第一部「星の降る町」

scene1.1

 始業式の朝。

 勇太は教室の椅子に座り、一枚の写真を眺めていた。

「――よお、勇太。奇遇だな。また同じクラスだ」

 その声に顔を上げてみれば、そこには白鷹空(しろたか そら)がいる。

 手に持っていた写真を机に置き、勇太はげんなりした顔をしてみせた。

「奇遇だな。……って、当たり前だ。この高校、1学年1クラスしかないだろ」

「まあな。つか、このやりとり去年もやったな」

「中学のときもな。席、俺の隣だぞ」

 勇太が言ってやれば、空は隣の席に腰を下ろしカバンの中を漁り始める。

 白鷹空しろたか そら。(

 目深にかぶったニット帽の下には、切れ目気味の双眼。鷲鼻に、不機嫌そうにキュッと結ばれた口元。長身な空にとって、高校教室の机はやや小さいのだろうか、開かれた両足が机の脚部分からはみ出していた。

 勇太とは小学校からの付き合いであり、おおよそ互い口にしたことはないが、親友という部類の付き合いをしている。

「にしても。ここまで味けねぇクラス替えもねぇよな。転校生でも来ねぇもんか」

 カバンを漁りながらボヤいた空に、勇太は頬杖を突きながら口を開く。

「あるわけない。こんなド田舎に転校生なんて。夢を見るな」

「夢くらい見てもいいだろ。新学期に先生が『それでは転校生を紹介します』ってな感じでな。んで、その転校生は、遅刻しそうになっていた主人公が道の角でぶつかってケンカになった女の子だったとかなら……」

「手垢まみれのラブコメだ。漫画脳はそのへんにしとけ」

「けっ。夢がねぇな勇太は。まあ、ここド田舎だし、そもそもブロック塀の曲がり角なんてねぇけど。あと田舎すぎて徒歩通学とか無理だな」

「……白鷹さ。自分で言ってて悲しくならねぇの? 」

 空に哀れみの目を向けてしまった勇太は、そのまま窓の外へと視線を移す。

 ここ、美星分校(びせいぶんこう)は屋影市美星町にある唯一の高校だ。

 平屋建て木造校舎。俯瞰してみれば王の字のような形になっており、設備面等において特筆するべきことはない。街中にある普通の高校と同じだろう。

 ただし、全校生徒数は32人。1クラスは15人ほど。まさしく、過疎・少子高齢化に喘ぐド田舎の分校だ。そしてそんな町の現状を表すかのように、この分校は再来年に廃校することが決まっている。

「ま、現実は夢がないからこそ、人ってのは物語を求めるんだろうけどよ」

 空はそう言って、カバンから取り出したノートPCを開き、カタカタとキーを叩き始めた。

 チラリと見えたノートPCの画面に、文字が羅列されているのが見える。

「……てか、どうなんだ? 漫画。順調に描けてるのか?」

「問題なく描けてる。ま、俺は描くじゃなくて、書くほうだけどな。原作だし」

 空はエンターキーを鳴らした。

 空は漫画家を目指している。といっても担当しているのは原作。なんでも知り合いと一緒に漫画を制作しており、ときおり漫画の新人賞に応募していらしい。ちなみに空は絵が描けないというわけではない。

 勇太は一時期そのことが気になり、その理由を空に聞いてみたところ、

「俺の絵はダメだ。俺が書きたい話に全然合わない。最初に模写しまくったのがちょっとエッチなラブコメ漫画だったのがまずかった。絵柄がすごい可愛いくなっちまう」

 という理由があるらしかった。

「白鷹。今度はエッチなラブコメ漫画描いてくれよ。ToL〇veるとか、いちご1〇〇%みたいなやつ。前にエッチなラブコメ漫画描いてただろ。俺、あっちの漫画のほうが好きだぞ」

