scene2.5
「よーし。てことで、今日も張り切って撮影してくぞー」
「おーし。やるぞー」
勇太の言葉に、かおるは拳を突き上げる。
翌日、再び学校での撮影。場所は北校舎の廊下。
今日からは、かおるも撮影に加わる。と言っても、やはり彼女にはセリフがない。ただ、これから撮影するシーンの関係上、かおる演じる内海三波の存在が欠かせないため出演してもらう。
「んで、今日は……」
勇太はチラリと百万石灯を見た。気のせいか。いや、絶対に気のせいではない。ガンマイクを持つ灯はどことなく不機嫌オーラを放っていた。
ニコニコと笑みを浮かべているにも関わらず、まったく眼が笑っていない。だけど、それも仕方ないと勇太は思う。なぜなら今日撮影するシーンは……
「えっと。今日撮影するのは……壁ドン、顎クイ、頭ポンポンするシーン……まあ、そんな感じのキュンキュンできるシーンを一気に撮影するから。じゃあ、白鷹とかおるはスタンバイしてくれ。まずは壁ドンのシーンな」
「はーい。よろしくね白鷹くん」「うっし。犬山さんよろしくな」
かおると空は廊下の壁際に移動し、2人して壁ドンのリハーサルを繰り返す。
だが勇太としては、真横でガンマイクを掲げる灯が怖くて仕方ない。
「……鏡川さん」
「はい」
「私、壁になりたいです」
「はい?」
灯はハイライトの消えた眼をしている。
「これはお芝居で、白鷹さんも犬山さんもそれを承知しているから、なにも思わないんですよね。でも、私は壁になりたいです」
「……落ち着け百万石。壁になっても白鷹の手でぶっ叩かれるだけだぞ」
「壁になりたい」
それから灯はブツブツと「壁になりたい」と繰り返すので、三脚を使っているにも関わらず少しブレた映像になってしまった。
そして次にやってきたのは、頭をポンポンするシーン。空とかおるは頭ポンポンのリハーサル。勇太はカメラ位置と画角を調整。そして灯は、
「……鏡川さん」
「……はい」
「私もポンポンされたいです」
「……」
「いいな。いいな。私もぽんぽんされたいです。ぽんぽん、ぽんぽん」
「あの、百万石――」
「ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん、ぽんぽん」
「怖い怖い怖い! 怖いぞ! 百万石!」
勇太が悲鳴を上げてみても、灯はそのシーンの撮影中も永遠に「ぽんぽん」と言い続けた。だからまたしても録画した映像が少しだけ震えていた。
それから勇太たちは、数多くの少女漫画的キュンキュンシーンを撮り続ける。むろん、そのたびに灯の眼から生気が失われていき、しまいには眼の焦点が定まっているのかすら怪しい様子だった。
そんな紆余曲折を経て迎えた、本日最大の山場。顎クイシーンの撮影。
脚本の流れでは『顎クイからキスしようとするが、岳も三波も互いに照れ臭くなって顔を背けてしまう』というシーンだ。ただ、演技とはいえ空とかおるは可能な限り唇を近づける必要があった。
空もそこが気になったのだろうか。少しだけ照れ臭そうな顔をしていた。
「なあ。犬山さん。次の顎クイだけどよ……なんていうか……その、すまん」
「……? なんで? 別に謝ることでもないよ?」
かおるは不思議そうな顔になる。
「言っとくけど中途半端にしちゃダメだからね。恥ずかしがって演技するのが一番よくないから。いい?」
「……そりゃ、犬山さんだから言えるんだろ」
そんな2人のやり取りに、勇太は苦笑いを浮かべてしまう。
かおるそんなことが言えるのは、彼女がプロの女優だからだ。普通、異性と至近距離になれ
ば演技とはいえ色々と意識してしまう。事実、勇太は自分が出演しないにも関わらずなんだかドキドキしていた。
「よし。じゃあ顎クイシーン撮影するぞ。かおる、白鷹。頼む」
「はーい」「よし」と両者から返事をされた勇太は、録画ボタンを押して合図を送る。それにともない、かおると空は演技を始めた。ムーディーとまではいかないものの、男女がねっとりと睦言を交わすような雰囲気が出来上がっている。かおるのうっとりとした表情は言わずもがなプロの凄さを感じさせるし、空とて様になった演技をする。
空はかおるの顎にスッと手を伸ばし、クイっと持ち上げる。そのまま唇を近づけてゆく。もうこのまま、本当にキスをしてしまうのではないかと思わせるくらい真っすぐな軌道を描いている。
勇太はファインダー越のその様子に生唾を飲み込んだ。
目を惹くのはやはり犬山かおるだ。カメラを通して見る彼女の唇はひどく艶めかしく、色っぽい。そうして、空がかおるの唇にギリギリまで近づいてゆくのだが……
「だっは! すまん! 失敗だ!」
空がガバっと顔を上げ、かおるから身を引いた。
「なんか……変だったろ。ぎこちないっていうか。おかしかったっていうか」
どうにも空は、自身の演技が変だと思い演技を止めてしまったらしい。だが勇太としては、
「いや。いい感じだったぞ。むしろなんで――」
「やめないで」
と、かおるの声がかぶさった。真剣な眼差しで空にダメ出しをし始める。
「白鷹くん。演技を止めないで。失敗したと思っても止めちゃダメ。失敗してもOKテイクになることもあるから」
「でもよ。いまのはないだろ。俺、カタカタ震えてたし」
「それでもなの。OKかNG決めるのは私たちの仕事じゃない。でしょ? 勇太」
「ん? ああ、だな」
いきなり話を振られた勇太は、生返事気味に言った。でも、かおるの言う通りだと思う。事実、空は確かに震えていたが、それはそれで初々しさがあってよかった。
「まあ、白鷹。とりあえず演技は途中で止めないでくれ。恥ずかしいかもしれないけど頼む」
「……ったく。わかったよ」
空は不承不承といった感じで頷いた。そしてその後、もう一度いまのシーンを撮り直してみれば、空は見事に演じ切った。
録画した映像を見ながら勇太は、
「お、いい感じだな。ちゃんとラブコメしてやがる。なあ、百万石。そう思わねぇか?」
と、灯に顔を向けたのだが、
「……なにしてんの? 百万石」
なぜか灯は顎を上に向け、うっとり顔をしている。
「練習です。顎クイされたときに備えて」
「……」
思わず同情してしまくらいに灯の顔は死んでいる。だらりと垂れた髪から除く眼には光がない。
「――ぽんぽん。ぽんぽん。もう、鏡川さんで構いません。私に壁ドンと頭ポンポンしてください。ついでにキスもしてくれて構いません」
「落ち着け百万石。今日でこういうシーンの撮影は終わりだから」
「……はい。助かりました。じゃないと私、犬山さんを村八分にしてしまうでしょう」
「やりかねないから笑えないんだよな。ホント」
地主の娘だし。百万石家は町内でのアレコレに深くかかわってるし。無理な話ではない。
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