07-3.噂を辿れば君に巡り着く
「私の幸せには、私の大切な人たちが幸せでいなくては意味がない」
メイヴィスの言葉を聞き、ハーディは眉を潜めた。
彼女が口にする大切な人たちの中にはハーディたち使用人も含まれている。そもそも、メイヴィスは交友関係が狭い。公爵邸で働く使用人たちは主人の娘であるメイヴィスに対し、誰もが好意的な対応をする。それを真に受け、信用をしている節のあるメイヴィスは守るべき対象として彼らを含めているのだろう。
それは貴族らしからぬことだった。
優しさだけでは貴族として生き抜くことはできない。家庭教師を任せられているハーディとしてはそれを指摘しなくてはならないメイヴィスの欠点の一つである。それは分かっているのだが、嬉しそうに理想を語るメイヴィスの表情を見ると否定する言葉を口にすることができずにいた。
「……そこには、メイヴィスお嬢様の弟子も含まれるのでしょう?」
メイヴィスの優しさを否定する代わりに口に出せたのは、それだけだった。
任せられた家庭教師の立場として否定しなくてはならないことを言葉にすることはできず、ただ、逃げるようにメイヴィスの答えを待つ。
「王都での日々を得て、ようやく理解をしたことがあります。メイヴィスお嬢様がアベーレの行く末を気にされていたのは、貴女の知る世界では没落をすることはなかったからなのですね。そして、そこは貴女の弟子が生まれた家なのでしょう」
ハーディは拳を握りしめていた。
彼はバックス公爵家の分家筋であるフィッシャー子爵家の出身である。
貴族として地位は低い家柄の生まれではあるものの、彼には魔力があり、魔法の才能もあった。血の滲むような努力の末、ハーディは名門である魔法学園を卒業し、バックス公爵家を含む魔法学園への入学が決まっている子どもたちの家庭教師としての人生を歩むことになったのである。
今では使用人も兼ねてバックス公爵家に正式に雇われた立場である為、他家に出向く機会は減ったものの、その経歴から様々な家の事情を耳にしている。
ハーディには魔法学園で出会った友人がいた。遠い親戚の同級生として顔を合わせ、三年間を共にしている間に無二の親友となった青年がいた。
彼のことを思い出してしまったのだろう。
ハーディは血が滲むのではないかと心配になるほどに拳を強く握り締めていた。
「ハーディ先生?」
アベーレ家に関する話題になるとハーディの表情は険しくなる。
それは本家である公爵家に多大な迷惑をかけながら没落をしたことに対する不信感や怒りによるものだとメイヴィスは思っていたのだが、露骨なまでに険しい表情を見せたハーディの様子を窺う限りではそれだけが原因だとは思えなかった。
「申し訳ございません、メイヴィスお嬢様。お嬢様に質問を投げかけておきながらも感情的になってしまったことを心よりお詫び申し上げます」
「いいよ、気にしていない」
「ありがとうございます、メイヴィスお嬢様」
「それよりも、なにか気になることでもあった?」
「……いいえ、お嬢様のお耳を煩わせるようなことではございません」
ハーディはそれだけ口にすると堅く閉ざしてしまった。
個人的なことだと言い切られてしまえば聞くことを戸惑ってしまう。主人の命令だと言い切ってしまえばハーディも閉ざした口を嫌々ながら開くことだろう。それはしたくはなかった。
……悲劇が重なり合ったのは知っている。
伯爵を任されていた当主により引き起こされた数々の悲劇の話は知っている。
それらはハーディから教えられたものである。その時も表情は険しいものだった。
……関わりがあってもおかしい話ではない。
バックス公爵家の分家筋に当たるアベーレとフィッシャー子爵家に交流があってもおかしくはない。親しい間柄の人間がそこにいたのかもしれない。
「メイヴィスお嬢様」
「なに?」
「私たちはなにが起きようとも貴女の味方であり続けることでしょう。それは公爵邸で働く者たちの多くがそのように振る舞うことでしょう。そのことをお忘れないようにお願いいたします」
