06-7.咎人は犠牲の上に生きている
……すぐに暴発をする可能性は低くなった。
それは一時的な対処に過ぎない。
この場に留まればリリーは意識を失ったまま、魔力の暴発を引き起こすだろう。それに巻き込まれてしまえば命の保証はできない。
……術者を捕縛し、魔法の解除をさせることができれば。
魔力の暴発を抑えることができれば、リリーは助かるだろう。
しかし、二度も術者の手に落ちた彼女を利用しようとする者は少なくはないだろう。命を長らえても再び利用されることは眼に見えている。なにより、今のエドワルドには術者を捕縛するほどの力は残っていない。転生魔法を発動させた後遺症だろうか、彼には前世で得た経験や知識、知恵はあるものの、習得した魔法を全て扱うことはできない。扱えるのは極一部の魔法だけであり、それらは全て手順を省略することも出来ず、発動をするまでに時間がかかってしまう魔法ばかりである。靴底に魔方陣を書き込んでいる為、【加速魔法】だけはすぐに発動することはできるが、それでは、術者を捕縛することはできない。
それらを踏まえるとエドワルドには選択肢がなかった。
……俺には、なにもできない。
リリーの為に命を落とすわけにはいかない。
エドワルドにはやらなければならないことがある。
「キャロル。そこにある毛布を取ってくれないか?」
「……どうするの」
「リリーに掛けてあげるんだ」
「その子にあげるものなんてない」
キャロルと呼ばれた十歳の少女は首を横に振った。
それからエドワルドに渡さないと言わんばかりに近くにあるボロボロの布切れを集め、抱え込む。先ほどまで泣いていたからだろう。眼は赤くなっている。
「キャロルのものをあげなくてもいい。リリーが使っていた毛布を取ってほしいんだ。それも与えたくはない?」
エドワルドの問いかけに対し、キャロルは気に入らないと言いたげな視線を向けた。それから、左手で自身の眼を擦る。先ほどまで怯えていたとは思えない態度の変わり様にはエドワルドも驚きを隠せなかった。
……俺が孤児院に来なければ、キャロルが中心になっていたんだろう。
都合のいい仲介役だったユージン、彼の支えとなっていたアイカ。
この二人は目的さえ達成してしまえば、孤児院を見捨てただろう。ユージンの言葉が真実ならば、彼はダーティ孤児院の子どもたちを監視する役目を任されていた。引き取り先への仲介役を担っていただけであり、子どもたちの生活を保障するようなことはしていなかった。エドワルドと出会った後でさえ、子どもたちの生活には必要以上に干渉をしようとしていなかったことを思い出す。
ユージンは子どもたちに興味がなかったのかもしれない。いや、もしかしたら、引き取られた後のことを知っているからこそ、子どもたちが生き残ることを望んでいなかったのかもしれない。どちらにしてもエドワルドが孤児院と関わってしまったことにより、それは変わってしまった。
……子どもたちの運命を捻じ曲げてしまった。
それは幼い子どもたちの過酷な運命を良い方向へと変えたわけではない。その日暮らしの孤児院で過ごし、引き取られた先では幸せになることもなく死んでいく。その未来は壊されたものの、導き手も失い、放り出されたのも同然だ。
……運命は変わる。悪い方向にも良い方向にも変わってしまう。
前世での経験が根付いているからだろうか。
エドワルドは冷静だった。これらの現象は前世では体験しなかった出来事であり、前世とは異なる展開を迎えた末に引き起こされた結末である。それは運命に抗うことができる可能性を示していた。
エドワルドにとってその可能性はなによりも価値のあることだった。
五年後に迫るメイヴィスの死を回避することができる可能性が浮上したのだ。運命を回避することができれば、前世のような悪夢は引き起こされないかもしれない。それを思うとエドワルドはリリーが引き起こしたこの一連の出来事を恨むことができなかった。
「……これ、リリーの」