「ふざけんな。俺はジャンプで巻頭カラー飾る熱い少年漫画が描きたいんだよ。それに、書きたくない漫画を書いてまで漫画家にはなりたくねぇよ」

「あ? 白鷹の夢って漫画家だろ?」

「違う」

 空はキーボードに走らせていた指を止め、ピッと勇太を指さした。

「漫画家になるのはゴールじゃない。スタートだ。俺には書きたい漫画があるから、漫画家になるんだよ。目的と手段を取り違えるほど俺は愚かじゃねぇ」

 ギラりと眼を光らせそう言った空に、勇太は思わず眼を細めてしまう。

 それはまるで、空が自分に言い聞かせるようだった。夢があって、それを叶える覚悟がある。だからここまで力強く言えるのだろう。だから、勇太にとって空は……

「羨ましいな。熱中できることがあるってのは」

 素直に思ったことが口から零れた。だが、空の眉が不機嫌そうにピクリと動く。

「俺はやりたいと思ったことをやってるだけだ。それは勇太だって同じだろ? ……カメラとかよ」

 と、空が最後に放った言葉が、勇太の胸のキュッと締め付けた。

 少なくとも、空のように情熱を持ってそれを語る覚悟などない。ましてや夢だと言えるはずもない。写真撮影など、なんとなくで続けているにすぎない。

「……いや、俺のはただの趣味だよ」

「ふぅん。勇太がそう言うなら、俺にはどうしようもねぇよ。で、どうなんだ? この春休み、いい写真は撮れたか?」

 そう聞かれた勇太は首を横に振る。

「微妙だな。昨日も写真撮りに行ったんだけど、なんていうか、どれもこれもパッと――」

「この写真か」

「おい」

 空は、勇太の机の上にあった数枚の写真を取り上げる。勇太が空の腕をつかもうとしたが遅かった。

「へぇ。いいんじゃねぇの。俺、写真のことは分からないけど上手いと思うぞ。見せてくれてありがとな」

「見ていいなんて一言も言ってない」

「うるせぇ、いまさら。どうせ感想が欲しくて机の上に置いてたんだろう。タイミング見計らって、俺に見せようとしてたんだろ」

「……うぐっ。事実だから言い返せねえ」

 空は束になっている写真をめくりつつ、1枚1枚の感想を述べてゆく。「これは好き」とか「これはダサい」とか「これは良い」などの抽象的な意見ではあるが、勇太にとってはありがたい。

 写真に対する感想など、普通の人間であれば「いいんじゃないかな」くらいしか言わない。だが空は「いいんじゃないかな」以外にも「ダサい」や「嫌い」ときには「カメラ趣味止め

