07-2.噂を辿れば君に巡り着く
馬車を走らせ、オルコット伯爵領へと向かう。
事前に今から向かうことを伝える手紙を魔法で送ったメイヴィスは楽しそうに窓の外を眺める。隣り合わせの領地ではあるものの、こうしてメイヴィスから出向くことは珍しい。いつもメイヴィスが向かおうとする前にセシルが遊びに来てくれるのだ。たまにはその逆もいいとメイヴィスは思っていた。
……早く会いたい。
馬車を操るのはエルマーだ。
公爵邸を離れることを公爵夫人であるエミリーに伝え、その許可を下りる前に出発を決めたのも彼である。バックス公爵領と親しい間柄であるオルコット伯爵領との往復はニコラスに認められている。普段ならば使用人たちが行き先を把握さえしていれば許可はいらないのだが、今回はエミリーが心配することのないようにと配慮した為、わざわざ行き先を伝えたのである。
……なにを話そうか。
王都で見た光景の話をしようか。
道中で遭遇した出来事の話をしようか。
帰り道に目撃をした巨大なドラゴンの話をしようか。
話したいことは山のようにある。セシルとならばなにをしても心が跳ねあがる。楽しくて仕方がない。メイヴィスがなによりも大切にしたい時間である。
「メイヴィスお嬢様、一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだい。私に答えられることならば遠慮はいらないよ」
「ありがとうございます。家庭教師の身でありながらも、教え子に教えを乞うのは少々恥ずかしいことではありますが、確認をしたいことがございます」
メイヴィスの向かい側の座席に腰かけるハーディの表情は真剣なものだった。授業の一環として問いかけられることはあるものの、メイヴィスの家庭教師として様々な知識をメイヴィスに教え込んでいる立場であるハーディから問われることは珍しい。
「公爵閣下に打ち明けられていた例の話に関することです。お答えしたくないような話でしたら、どうか、聞き流してください」
メイヴィスには前世の記憶がある。
それは十八歳の若さで閉ざしてしまった人生の記憶である。
父親であるニコラスへ打ち明けた際、同席を許されたハーディとエルマーはそのことに関して無言を貫いていた。言葉にはしないものの、エルマーがメイヴィスに対して以前よりも過保護になりつつあるのはその影響を受けたからなのかもしれない。言葉にはしないものの、彼なりにメイヴィスを守る為に警戒を強めているのだろう。
「メイヴィスお嬢様が命を絶たれた時、私とエルマーはなにをしていたのですか? 差し支えないことならばお教えいただきたいと思います」
ハーディの質問を聞き、メイヴィスは静かに視線を逸らした。
斜め前に腰を掛けているハーディの視線はメイヴィスに向けられている。その視線が痛いと感じたのはこれが初めてだった。授業を途中放棄しても、剣術を習いたいと不得意な剣を庭で振り回しても、ハーディは呆れたような表情を浮かべながらも眼だけは穏やかなままだった。
好きなことをさせてあげたい。
それは歳の離れた兄が向ける優しい目線のようだった。
メイヴィスはハーディの授業も授業とは関係のない雑談も好いていた。それは前世も今世も変わらず、もしも、前世で魔法学園への入学が決まらなければ家庭教師として傍に置き続けたことだろう。そうすれば運命は変わっていたのかもしれない。
「大切な貴女が窮地に立たされているというのにもかかわらず、なにもせずにいたとは思えないのです。私は当然のことながら、エルマーも公爵閣下にお声を掛けていただくまでは王国騎士団の優秀な騎士として実践を積んだ者です。なにもせずにお嬢様を敵の手に渡したとは思えないのです」
メイヴィスの返答を待たず、ハーディは告げる。
その言葉にはメイヴィスも心の中で同意をする。婚約破棄を告げられた卒業式の場に二人がいたのならば、メイヴィスを監獄へと誘導をする護衛騎士の手を遮ったことだろう。
メイヴィスがそれでいいのだと言い聞かせても、彼らはメイヴィスを奪還する為の手段を選ばなかっただろう。
