scene2.3
その日の放課後。勇太は教室を後にする。
目指すは弓道場。美星分校の西に広がるに運動場の最西端に位置している。
弓道場に近づくにつれ、カン! と矢が放たれる音と、パン! と的に矢が刺さる音が聞こえてきた。
勇太が弓道場の玄関から中を窺ってみれば彼女はいた。いままさに弓を射終えたらしく、こちらに向かって歩いて来た。
「よお。百万石。ちょっといいか?」
「……あら、鏡川さん。なんでしょうか?」
彼女は「少し失礼します」と他の部員に伝えてから弓道場の玄関まで出てきた。
百万石 灯。《ひゃくまんごく あかり》
真っ黒で艶のある長い髪。らんらんと輝く目はとても大きい。そして、小さな口元には上品な笑みを浮かべていた。いま身に纏っている弓道着と合わさってか、なんだか良家のお嬢様といった感じの風体を匂わせている。だが事実、お嬢様であることには変わりない。
なぜなら彼女は美星町における、地主の娘と呼ばれる人間だからだ。
勇太は自らのうなじに手を当てた。
「えっとな。実は頼み事があってきたんだ」
「頼み事……ですか?」
「ああ。頼み事っていうか。お願いなんだけど。映画予告コンテストの手伝いをしてくれねぇか」
「はぁ」
灯は要領を得ないような顔になる。
「えっとな……詳しく説明すると」
勇太は映画予告コンテストとはなにかと説明し、百万石灯を頼った経緯を説明してみた。
「なるほど。事情は分かりました」
灯の納得したような顔に、勇太はほっと胸を撫でおろした。
『困ったときの百万石』彼女にはそんな二つ名がある。クラスではなにかとまとめ役を引き受けているし、生徒会役員を務めていたりする。それに弓道部でも副部長を務めている。そして大抵の面倒事を解決してくれる。だから美星分校では『困ったときの百万石』と呼ばれていたりする。
「つまり、スケジュール管理などの面で私に協力して欲しい、ということで合っていますね?」
「ああ。その通りだよ。いやぁ、手伝ってくれてホント助か――」
「ダメです」
「え?」
勇太は笑顔のまま固まった。灯は上品な笑みを浮かべたまま表情を崩さない。
「いや、手伝ってくれてありがとう」
「嫌です」
「どうして」
勇太が絶望的な顔をしてみせれば、灯は微笑んだまま口を動かした。
「まず、私にメリットがないじゃないですか」」
「……」
「それに、私と鏡川さんはそこまで親しい仲ではありませんよね。なのに、私に利益のないお願いをするなんて図々しいと思いませんか?」
「だけどさ。俺と百万石って小学校からの長い付き合いだし、田舎ってそういう付き合いを大切にしてるじゃん」
「でも鏡川さんは小学生のときに転校してきたじゃないですか。付き合いで言えば、まだ6年ほどじゃありませんか? 生まれてずっと美星に住んでいるクラスの方々とは、幼稚園を含めると10年以上のお付き合いになります。なのに、鏡川さんがそんな口を利くのは少し違いませんか? それに、明らかに面倒な事でも、私なら引き受けてくれるだろうという魂胆が丸見えです。恥を知ってください」
「……はい」
勇太は少しだけ泣きそうになった。なんだか自分は、よそ者なのだと思わされてしまう。結局、田舎は産まれがどうとかで優遇されたり冷遇されたりするのだ。
ところがそこで、
「ふふっ……。陰湿な田舎ごっこ遊びはこの辺にしておきましょうか」
灯は口元を手で隠しクスクスと笑った。それ応えるようにして勇太も笑う。
「ははっ。面白かったな。てか、いつからやってるんだっけ。この村八分ごっこ」
「たしか、初めてお会いしたときじゃありませんか? 鏡川さんが転校してたその日から」
「そうだっけか」
そうして勇太と灯は「くくっ」と笑い合う。
灯は「まあ、それはそれとして」と言って申し訳なさそうな顔になる。
「ごめんなさい。鏡川さん。お手伝いしてあげたいのは山々なのですが、最近忙しいんです」
「あー、そっか。生徒会とか部活?」
「はい。部活は大会も近いですし……生徒会のほうは、中間試験明けにある生徒会選挙の準備もあります。なので……申し訳ありません」
「いや、頼んだのはこっちだし。悪かったよ」
「そうですが、それでも心苦しく思います」
「だから気にしすぎだって。ごめんな百万石。邪魔して悪かったな」
そう言って勇太は灯に別れを告げ、立ち去ろうとしたのだが、
「あれ? 勇太。なにしてるの?」
と、そんな声がかかった。勇太が後ろを振り向いてみれば、
「……かおる。何してんだ。こんなとこで」
そこには犬山かおるが突っ立っていた。しかもなぜか弓道着を着ている。
「灯ちゃんに誘われて体験入部させてもらってるの。どう?」
と言ってかおるは弓道着のままクルっと一回転した。それにともない、袴がスカートのようにふわっ膨れ上がる。
「うわぁ。思わずドキッとした。知ってるぞ。袴の下って下着なんだろ?」
「うぇ……きっしょ」
すると、そんな会話を聞いていのことか、灯が不思議そうな顔になる。
「えっと……鏡川さんと犬山さんってお知り合いなのですか?」
「不本意ながらな。つか、百万石こそ、かおると知り合いだったのか?」
「ええ。私の後ろの席が犬山さんですから。いろいろとお話しているうちに、弓道部の体験入部にお誘いしたんです」
「えへへ。そうだよ。灯ちゃんが袴着せてくれるって言うから」
「はい。そうなんです。とってもお似合いですよ犬山さん」
「ありがとー」
かおると灯はキャッキャと楽しそうにはしゃいだ。
勇太は改めてかおるの袴姿を見る。たしかに可愛いとは思う。のだが、その隣にいるのは百万石灯だ。田舎には美人がいないが、灯という例外も存在する。かおるも黙っていれば美人の部類に入るだろうが、ここでは気品というものが勝敗を分けているように思う。袴を着こなす灯VS袴に着られるかおる。
そんなことを勇太が考えていると、かおるは勇太と灯を交互に見た。
「でさ、勇太はここでなにしてるの? 迷子?」
「だから通ってる学校で迷うわけねぇだろ。あれだよ。映画予告コンテスのメンバー集めてんだ。百万石にスケジュール管理してもらえねぇかなって思ってここに来たんだけど……」
「はい。ですが忙しくお手伝いできそうにないんです。……あれ? 犬山さんもコンテストのメンバーなんですか?」
灯がかおるに質問した。
「そうだよ。私、ヒロイン役やるの。でも断って正解だよ灯ちゃん。スタッフさん側って大変そうだし、死にそうな眼してる人多いもん」
灯の疑問に、かおるがうんうんと腕組をしながら答える。
まあ、実際。かおるは芸能界で活躍していたしそんな場面も見ているのだろう。でもそんなこを言っちゃうのはどうなの?
