06-8.咎人は犠牲の上に生きている

「エドワルド?」


 アイカに名を呼ばれ、我に返る。

 一瞬、現実か夢か判断がつかなくなった。見慣れている筈の少女が別人のように見えたのは気のせいだろうか。


「……あ、いや……」


 言葉が不鮮明だったことに対し、アイカは不思議そうに首を傾げた。

 それに対し、エドワルドは静かに眼を逸らした。


 ……ありえない。


 当初、エドワルドはユージンの言葉通り、アイカも連れて行くつもりだった。しかし、満月の光に照らされているアイカを見た途端、その考えが正しいものか、疑問に抱いてしまった。


 ……気のせいだ。きっと、見間違いだ。


 目の前にいるのはアイカである。

 ダーティ孤児院で共に生活をしてきたアイカである。


 頭の中では正しく認識が出来るのにも関わらず、動揺を隠せなかった。


 ……間違いであってくれ。


 満月の下にいるアイカが別人のように見えた。


 それはこのような場所にいるような人物ではないということも、ダーティ孤児院に居るはずがないということも理解をしている。そもそも、名前と年齢が違う。今までなにも疑問を抱くこともなく、生活を共にしてきたのにも関わらず、なぜ、ここで疑問を抱いてしまったのだろうか。


 エドワルドは前世でアイカと出会っていない。

 しかし、アイカと瓜二つの容姿をしている少女の存在を知っている。


 なぜ、今まで共に過ごしてきて二人が結びつかなかったのだろうか。一目見れば、その特徴的な容姿に気付くだろうと思っていた。


 ……エミリアと同じだなんて。きっと、見間違いだ。


 エミリア。それは前世においてエドワルドの平穏を壊した少女の名である。


 貴族の生まれであり、魔力の優れた者以外は入学をすることができない魔法学園に特例として入学が許された光属性の魔法を扱うことができる平民の少女、エミリアは学園での生活を得て、アルベルトと恋に落ちる。その結果、アルベルトと婚約を結んでいたメイヴィスは婚約破棄をされ、公爵家の名誉を守る為、メイヴィスは服毒自殺を図ってしまった。


 エドワルドはその日のことを今でも後悔し続けている。それは、禁忌と知りながら、転生魔法を発動させ、全てを書き換えようとした切っ掛けだった。今も尚、エドワルドの心を蝕み続けている元凶の少女とアイカは同じ顔をしていた。


 そのことに今になってようやく気付いたのだ。


「俺たちは孤児院を離れようと思う。君はどうする?」


 エドワルドはようやく言葉を発した。

 その言葉に対し、アイカは何度も瞬きをした。


「明日、迎えに来るのよ」


「知っている。その前に一緒に逃げてほしいとユージンに言われたんだ」


「ユージンが? ……彼、一緒ではないの?」


「一緒じゃない。アイカ、君が良ければ、俺たちと一緒に離れよう」


 誘ってはいるものの、エドワルドの表情は曇ったままである。


 一度、アイカではなくエミリアがそこにいるように見えてしまえば、二人の共通点ばかりが気になってしまうのだろう。


「……いいえ、わたしは残るわ」


 アイカは首を横に振った。

 それから子どもたちに眼を向け、優しく微笑んだ。


「明日までだから大丈夫よ。一人で過ごせるわ」


「そうか。それなら、せめて、孤児院には戻らないでほしい」


「どうして?」


「理由は話したくはない。明日、迎えに来るなら、その時まで知らない方がアイカの為だ」


「そう。貴方がいうのなら、それが正しいのね」


 エドワルドの言葉に対し、疑問を抱いていないのだろうか。

 穏やかな表情を浮かべるアイカは聖女のようであった。満月の光に照らされる姿は教会に飾られている女神の像に似ていた。


 共に過ごしている時は気付かなかった。


 それはエドワルドに余裕がなかったからだろうか。それとも、別の理由が隠されているのだろうか。


 穏やかな表情を浮かべるアイカの顔を見ることができなかった。見てしまえば、エミリアに対する怒りをアイカにぶつけてしまいそうだった。二人が別人であることは頭の中では理解をしているものの、感情の整理がつかない。


