03-3.バックス公爵家の令嬢は魔法に愛されている

 ……エルマー?


 壁際に立っているエルマーに視線を向ける。


 メイヴィスが意識を手放したその場に立ち会う事になってしまった彼の表情は暗い。神に祈るような顔をしながらこの場に残っていたのだろう。その隣にはニコラスとエミリーと共に駆けつけてきたのだろうと思われるハーディの姿もある。見慣れているはずの彼らが並んでいる姿に違和感を覚えてしまうのは、先ほどまで見ていた悪夢が原因だろうか。


 ……私の傍にいれば、エルマーも、ハーディも、危険な目に遭うのでは。


 前世の悪夢を再現するつもりはない。

 二度も奪われてしまうつもりはない。


 メイヴィスは前世とは違う人生を歩むつもりだ。それなのにもかかわらず、決意が揺らいでしまう。悪夢として現れたエルマーの死に顔を忘れられない。


 ……いいや、それは違う。今度は私が守りぬけばいい。


 手放してしまえば守ることすらもできない。

 それは前世で得た苦い経験だ。


「メイヴィーちゃん、どうしましたの? 涙が流れていますわ」


 エミリーに指摘をされて気付く。


 母の言葉を確かめるようにメイヴィスは右手を目元に運べば、確かに指には涙がつく。泣いている自覚はなかったものの、涙が止まらない。


「どうした、苦しいのか」


 心配をするニコラスの言葉には首を横に振るう。


 苦しみなどはない。意識を手放したのは強制的に魔法が解除された時の反動であり、封じなければ立っていることもできなかった辛い記憶を思い出してしまったからこそのものである。脳が処理を仕切れなかったのだろう。


 心配をする両親の姿を見つめる。

 そこには偽りはない。嘘はない。それだけが伝わってくる。


 ……そうだ。私は、家族を守る為に記憶を封じた。


 感情的に振る舞えば、家族はメイヴィスの罪により命を奪われたことだろう。それを恐れ、メイヴィスは自分自身の記憶を書き換える方法を選んだ。それからエドワルドには禁忌の魔法に関する様々な知識とそれを実行できるだけの技術を教え込み、それを教え込んだ事実すらもメイヴィスは記憶の中から消してしまった。


 エドワルドならば禁忌に手を染めるだろうとわかっていながらの行動だった。

 メイヴィスは賢い魔女だった。


 家族を大切に思うからこそ、復讐を諦めたかのような演技をする為には感情を消し去り、記憶を書き換えてまで都合のいいように演じてみせた。


 なぜ、今になってそれを思い出してしまったのだろうか。


 メイヴィスはそれに対して答えを持ち合わせていない。しかし、前世と同じ人間として転生を果たしたことにより、歪な魔法となってしまったのだろう。


「お父様、お母様、心配をおかけしました。私は大丈夫ですから、お仕事に戻ってください」


 笑顔を作って見せる。


 メイヴィスはエミリーの腕を優しく押し返し、抱きしめたままの姿勢でいようとする母から離れた。相変わらず、壊れてしまったかのように涙だけが止まらないものの、メイヴィスは普段通りに振る舞うことはできた。


 ただ、眼からは涙が零れ落ちる。


 それは前世で施した魔法が解除された反動によるものだろう。記憶を書き換えたことにより感情を乱すことを防いでいたのだ。それが解除された今となっては上手に感情を制御することができない。それも時間が経てば慣れるだろう。


「でも、メイヴィーちゃん。苦しそうだわ」


「大丈夫ですよ、お母様。それよりも身体が動かしたくて仕方がないのです。魔法を使いたくて仕方がないのです」


「今からそれをするつもりですの? メイヴィーちゃん、意識を取り戻したばかりなのですよ。お医者様に診ていただきましょう」


「いいえ、問題はありません」


 涙を拭いながらメイヴィスはベッドから足を放り出した。


 身体を動かしたいのは前世で積み上げてきた剣術を確認したいからである。魔法を使いたいのは書き換えた記憶と共に封じられた様々な属性魔法をどこまで使えるのかを確認したいからである。今ならば魔力を暴発させるようなこともなく、制御下に置けなかった魔力を暴走させるようなこともない。


 底なし沼のような魔力がメイヴィスの制御下にある。

 それに対する恐怖はどこかに行ってしまっていた。


「ニコラス様、メイヴィーの様子がおかしいですわ。すぐにお医者様に診ていただきましょう」


「……いや、様子を見よう」


「様子見をしている場合でしょうか!? 可愛い娘の身になにかが起きてからでは手遅れですのよ!?」


「メイヴィス、身体には違和感はないか」


「ニコラス様! 私の話を聞いてくださいませ!!」


 心配をしているエミリーの言葉を無視して、ニコラスはメイヴィスに問いかける。それに対して我慢ができないと言わんばかりの甲高い声をあげたエミリーの声に応える者はいなかった。


「問題はありません。魔力も制御下にあります」


「あれほどに溢れていた魔力を完璧に制御できているのか」


「はい。恐らく、その反動により意識消失を引き起こしたのかと思います」


「そうか」


 ニコラスはなにかを考えているようだ。

 顎に触れながら視線を落としていた。


 ……なにを考えていられるのだろう。


 メイヴィスの話を聞く為だけに王都へと呼び寄せただけなのならば、公爵領へと戻されてもおかしくはない。しかし、公爵領へ戻る許可は下りず、こうしてなにをするわけでもないのにもかかわらず、王都に残されている。


 それにはニコラスの考えがあるのだろう。

 メイヴィスはそれを聞き出すようなことはしなかった。興味も薄かった。


「身体を動かすのは明日以降にせよ。すぐに客人を迎える準備を整えよ」


「わかりました。準備をします」


 ニコラスの言葉にメイヴィスは大きく頷いた。

 メイヴィスの状態が問題ないと判断をしたのだろう。そこには絶対的な信頼関係があるようにも、娘の状態に興味がないようにも思える。


「ニコラス様! メイヴィス!! なにを考えているのですか!?」


 少なくともエミリーには、ニコラスがメイヴィスの状態に興味がないように見えたのだろう。淡々と父の言葉に従うメイヴィスに対しても違和感を覚えたのかもしれない。


「意識を失ったと自覚があるのですわよ!? それならば、安静にするようにと口にするのが親のすることではありませんの!?」


 それは娘を心配する母親だからこその言葉だった。

 癇癪を起したかのような甲高い声が部屋中に響き渡る。


「魔力の暴走による一時的な意識消失は十五歳以下の子どもならば誰にでも起きることだ。数時間で意識を回復したのならば、なにも心配をすることはない」


 それに対するニコラスの言葉は淡々としたものだった。


 魔法に関わる機会の多いニコラスにとっては、メイヴィスのように魔力過多傾向のある子どもが一時的な意識消失を起こす事例は珍しいものではないのだろう。実際は魔力の暴走による意識消失ではないのだが、メイヴィスの身体にはなにも不具合が生じていないのですぐに動いても問題はない。


「エミリー、客人を迎える約束を断る必要はない」


「なにか起きてしまっては手遅れとなりますわ。あのような約束など断ってしまいなさい」


「陛下直々の提案だ。断るわけにもいかない」


「バックス公爵の言葉を無視できるようなお方ではないでしょう。断ってしまいなさい、ニコラス様。メイヴィスにはそのような提案は不要ですわ」


 メイヴィスを庇うようにエミリーは声をあげる。

 話を聞くつもりはないとでも言いたげな表情を浮かべているエミリーに対し、ニコラスは困ったように頭を掻いた。

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