてる」
「だい……大丈夫、だから。予定が遅れてるなら……休憩している暇なんてないでしょ」
「そうだけどよ。お前……」
演技というものが、どれほど体力を使うことなのか勇太にはわからない。だけど今のかおるの姿を見る分には、そうとう消耗するものなのだろうと思える。それに演技イップスによる苛立ちと焦りが精神的な疲労を引き起こしているのだろう。
勇太はチラリと空と灯を見た。空は首を横にふり、灯は心配そうにかおるを見ている。これはもう、無理だろう。
「かおる。このシーンだけど……カットしよう」
かおるはハッと顔を上げたが、勇太は構わず続けた。
「前、このシーンを撮り切れなかった日から一カ月くらいたってる。その間、かおるが練習してたのは知ってる。でも、一カ月あっても無理なら、たぶんずっと無理だ」
「……それは、時間がないから?」
ちがう。と言いかけて勇太は首を縦に振る。
「それもある。もうじき梅雨がくる。そうなると、外での撮影は難しくなって遅れが出るかもしれない。最悪、コンテストの締め切りに間に合わなくなる」
するとかおるはジッと地面を見つめたあと、ゆっくり顔を上げた。
「なら、カメラだけおいて帰って」
「――なっ」
勇太の奥歯がギリッと鳴った。思わず拳を握りこんでしまう。
「カメラは動かさないし一人でも撮影はできる。皆に迷惑かけてるのはわかってる。だから」
「かおる!」
頭に血が上ってゆくのを勇太は感じる。
「それはねぇだろ。俺はお前のために……」
「私のために。なに?」
腹の底が冷えるような視線が勇太を貫いた。
私のために、いったいなにをしてくれたのだ。お前はなにもできないのだから、これ以上追及するな。そんなことを言ってるように感じる。
「勇太がスケジュールで焦ってるのはわかる。だって、完成しないとコンテストに応募できない。そうなっちゃえば、分校長との約束どころじゃない」
「――っつ」
勇太はかおるを睨みつける。
もちろん、そんな考えもある。焦る気持ちも確かにあった。でも、それは言ってはならないことだと思って頭の片隅に押しとどめておいたのに。それをかおるは、まるでそのことが、焦っている一番の理由だというふうに断言した。鏡川勇太はそういう人間なのだと言葉にしてしまった。だから、我慢できなかった。かおるを傷つけてやりたくなってしまった。
「……ああ、そうだよ。分校長の約束が大切だ。お前の言うようにな」
舞台の上にいるかおるを勇太は睨み上げる。
「この際言ってやるよ。かおる。お前がセリフに詰まろうと、体が強張ろうと全然問題ねぇんだよ。所詮、俺たちが作ってるのは学生映画だ。学生映画のしかも予告映像だ。だから、誰も完璧な演技なんて求めてねぇんだよ」
口から出る言葉は留まることを知らない。それどころか、どんどん饒舌になってゆく。
「それに、かおるだって見ただろ。映画予告コンテストの歴代受賞作。どいつもこいつも酷い棒読みだ。まともなヤツなんて一人もいねぇ。でも受賞している。つまりそれは、審査委員の誰も女優の演技なんて気にしてねぇんだよ」
かおるがはっと息を吸う。だが、彼女はすぐさま勇太を睨み返す。
「ふざけないで! 私は……私はそれじゃダメなの。演技が完璧じゃなきゃ意味がない。完璧にできて当たり前。じゃないと私は……私は朝霧薫でいられない! そんなの朝霧薫じゃないの!」
「なら、かおる」
かおるの肩が少し震えた。だけど、もう止められない。
「演技を止めるなよ。編集でどうにかしようと思っても、途中で演技が止まったらどうしようもない」
「でも……だってそれは演技イップスで――」
「知るか。お前は白鷹に言ったはずだ。どんなときでも演技を止めるなってな。人に言っといて自分はどうなんだよ。それがプロの女優なのかよ」
「――っつ!」
「それにかおる。お前は――」
「おい、馬鹿。やめろ勇太」
勇太は羽交い絞めにされた。睨むようにして後ろを向けば、あきれた顔の空がいる。
「つか、落ち着けって言ったやつがなに熱くなってんだアホ。それに犬山さんもだ。言い方ってもんを――」
「ごめん。……もう、無理」
かおるは駆け出した。乱暴に教室の扉を開け、そのまま部屋を出て行ってしまう。
教室はシンと静まり返り、窓を叩く雨音だけが厭に大きくなる。
勇太が視線を上げると、教室の隅っこで灯が腕を抱え視線を地面に落としている。そこでようやく、頭から血が引いていくのを感じることができた。
空は勇太の様子を見て、勇太を離した。
「……白鷹。すまん。百万石も。熱くなった」
「いいさ。むしろ良いもん見してもらった。さっきの言い争いの感じ、漫画のどっかで使えるな」
「ほんと悪趣味だな。白鷹」
「なんとでも言いやがれ。物語作ってる奴なんて、人の不幸からアイディアを生み出すおかしなヤツらだ。自覚くらいある」
「ほんと、嫌なヤツだ。あと……百万石もすまん」
勇太が申し訳なさそうな顔をすれば、灯は首を横に振った。
「いえ。私は大丈夫です。それより鏡川さん……」
「ああ、勇太。このままじゃ……」
「……わかってるよ」
勇太は空と灯の言葉に頷く。
かおると喧嘩になった。方向性の違いとか、意見の衝突とか、作品をよりよくするために議論が激化したとか、そんな話ではない。犬も食わないただの喧嘩だ。だけど、だからこそ面倒だ。きっと落としどころがない。いまでもかおると正面きって冷静に話せる自信はない。最悪の場合、このまま……
「すまん。白鷹。百万石。せっかく協力してくれたのに。もしかしたらこのまま、撮影がなかったことに――」
「いや、じゃなくてよ。勇太」
「そうです。鏡川さん」
空と灯は心配そうな顔をしている。
どうにも、話が噛み合っていないらしい。すると空と灯の口から全く予期しなかった言葉が出てきた。
「犬山さん迷子になるぞ。一人で家帰れねぇんだろ?」
「犬山さん迷子になりますよ。お一人でお家に帰れないのでしょう?」
「……あ」
そうだった。かおるのやつは超絶方向音痴。いまだに登下校の道も覚えていないレベル。ほっとけばその辺の獣道を進みかねないほど。
瞬間、勇太は駆け出していた。自分の鞄と、かおるが忘れて行った鞄をひったくり教室の扉へと猛ダッシュ。
「すまん、帰る!」
「おう。ちゃんと見つけろよ」
「そうですよ。見つからなかったら消防団が出動してしまいます」
勇太は旧講堂を飛び出すと下駄箱に向かう。下駄箱にかおるの靴はない。そのまま駐輪場まで行けば、かおるの自転車はない。
駐輪場の屋根を叩く雨音が、その雨の勢いを教えてくれる。カッパを着ずに出るのはただのアホだ。
「くっそ。ふざけんな」
勇太は勢いよく自転車を漕ぎだした。
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