 ……正しい? 俺はなにも知らせずに逃げようとしているだけだ。


 ユージンとセツが殺されたことも、リリーが毒に侵されていることも報告しなくてはならない。それはダーティ孤児院の子どもたちと決めた約束の一つだった。なにかあった時は情報共有をすることは子どもたちが生き残る為には、大切な約束だった。


 その約束を果たすこともせず、エドワルドは生き残った子どもたちを連れて逃走をしようとしている。それをアイカが知れば怒るだろうか。いや、彼女はそのようなことには興味を抱かないだろう。アイカは日課としている母親の墓参りを邪魔されなければ怒らない。彼女はそういう人だった。


「……俺たちはすぐにでも伯爵領を離れるつもりだ」


「そうなの。急に決まったのね」


「相談も出来ずに悪かった」


「大丈夫よ。ところで、ミッチェルたちも連れて行くの?」


「置いてはいけないだろ。彼女たちが幸せになれるような引き取り先を探すよ」


「そうなの。それはよかったわ」


 エドワルドが視線を背けていることに気付いていることだろう。それを指摘しないのは興味がないからだろう。アイカは穏やかな表情を浮かべているものの、他人に対する興味は薄かった。その日暮らしの孤児院で生活をしていく上では必要最低限の行動の一つだった食糧漁りもせず、丘の上で日中を過ごす。母親の墓参りを日課としていたアイカの行動を非難する者は居らず、誰もが当然のようにアイカの分の食糧や衣類を確保していた。


 それに対し、違和感を抱いた者はいなかった。

 なぜ、アイカだけが許されるのだと問いかける者はいなかった。


「最後に、一つだけ聞きたいことがある」


 二度と会うことはないだろう。


 前世ではエドワルドとアイカの人生は交わることはなかった。この場で縁が切れてしまえば、再び交わることはないだろう。


 エドワルドは交わることはないと信じてみたかった。

 その為には確信が必要だった。


「“エミリア”という名を聞いたことはないか?」


 言葉と共に視線をアイカに戻す。

 なにかを思い出そうとしているのだろうか、アイカは首を傾げた。


 ……繋がりがなければそれでいい。


 もしかしたら、アイカとは関わりがない親戚の可能性もある。他人の空似という可能性もある。それならばエドワルドは安心することができるだろう。


 ……アイカはアイカだ。わかっているのに。


 この場に残ると告げたアイカの手を取り、連れて行くべきなのかもしれない。


 ダーティ孤児院に残ればアイカの命の保証はない。彼女が頼りにしているユージンもこの世には居らず、誰もアイカを助けてくれる人はいない。


 ……姉上には会わせたくはない。


 エミリアと瓜二つのアイカを目にしてもメイヴィスはなにも感じないだろう。前世でも死ぬ間際までエミリアの存在に対して興味を抱いていなかったメイヴィスが彼女の顔を覚えているとは考えにくい。それでも、一度は義姉を失った身としては二人を会わせたくはなかった。


「聞いたことがないわ」


「そう、か。それならいいんだ。……それじゃあ、もう行くよ」


 エドワルドは背を向ける。

 不安そうな顔をしているミッチェルたちの背中を押し、この場を離れる為に歩いていく。その背を追いかけることもせず、アイカは相変わらず穏やかな表情を浮かべていた。名残惜しさは感じていないのだろうか。


「さようなら、エドワルド。さようなら、ミッチェル、キャロル、チェリー、ロア。貴方たちの人生が幸福で満ちていることを祈っているわ」


 その言葉はユージンの言葉と重なって聞こえた。


 聖書を聞いたことのある者ならば別れ際に相手の幸福を祈るのは珍しいことではない。挨拶のように頻繁に口にする言葉ではないものの、なにかがあった時には神のご加護が与えられるようにと祈りの言葉を口にする文化がある。


 それはエドワルドたちが耳にしたアイカの最後の言葉だった。


 丘を降りていくエドワルドたちを見送るアイカの表情は穏やかなものだった。エドワルドたちの姿が見えなくなるとアイカは座り、再び、母親の墓参りには欠かせない祈りを捧げ始めた。

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