 ちまえ」といった辛辣な感想までくれる。それはきっと、空が漫画作りに携わっているからこ

 そ、客観的な感想の重要性を知っているからだと勇太は思っている。

 ただそれでも、昨日に撮影した写真はどれも酷いできで、できれば人に見せたくなかった。

「適当に流し見してくれ。昨日はいい写真は撮れてない」

「そうか? 俺は春休み前と同じくらいの出来だと思うぞ?」

「それって俺が全く進歩してないって言いたいの?」

「よくわかったな。正解だ。賢いなー。勇太は」

「……白鷹テメェ。ちょっと体育館裏に――」

「あん? なぁ、勇太」

 と、写真をめくっていた空の手がピタリと止まった。写真をそのまま勇太に突き出す。

「これ、誰だ? 神社で写真に写っている女」

 そう言えば、昨日そんなことがあった。

「その写真な。心霊写真なんだ」

「へぇ。早朝でも心霊写真撮れるのか。すげぇ。じゃなくて、誰だこの美人。同い年くらいだろうけど、この学校の奴じゃないよな」

 話を逸らせると思ったがそうはいかないらしい。

「昨日、星尾神社で出会ったんだよ。こっちに背中向けて立ってて……気が付いたらシャッター切ってた」

「盗撮か」

「ポートレートって言え」

 勇太はそう言って空から写真を奪い返す。だがすぐさま空が写真を奪った。

 お互いの間にピリッとした空気が流れる。

 勇太は負けじと写真を取り返し、空も写真を奪いに行く。そんな攻防が始まった。

「で、その後どうなったんだよ?」

「どうって?」

「だから、この女と話したのか? こんな美人、勇太なら絶対に手ぇ出してるだろ」

「俺のこと女ったらしみたいに言うんじゃねぇ。てか、俺が見ず知らずの女の子に話し掛けられると思ってんの?」

「だよな。勇太、童貞だもんな」

「白鷹だって童貞だろ」

「悪ぃ。俺、春休みに卒業したんだわ」

「え?」

 勇太の動きが止まった隙に、空はその写真を奪い取った。

「冗談だよ。で、この子とはどうなったんだ?」

 空は「返して欲しけりゃ話せ」と言わんばかりに写真を高らかに掲げ上げた。

 勇太は小さく溜息をついて「わかった」とつぶやく。

「逃げた」

「ん? その女がか?」

 空は確認するように首を傾げる。

「違う。俺が逃げたんだよ。その女の子から。怖くなって」

「怖くなったって……なにがそんなに怖いんだよ」

「白鷹。田舎に現れる美人は宗教勧誘だってこと忘れたのか?」

「……ああ、なるほど」

 空はがくりと肩を落とす。

 そう。田舎には美人がいない。本当にいない。そもそもド田舎で美人が歩いていれば恐ろしく目立つ。すぐに噂になる。なのでポッと出てきた美人というのは、都会から観光で来た人間か、あるいは宗教勧誘の女だけ。もちろん絶対的にそうだとは言えないが、この美星町に住んでいる人間であれば、体感的に理解されることだと勇太は思っている。

 しかし、宗教勧誘の女に美人が多いのはどういう理由なのだろう。

「さあ、わかったら写真を返せ。持ってるだけで呪われちまうかもしれない。……白鷹?」

 そのとき、空がその写真をジッと見つめていることに気が付く。なぜ、そんなに真剣な顔で写真を見ているのだろうか。

「どうした?」

「いや、気のせいだとは思うんだが……」

 白鷹は怪訝そうな顔になる。

「この女、似てねぇか? あの、朝霧薫あさぎり かおるに」

 その名前を聞いた勇太は「そういえば、こんな女の子もいたな」と思い出す。

 いや。自分と同年代くらいの人間であれば、特に覚えている少女かもしれない。

 ――朝霧薫(あさぎり かおる)

 たしかキャッチコピーは、数十年に一度の天才子役。

 わずか3歳にして芸能界デビューを果たし、5歳の頃に出演したテレビドラマで多数の新人賞を獲得。そこから人気に火がつき、数年後には最年少で朝ドラ出演を果たした。さらにはその後、出演したテレビドラマのエンディングテーマを歌い、そのまま紅白歌合戦へと出場。まさにシンデレラストーリーを体現したかのような女の子だ。

 ただ、その後はなんでもかんでも朝霧薫という状況は終わり、最終的にはテレビで見かけなくなってしまう。いわゆる「人気子役は大成しない」というやつだ。

 だがその数年後、彼女は返り咲いた。

 中学生になった朝霧薫は、大人びた雰囲気を纏う美少女として再ブレイクを果たし、天才女優として名を馳せたのだ。

 たしかに。写真に写る女の子をじっくりと見てみれば、似ているようにも思う。ただ……

「いや。んな有名人がこんな田舎にいるわけねぇだろ」

「……ふん。それもそうか。なら、他人の空似ってやつだ」

 空はつまらなそうな顔をして、勇太に写真を返した。

 するとそこで、

「はい。席についてくださいね。始業式前のHLを始めますから」

 教室前方の扉から、前年度の担任教師であった土佐満とさ みちるが姿を現した。

 勇太が周囲を見渡してみれば、15人ほどしかいないクラスメイトたちはいつの間にか登校しているようだった。空から受け取った写真をしまい、勇太は席に座り直した。

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