……ハーディとエルマーが傍にいたのならば、私は足掻いたかもしれない。
前世では辛い経験をした。
命は簡単に散ってしまうのだということを知っていた。あの時のアルベルトは思い通りにならなければ他人の命を散らしてしまう暴君だった。その被害者を減らすことは王国の為になることだった。
「……そうだね、君たちが傍にいたのならば、私は足掻いたかもしれない」
死を望んでいたわけではない。
ただ、全てに対して絶望をしていた。
「前世は過ぎた話だ。私の知り得る限りでは変わり始めている。変わり始めているのならば、前世といった曖昧なものに囚われるのは私と弟子だけでいい」
メイヴィスはアルベルトと婚約をしなかった。
エドワルドはまだ公爵家の養子になっていない。
前世とは異なる出来事も起きている。
それならば、前世での悲劇が繰り返されないように足掻くのはメイヴィスとエドワルドだけで構わない。運命を覆す禁忌に触れるのは二人だけで構わない。他の誰も巻き込みたくはない。
巻き込まれることにより死が近づくことが恐ろしかった。
それならば罪を背負うのは転生魔法を発動させた術者であるエドワルドと彼を止められなかったメイヴィスだけでいい。彼女はそう考えていた。
「知る必要はないだろう、ハーディ先生。貴方は今を生きている、エルマーも生きている。それならば今を生きるべきだ。知らなくてもいいことを知り、頭を悩ませるのはバカバカしいことだと思わない?」
「それならば、それはお嬢様も同じことではありませんか」
「私は背負わなくてはならない罪がある。前世を忘れることなど許されはしないよ」
「いいえ。話をお聞きした限り、メイヴィスお嬢様には罪はございません。貴女は巻き込まれた被害者なのです。公爵閣下もそのようにお考えでしょう」
「そうだね、お父様とお母様にも同じことを言われたよ」
逸らしていた視線をハーディへと向ける。
与えられた仕事に対して忠実である彼はいつもならばこのような無意味な問いかけはしない。答えのないことは問いかけない。
「二度目の人生を自由に謳歌するべきなのかもしれない。それこそ、誰かに迷惑をかけない範囲ならば好きにしても構わないとお父様から言われていることだし、私はそれを素直に受け入れてしまってもいいのかもしれないね」
それでも前世に拘るのは、二度も失いたくはないからである。
手の届くところに縛りつけておけば失わなくても済むかもしれない。今のメイヴィスならばある程度のことは力任せに解決することができる。
そのことによりメイヴィスのことを脅威だと判断する者もいるだろう、その力を悪用しようとする者もいるだろう。それが恐ろしいからと閉じこもってしまっていては大切な人たちは指の間から零れ落ちてしまう。
これは前世で手放してしまった者を引き留める為の貴重な機会でもある。
それはメイヴィスとエドワルドにとって何よりも大切なことである。
自分たちの大切な人たちが幸せになれない世界は受け入れられない。貴族特有の傲慢な考えによるものかもしれない。自分たちが関わりを持たない他人が書き換えられてしまった運命により翻弄されるような事態に陥っていても、彼女たちは自分たちの大切な人々の為ならば見捨てるだろう。
「私の幸せは大切な人たちと過ごす日々なのだよ」
全ての人が幸福にはなれない。
それならば、身近な人たちだけでも幸福になってほしい。
それを願うことは間違いだろうか。
馬車に揺られながらメイヴィスは困ったように眉を下げた。
「家族がいて、セシルとこうして自由に会うことが許されて、ハーディ先生やエルマーたちと一緒に過ごし、フィリアに少しだけ怒られる。シェフの得意料理を楽しむことも季節ごとに変わる庭を散歩することも、魔法の練習をすることも、剣を振り回すことも、私にとっては大切なことなんだ」
変わらない毎日を過ごすことは難しいだろう。
メイヴィスには常人離れした魔力がある。それを踏まえて考えれば、穏やかな日々はメイヴィスが入学をするまでの期間だけかもしれない。
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