07-5.噂を辿れば君に巡り着く
それでも黙ってはいられなかった。
大切な人のことを悪く言われて黙っていることはできなかった。
「俺のことは好きに言え。でも、メイヴィーのことを悪く言うんじゃねえ。彼奴のことを知らねえくせに偉そうな口を聞いてるんじゃねえよ」
伯爵家では邪魔者扱いを受けていたセシルを認めてくれたのはメイヴィスだけだった。メイヴィスと時間を共にする時だけがセシルの幸せな時間だった。
メイヴィスは優しい少女だということをセシルは知っている。
彼女は知らないところで化け物扱いを受けているということを自覚している。
その身に秘めた魔力や扱うことが可能な数々の魔法は王国の平穏を乱す可能性があることを自覚しているからこそ、心のない誹謗中傷の声を向けられても気にしていないかのような素振りをするだろう。自分自身の心を偽ることに慣れてしまっている一歳下の恋人との思い出が頭を過る。
その思い出はセシルだけのものだった。
その思い出はセシルの背中を押してくれる。
「メイヴィーは化け物じゃない! 訂正しろ!」
拳を握りしめ、大声をあげる。
セシルが言い返したのは初めてだった。
伯爵令息としては相応しくはない乱雑な言葉遣いもオルコット伯爵家では珍しいものではない。外面さえ良ければ問題はないという基本方針の為だろうか、跡継ぎであるヨーゼフも貴族とは思えない言葉遣いをすることがある。
セシルの声が響いた。
その声を聞き、慌ててオルコット伯爵家の使用人たちが廊下に集まってきた。彼らはセシルが大声をあげたことも、拳を握りしめていることも気にすることはなく、ヨーゼフを擁護するかのように彼の周りに集まっていく。
誰一人、セシルの元に駆けつけた者はいなかった。
「はぁ?」
ヨーゼフの低い声を聞き、セシルは身構える。
兄であるヨーゼフはセシルのことを嫌っている。その存在自体を疎んでいる。
「今、なんて言いやがった」
オルコット伯爵家でヨーゼフの言葉に反論が許されているのは、彼らの父親である伯爵だけである。
母親違いのセシルには伯爵家での発言は許されていない。
許される時は目線を合わせず、格上の者と対話が許された時のような重々しい言葉遣いを使わなくてはならない。その他にも様々な制約が取り付けられている。それらを全て破ったセシルの態度を許せるはずがなかった。
……やばい。
本能で察する。
いつものような八つ当たりではなく、本気で怒らせてしまったことを察したものの、セシルには逃げ場がなかった。一歩、後ろに下がるが、それ以上は下がることはできない。廊下に集まってきた使用人たちはセシルの逃げ道を塞ぐかのように後ろにも前にも溢れ返っている。
……逃げられない。
こうしている間にもメイヴィスを乗せた馬車はオルコット伯爵邸に向かっている。
このままでは、出迎えをすることができないどころか、顔を合わせることも出来ないかもしれない。
「“訂正しろ”? お前、屑の癖に俺に命令をしたのか」
淡々とした声はいつもよりも低いままだった。
ヨーゼフは足を一歩前に出す。
セシルが後退ったことにより出来た隙間を埋めるようにヨーゼフは距離を縮めていく。すぐに攻撃が仕掛けられる範囲を維持し続けるのだろう。
「そうだ。命令した。メイヴィーを貶すようなことは、許せない」
それに対し、セシルは声を振り絞り言い返した。
引き下がることはできない。発言を撤回し、許しを乞うことはできない。
それが自分自身に対する暴言だけならば、セシルはなにも言わずに時が過ぎることを待っただろう。メイヴィスのことを悪く言われたというだけで引き下がることができなくなる。その感情は怒りなのか、執着なのか、それとも別の感情によるものなのか、セシルには区別がつかなかった。
