scene2.11

 こんなに必死に自転車を漕いだのは、いつ以来だろうか。

 チャリンコのペダルがギイギイと悲鳴を上げているし、服が雨に濡れて張り付くし、全力で漕いでも坂道になればなかなか前に進んでくれない。

 脇道、田んぼ、畑、農業道に目を光らせる。それらしい人影はどこにもない。

「くっそ……池とか落ちてねぇだろうな」

 どうにも、最悪のパターンがチラついてしまう。きっとそれは杞憂で、考えすぎなのだろうけど、かかおるのことになるとそんな心配をしてしまう。

 勇太は自宅へと続くY字路へやってくると、いつもと逆の方向へハンドルを切った。

 ひとまず、かおるの自宅に向かう。かおるが自宅にいればそれで解決。いないなら……いまは考えないことにした。だが、

「――っ」

 かおるの自宅前の道路に、自転車が転がっていた。胸の内がザワッと波立つ。

 勇太は自転車から降りると、かおるの自宅へと駆け込んでゆく。

「おい! かおる!」

 返事はない。ただ、地面を打つ雨の音ばかりが返ってくる。

「くっそ……」

 勇太は玄関から家の中へと入ってゆく。

 居間、客間、仏間、戻って台所。彼女の姿を探してみるが、どこもにいない。古民家特有の薄暗さが、嫌な予感を加速させてゆく。

 探せる場所は探した。でも彼女の姿がない。それなら……。勇太は玄関に向かおうとした。

 と、そのとき。カタンと音が響いた。

 場所的に言えば脱衣所。そこはまだ探していない場所だった。

「かおる」

 勇太は脱衣所の前までやってくれば、扉の向こうからゴソゴソという音がしている。

 引き戸に手をかけ、勢いよく開け放つ。

「おい! かお…………あ」

 そこには下着姿の犬山かおる。

 ライトブルーのブラに、ライトブルーのパンツ。シャツは完全に取っ払われ、いままさにスカートを脱いだらしく足元にはスカートが転がっていた。

「なっ……な……な……」

 かおるは硬直しているが、顔は徐々に赤くなってゆく。

 女の子の着替え中に遭遇。ラブコメ漫画によくある展開だが、実際に遭遇してみてわかった。ラッキーだとかまったく思わない。なぜか男側も体が硬直してしまうらしい。

「あー……すまん。いや、別に悪気があったとかじゃ――」

「しね!」

 しなやか張り手が勇太の右頬を打った。

「いっ……謝ってんだろ! ちょっ、お落ち着けって」

「この変態! 普通気付くでしょ! 脱衣所でガサゴソ言ってたら! 着替え中だって!」

「んなのわかるか! こっちは心配してたんだよ! 迷子になってるって思ってな!」

「迷子じゃありませんー! 道に迷ってたらケンちゃんが表れて助けてもらいましたー! だから迷子になってない!」

「それを迷子って言うんだよ!」

「わんわん!」

 そのとき。騒ぎを聞きつけたケンちゃんが脱衣所に飛び込んできた。どうにも2人が喧嘩をしていると思ったらしく、そのいざこざを収めるためにか、かおるの素足をカリカリとやった。

「うひっ! ちょっ、ケンちゃん! なにやって……ひぃん!」

「あ、馬鹿! 転ぶぞ! おわっ!」

 勇太は転びそうになったかおるに手を伸ばした。だが、そのままバランスを崩し転んでしまう。直後、勇太の背中に鈍痛が走る。

「痛ってぇ……」

 勇太がゆっくり眼を開いてみれば、馬乗りにかおるが覆いかぶさっていた。どうにか、かおるが転ぶのを阻止できたらしかった。

「勇太」

 かおるは心配そうに勇太の顔を覗き込んだ。

「なにやってるの! どこか打ったりとか」

「してない。大丈夫だ」

「でも頭とか、ひゃん!」

 かおるの口から嬌声が漏れた。同時にかおるの肩がビクンと揺れる。

「ひぃん! そこ……ダメぇ……ああん!」

「……なにやってのお前」

「ケンちゃんが……ケンちゃんが舐めてるのぉ……ああっ」

 かおるは熱い吐息を漏らし、頬を朱色に染めた。

 身体が跳ねるたび、豊に実った胸部がたわむ。肢体をくねらせるその姿は、こみ上げてくるモノから逃れようとしている艶めかしさがあった。

「ああっ。ダメ。……そこは弱いの……ひぃん!」

「なにが起こってるんだ! 俺の見えないとこでなにが起こってるんだ!?」

 勇太は必死に首を動かし、ケンちゃんを視界に捕えようとする。だが、目の前に居るかおるが邪魔でいったいなにが起こっているのか分からない。

「あひぃ! もう無理! 勇太、お願いやめさせてぇ……」

「わんわん!」

「もうヤダぁ……。やめてぇ勇太」

「おいいいい! 俺がやってる感でちゃってるだろ! つか止めろバカ犬! このままじゃかおるが――」

「なにやってんだ。お前ら」

 と、そのとき。冷たい声が真上から掛けられた。

 勇太がクイと顎を上げてみれば、逆さまに人が立っている。というかそれは白鷹空だった。

 空が無表情でこちらを見下していた。

「し、白鷹」

「よお、勇太。ありがとな。一度言ってみたかったんだ。漫画とかにありがちなこのセリフ」

「なに言って……」

「いやー。『なんでお前がここにいるって顔してるが……教えてやるよ』百万石に言われて様子を見に来たんだよ。原付飛ばしてな。そしたら勇太と犬山さんの自転車をはっけーん。家の中から声が聞こえたて来てみりゃ……あとはわかるな」

「あー……なるほど。あ、ちょっと待て。この状況にはワケがあってだな……」

「あああんっ! 勇太やめてぇ! 頭おかしくなっちゃうからぁ!」

「頼むから黙ってろ!」」

「じゃあな」

 ピシャリ。空は脱衣所の扉を閉めた。

「待って! 待ってくれ! 誤解だ! 戻って来い白鷹! 白鷹ぁーーーー!」

 遠ざかってゆく足音。むなしくこだまする己の絶叫。かおるの気色悪い声。

 しとしとと降り続く雨音が、そんな音をかき消していった。

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