とこで灯が「ん?」首を傾げる。
「犬山さん。なんだかそういうことにお詳しいんですね。なにか昔、そういう経験でもあるのですか?」
「へっ……けっ、経験!? 経験っていうか……えっとー、そのー」
オロオロと動揺し始めるポンコツ。
……どうしようもねぇな。この女。
かおるは、自分がかつて天才子役として名と轟かせた朝霧薫であるという事実を、クラスメイト含め周りには言ってない。だから空に説明するときも、灯に説明するときも、犬山の過去は伏せて説明したというのに……
勇太は助け船を出すつもりで灯に説明する。
「あれなんだよ、百万石。かおるはこの町に来るまでは舞台で演劇やっててな。ただ、スランプで演技が上手くできないんだとよ。そのリハビリのために、このコンテストに女優として出演するんだよ」
「そっ……そうなんだよ! けっして、全然、まったく、昔女優をやってたとかじゃないからね! ホントだよ!?」
勇太とかおるの説明してやれば「そうだったんですか」と灯は心配そうに頷いた。かおるは小声で「助かった」と言って手切り礼をしてくる。
「まあいい。かおる。体験入部が終わったら校門前で待ってろ。俺は白鷹のとこに行ってコンテストの件で相談してくる」
そうかおるに言い残し、勇太はその場を後にしようとした。
恐らく、空はこの時間帯であれば図書館にいる。漫画の原作を書いたり、その原作を書くための調べものをするために、放課後は図書館によくいるのだ。
しかし……困った。百万石灯の協力が得られないのであれば、スケジュール管理のあたりは自分でするしかない。勇太がそんな考えを巡らせていると、
「鏡川さん。私、お手伝いします」
「え?」
勇太が振り返ってみれば、そこには食い気味の百万石灯。
「えっと……なんで急に」
「だから、お手伝いすると言っているんです。さあ、私もメンバーに加えてください」
「いや、部活の大会が忙しいんじゃ」
「いえ、どうにかします」
「でも、生徒会選挙が」
「あんなの出来レースです。生徒数も少ない。立候補者もいない。立候補したと思っても一人だけ。やることなんてありません」
「……そっか。つか……ああ、そういや、そうだったな百万石って」
勇太はそこで、なぜ灯が無理を押してまで協力すると言い出したのか理解した。自らが先ほど出した男子生徒の名前……それは。
「そうと決まれば部のみなさんに事情を話してきます。百万石家には、友人との約束は必ず果たせという家訓がありますから」
そう言い残すと百万石はぴゅーっと弓道場に駆け込んで行った。
勇太が窓越しに場内を見れば、灯は部員たちになにかを説明しているようだった。
「ねえ、勇太。いきなりどうしたの灯ちゃん」
かおるが不思議そうな顔をして勇太の真横に立った。
「百万石は白鷹のことが好きなんだ。分かったか?」
かおるがひゃっと黄色い声を出した。
「そうなんだ。上手くいくといいね」
「あー……そうだな。だといいな」
まあ、空にはその気はないみたいだけど。
勇太はそのことをかおるに言うことはせず、別なことを伝える。
「とにかく協力してくれる奴は揃った。かおる、脚本ができるのは当分先だけど、準備しといてくれ」
「……ん。わかった」
恋愛模様に頬を赤らめた顔を引っ込め、かおる真剣な眼をしてみせる。
「ちょっとリハビリしとく。だから白鷹くんの脚本が完成したら真っ先に渡して」
その一変ぶりに、勇太は笑ってしまいそうになった。
やはり彼女は役者として活動することが好きなのだろう。だからこそ真剣で、それこそ少し怖いと思えるような眼をして見せるのだろう。
少なくとも、自分にはそんな眼は無理だ。だから自分にできることをやろう。
「分かった。完成したら真っ先に渡すよ」
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