……怯えるな。メイヴィーに相応しい男になると決めたばかりじゃないか。
怯えている心を抑え込み、セシルはヨーゼフの顔を見上げる。
今にでも人を殺しそうな顔をしているヨーゼフと眼が合った。
その色はセシルの生まれを否定するかのような母親譲りの灰色の眼をしている。ヨーゼフの灰色の瞳の中にセシルの姿が小さく映し出される。ヨーゼフとは違う赤い色の眼が自分自身を非難しているかのように感じるのはなぜだろうか。
「は、傑作だな、屑野郎が。そんなに化け物が大事か」
ヨーゼフの口元は怪しく歪む。
その言葉に反応をしたかのようにヨーゼフの両耳に付けられたピアスが光った。光は長くは続かなかったものの、魔道具の一種であるピアスが光る時は所有者の魔力の波長に反応を示した時である。
「化け物は屑のことを大切には思っていねえよ。都合のいい遊び相手だ、なぁ、屑野郎? そうだろう。だって、お前は生きていることすらも許されていねえような屑だ! それを認めるような奴はいねえよ。全部、お前の妄想だ。可哀想に、そこまでして同情を集めたかったか? 注目を集めたかったか? 俺に楯突けるような夢を見るのは止めておけよ、死にたくねえならな!」
ヨーゼフの言葉を肯定するかのように使用人たちの笑い声が聞こえる。
耳障りでしかない笑い声にしかめっ面をすることもできない。
「お前は誰にも相手にされねえし、生きる価値のねえ屑だ。父上に飼い殺しにされた挙句に俺に捨てられるんだ。あの妾にも屑を産んだ罰を受けさせる。その後には屑にも罰を与える。生まれてきた罰だ。生きた罰だ。罪を悔いて孤独のまま死に絶えろ」
それは呪いのような言葉だった。
セシルの存在を全否定する言葉から誰もセシルを守る者はいない。伯爵邸は生き地獄のような場所だった。
何重にも呪いをかけるかのようにヨーゼフは言い切った。
それでもまだ言い足りないといった表情を浮かべたヨーゼフであったが、首を横に向け、窓の外を確認した。
「お客様がお見えだ」
窓を全開にする。
その動きを視線で追ったセシルの視界にも門の付近に到着した馬車の一部が見える。メイヴィスが乗っている公爵家の馬車が到着をしたようだ。
……メイヴィー!
公爵令嬢であるメイヴィスに対して攻撃的な言動は見せないだろう。
顔を見合わせても先ほどの発言はなかったかのように穏やかな顔を浮かべるのは眼に見えていた。メイヴィスが彼の本性に気付いているとは限らない。
ヨーゼフとメイヴィスにほとんど面識はない。
歳が離れていることもあり、簡単なあいさつ程度の会話しか交わしたことはないだろう。
「【風よ、吹け】」
ヨーゼフの呪文に応えるように風が吹く。
窓ガラスを揺らすほどに強い風が吹き始める中、ヨーゼフは視線をセシルに戻した。意地の悪い笑顔を浮かべている。セシルが今まで見たこともない悪い顔をしていた。
「【風よ、セシル・オルコットを捕縛しろ】」
風がセシルの身体に巻き付いていく。
目に見えないそれを振り切ろうと手を大きく動かすものの、魔力の帯びた風は強度が上がり振り切ることができない。眼に見えない鎖のようにセシルの身体を拘束していく。
「兄上! 魔法を使うのは父上に許可をされていない行為の筈だ!!」
セシルは抗議の声をあげる。
それに対し、ヨーゼフは不快だと言わんばかりに表情を歪めて舌打ちをした。
「屑が。俺に対しても父上に対してもその敬称は侮辱だ」
屋敷内で魔法を使うことが許されていないわけではない。
疎んでいるセシルに対して魔法を行使することを許されていないのだ。それでも、使用してしまったからといって罰が与えられるわけではない。精々、呆れたような言葉が投げかけられて終わりだろう。
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