07-6.噂を辿れば君に巡り着く

「これは立派な侮辱罪だ。貴族を侮辱した罪は死をもって償うのが当然だろ? 父上もそれならば仕方がないことだと笑ってくださることだろう」


 ヨーゼフはそのようなことに怯えるような男ではなかった。


 それよりも目障りである母親違いの弟を苦しめることの方が優先するべき行為と判断したのだろう。セシルの抗議の声に耳を傾けたのは一度だけであり、それ以降のセシルの訴えは全て無視をした。


「神々の寵愛を与えられず、教会の加護もない。父上のご厚意だけで伯爵家の人間のような振る舞いをする屑には罰を与えることは許される」


 それは貴族の常識だった。

 地位も権力もある貴族に許された特権の一つである。


 私的な罰を与えたとしても貴族側に正義があったとして処理される。その特権を悪用とした惨たらしい事件も後を絶たず、貴族の享楽の為だけに命を奪われる奴隷や平民の数は数えきれない。


 ヨーゼフはその行為を当然の権利として認識をしていた。


 国教である教会が信仰する神々の寵愛が与えられたことの証明として、貴族には魔力が与えられる。魔力量こそは個人差があるものの、魔力があるのは高貴な生まれの証である。それは魔力を持つ平民には該当をしない貴族と王族だけが利益を得る為の暗黙の了解である。


「屑が俺に逆らった。それは許されることじゃねえ」


 拘束を解こうと足掻くセシルを見る眼は冷たい。

 人ではないものを見下す視線を向けられ、セシルは身震いをする。


 ……なんとかしないと。


 拘束を解かなければ命はない。


 ヨーゼフは遊びではない。セシルを気が晴れるまで暴行を加えている時よりも強い殺意を向けられている。


 ……説得は無理だとしても、方法を探さねえと。


 下手な言葉はヨーゼフの怒りを煽るだけだろう。


 日頃から気にしている父親の反応を伺うこともせず、この行為を正当化できる言い訳を見つけてしまったヨーゼフを落ち着かせる方法を考える。そのような方法がすぐに浮かぶはずもなく、セシルが足掻く姿を見ていたヨーゼフは恐ろしい形相をしていた。


「【風よ、巻きあがれ】」


 セシルを拘束した風は渦のように動き始め、それらは広い活動場所を求めるかのように廊下を移動していく。セシルの身体を軽々と持ち上げ、窓を突き破り、外に飛び出した。


 風に拘束をされる形で空中に放り出されてしまったセシルはなんとか窓淵を掴もうと足掻くものの、ヨーゼフの指示を聞いた使用人の無情な手により阻止されてしまう。


 ……しまった!


 風はセシルを拘束したまま、上昇をしていく。


 廊下からではセシルの姿が認識をできなくなったのだろう。ヨーゼフは窓から上半身を乗り出し、空を見上げていた。普段は見上げているヨーゼフが下に見える。身体を上下左右に動かされるセシルの視界にもヨーゼフの姿が見えたものの、それを認識することさえ阻害するかのように身体を揺さぶられる。


「覚えておけよ、屑野郎。貴族の証を持たざる者は貴族に逆らうことは死を乞うことだ。死を乞う者に貴族は平等な死を与える。それは貴族の義務だ。――どういうことかわかるか? 今、屑が死んでも俺は義務を果たしただけで罪には問われないということだ」


 上半身を乗り出したヨーゼフは大声をあげた。自身の正当性を訴える言葉をセシルの耳に届かせる為の行為だったのだろう。


「屑は屑らしく死んじまえよ」


 掴むものもなく、外で足掻くセシルを見るヨーゼフは笑っていた。

 必死に手足を動かすセシルを助ける者はここにはいない。


「死にたくねえなら、お前の敬愛する化け物にでも救ってもらえよ。恩恵を与えられなかった屑を助けるような貴族令嬢は得体の知れない化け物でしかねえけどな。ははは、化け物じゃねえっていうならこのまま死んでも文句はねえよな? そりゃそうだよな、空中から叩き落された屑を助けられるような奴は疑いようもねえ化け物なんだからよ」