「ロア!! あげなくていいの!」
「でも、エドが言うから」
「エドワルドの言う通りにしなくてもいいの!」
キャロルよりも小柄な少年、ロアはエドワルドの元に一枚のボロボロの布を渡した。それはリリーが孤児院に連れて来られた時から彼女に与えられた唯一のものだった。それを渡すことを拒むキャロルの言葉を聞かなかったことにしてエドワルドはロアから受け取り、それをリリーに掛ける。
「エド、どうするの」
ロアの頼りない声が孤児院に響く。
リリーが再び子どもたちの脅威になることはないだろう。しかし、両腕を引き千切られた状態のセツには既に息はなく、子どもたちが頼りにしているユージンも命を失っている。孤児院の外にいるアイカも戻ってきていない。
「……孤児院から出よう。アイカと合流をしてからこれからのことを考えよう」
導き出した答えは頼りのないものだった。
エドワルドにも確実な伝手があるわけではない。いや、エドワルドだけならば、メイヴィスを頼れば救いの手が差し出されるだろう。それは子どもたちを見捨てることになる。
……せめて生き残った子どもたちだけでも助けなければ。
それは義務感ではない。罪悪感でもない。
メイヴィスや敬愛する公爵、公爵夫人に対し、顔があげられないようなことはしたないからである。世間や他人に対し、恥じるような真似をするわけにはいかない。それは自尊心を保つためには大切なことだった。
他人を犠牲にすることによりエドワルドは生き延びている。
前世を含め、多くの人々の犠牲と涙の上に立ちながらも、エドワルドは目的を果たす為に振り返らない。
メイヴィスを失い、後悔をした日から彼の気持ちは揺るぐことはなかった。
それは今世でも変わらない。エドワルドがエドワルドである為には変えることの出来ないものなのかもしれない。
* * *
アイカは様々な花が自生する丘の上にいた。
丘の頂上には古びた木の棒が刺さっている。石で彫られた文字は雨に晒されたことにより読めなくなっているものの、アイカにとって、ここはなによりも大切な場所であることには変わりはない。
それはアイカの母親の墓だった。
アイカが生まれた頃には父親はいなかった。母親と二人、貧しい生活だったが、それでもアイカは幸せだった。誰よりも大好きな母親を独占し、なにをするのも一緒にさせてほしいと強請り、母親を困らせているような子どもだった。
彼女は母親と一緒にいれば幸せになれたのかもしれない。
木の棒の下で眠る母親に祈りを捧げるように膝をつき、両手を組む。それから静かに眼を閉じる。死者へと捧げる祈りをアイカに教えたのは母親だった。そのことを思い出したのだろうか、アイカの眼からは涙が零れる。
明日、生まれ育った土地を離れることが決まったのだ。
母親の死後、預けられたダーティ孤児院を離れる。引き取り先として名乗り上げた相手の素性は知らされず、言葉巧みに連れ出される子どもたちの姿を見送ってきたが、それが自分自身の話となると恐ろしく感じてしまう。
「アイカ! やっぱり、ここにいたのか」
祈りを妨げる声がした。
アイカは眼を開き、涙を隠すように腕で瞼を擦った。
「……エドワルド。どうしたの。貴方がここに来るなんて珍しいわね」
なにもなかったような顔をして立ち上がり、振り返った。
顔色の悪いエドワルドはミッチェル、キャロル、チェリー、ロアの四人を連れている。エドワルドの反応を伺うかのような表情をしている子どもたちの顔色も悪く、明らかに疲れ切っている。その様子にエドワルドも気付いているだろう。
アイカの姿が満月の光に照らされる。
光を浴び、輝く髪色は絹のように美しいものだった。透き通るような金色の髪、王国では珍しい薄紅色の眼、それらが照らし出される姿を目にしたエドワルドは眼を見開いた。こうしてアイカの姿を見つめるのは初めてだった。
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