沈黙に耐えられなかったのだろうか。
ハーディは眼を細めて語り掛ける。先ほどのような険しい表情から一変し、教え子を慈しむような表情へと変わった。
「公爵邸で働く者ならば口を揃えて言う言葉がございます」
「聞いたことがない。教えて」
「はい。お嬢様には是非とも覚えていただきたいと思います。こうしてお話をさせていただく機会を与えられたからこそ、私どもの思いをお嬢様にお伝えせねばならないと強く実感いたしました」
ハーディの言葉にメイヴィスは息を飲む。
重々しい言葉を並べられると緊張をしてしまう。公爵令嬢として感情を表に出すのは好ましいことではないが、ここは気の知れた従者も兼ねた家庭教師との会話なので多少のことは見逃されるだろう。
「“公爵家の方々の幸福こそが我々の幸福なのです。その為には我々は身を粉にして恩ある公爵家の方々に尽しましょう。我々の主人こそが王国一番の幸福者でなければならないのです。”――これは、ミセス・フィリアが言い始めた言葉なのですが、最近では皆が口を揃えて言うようになりました。公爵閣下、公爵夫人、お嬢様、お三方の世話を任されていると色々と心配になってしまうのですよ」
ハーディの言葉を聞き、メイヴィスは笑ってしまった。
メイヴィスの乳母でもあり教育係を任せられていた五十代のメイド、フィリアがその言葉を部下に言い聞かせている姿が頭の中を過った。公爵家の人間を崇拝するかのような口ぶりで言い聞かせていたのだろうと予想することができる。
王都には行かず、公爵邸に残っていたフィリアには話したいことが山のようにあった。
慕っている彼女の元には行かず、セシルに会いに行く為にすぐに馬車に乗り込んだメイヴィスをフィリアは笑顔で見送ってくれた。
……フィリアなら言い出しそうだ。
セシルと会った後はフィリアと話をしたい。
厳しい言葉を口にすることもあるが、メイヴィスのことを我が子のように可愛がってくれていることも知っている。公爵邸で働くメイドの中でも古株であるフィリアは体力が続くまではメイヴィスの傍に居続けてくれることだろう。
……きっと、フィリアも悲しませたのだろう。彼女のことだ、誰よりも自分を責めたことだろう。傍にいなかったことを嘆いたことだろう。こんなにも簡単に悲しませてしまうことが想像できるのに、なぜ、誰も悲しまないと思えたのだろう。
不意に前世のことを思い出した。
少なくともフィリアはメイヴィスよりも長く生きたことだろう。
メイヴィスが服毒自殺を図った頃には公爵邸を離れ、故郷にて家族と共に暮らしていたものの、訃報は聞いたことがなかった。それどころか月に一度、メイヴィスの様子を気遣う手紙を送ってくれていた。その手紙のやり取りが当時のメイヴィスの心の支えになっていたことを思い出す。
前世ではフィリアは危険に晒されることはなかった。
年配のメイドを標的にするような侵入者が現れなかったことも大きな要因ではあるが、彼女自身、長年公爵家で重宝されるだけの実力はある。前世と変わることなく、今世でも逞しく生き抜く姿は想像できる。
「メイヴィスお嬢様、ミセス・フィリアのように逞しく生きてほしいとは口が裂けても言えませんが、皆、貴女のことを大切に思っているのです。こうして幸運にもお嬢様の秘密を共有することが許された私やエルマーを使ってください。お一人で悩まれると時々どうしようもなくなってしまいますから」
ハーディの言葉には優しさが溢れている。
明らかに彼の許容範囲を超えてしまっているだろう事柄にもかかわらず、メイヴィスの負担を減らそうと考えた結果の言葉なのだろう。
「……うん、そうだね。ふふ、ありがとう、ハーディ先生」
それに対してメイヴィスは笑って答えた。
運命を回避する為には一人では対処しかねないこと起きるだろう。それに巻き込むつもりはなかったが、ハーディの言葉で心が軽くなったのも事実である。
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