 必死に足掻いているセシルの耳には届いていないかもしれない。

 それをわかっていながらもヨーゼフは笑顔で告げる。


「【風よ、散れ】」


 両耳に付けられたピアスの光が強くなる。


 魔法が発動された途端、セシルの身体は解放をされる。それは支えを失ったのも同然であり、空中に投げ出されていた身体は重力に従い落下する。


 セシルの手がなにかを掴むような素振りをするものの、なにも掴むことはできない。魔力の持たないセシルには魔法を発動させることもできず、重力に従い、落ちていく。


 風圧が身体を圧し潰すかのように重く息がつまる。

 眼を開けていることもできず、堅く閉ざした。



* * *



 それを目撃したのは馬車から降りた直後のことだった。

 魔法が発動された痕跡に気付き、空を見上げた途端、声を失った。


 ……セシル?


 空中にセシルが浮かんでいる。


 足掻いているようにも見える。離れた場所からはなにが起きているのかを認識することは難しかったものの、危険な状態であることは判断することができた。


「メイヴィスお嬢様。公爵邸に引き返しましょうか」


「どうして?」


「メイヴィスお嬢様は視力が悪くはなかったはずですが。あちらをご覧ください、伯爵家の身内争いが勃発をしている最中と思われます。このままでは目撃者としてお嬢様の心が傷ついてしまわれますので見なかったことにいたしましょうと提案をさせていただきました。ご理解いただけましたでしょうか?」


 ハーディの言葉を聞き、もう一度、空を見上げる。


 空中で足掻いているのはセシルだ。見間違えるはずがない。言葉ははっきりと聞き取れなかったものの、なにかを言っている声も聞こえる。


「お嬢様、ここはミスター・フィッシャーの提案を飲みましょう。厄介事は避けるべきです」


 馬車を停めていたエルマーもメイヴィスに声をかける。

 見上げながら、あれは酷いと呆れたような言葉も漏らしていた。


「見捨てろというの?」


 従者二人に返事をしつつも、視線はセシルに向けられている。


 空中を浮遊しているのはセシルの意思ではないことは見て分かる。本人の意思ならば手足を大きく動かし、足掻いていないことだろう。必死に足掻いている姿から外に放り出されたと考えて間違いないだろう。


「はい、見捨てましょう。公爵家の立場をお考えになられたとしても問題はなにもございません。セシル・オルコットは伯爵令息としての立場は弱いものですので貴族社会において関わるべきではないと前々から思っていたところです。メイヴィスお嬢様、これを機会に友人に対して前向きに取り組まれるべきかと思います」


 先ほど、メイヴィスの口から自分自身の幸せとは何かを聞かされたとは思えない淡泊な回答だった。ハーディの言葉に対しメイヴィスは首を横に振るう。


 近い年代の貴族の子どもとはセシル以外に交流がないのは事実ではあるものの、それは公爵であるニコラスの方針によるものである。メイヴィスが拒んでいるわけではない。


 なによりもセシルを見捨てると判断をした二人の言葉には賛同をするわけにはいかなかった。


「セシルを助ける。それは譲れないよ」


 メイヴィスは胸元に飾っているバラのネックレスに触れる。


 所有している魔道具の中でも、もっとも魔力を通しやすいのは十三歳の誕生日の贈り物としてセシルから渡されたネックレスだった。波長が合いやすいのだろう。魔力を通す媒体として優秀なものだった。


「ハーディ先生、エルマー。私は大切な人を見捨てるようなことはしない。覚えておいて。セシルを見捨てるなんて私が死ぬのと変わりはないことだから」


 それはセシルを守る為に光を放つ。

 淡い光を放ち始めたそれを握りしめる。

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