03-2.バックス公爵家の令嬢は魔法に愛されている

 ……私は、それを受け入れられなかった。


 信頼をしていた従者だった。

 幼い頃から傍にいた家族のような存在だった。


 ……だから、私は、罪を犯さないように記憶を書き換えた。


 なにも感情を抱いていなかったはずの婚約者、アルベルトに対して淡い恋心のようなものを抱いているのだと心を偽り、誤魔化し、現実から目を背ける為に自分自身の記憶を書き換えた。それは下されなくてはいけない罰だったのだと自分自身の記憶を正当化した。そうでもしなければ、メイヴィスはエルマーの仇を討つ為に、アルベルトを殺してしまっていただろう。


 そのことを知っているのはエドワルドだけだろう。


 心を書き換える魔法を行使した義姉の姿を目にしたエドワルドは狼狽えていた。止めてくれと泣き叫んでいたエドワルドを無視して自分自身の記憶を書き換え、淡い恋心に溺れるような公爵令嬢を演じてみせた。その全てを終わらせるように服毒自殺を図っても、忌々しい記憶を思い出すことはなかったのは、通常の倍以上の魔力を注ぎ込んで魔法を行使したからだろう。


「お嬢様、お嬢様、お嬢様!!」


 その魔法が砕け散る音が聞こえた。


 吐き気がする。心配するエルマーの言葉も理解できないほどに耳鳴りが煩い。


 ……そうだ。私は、仇を討つことを拒んだ。


 公爵家の為に生きなくてはならなかった。

 王国の為には生きなくてはならなかった。


 それらを全て心の奥底に封じ込め、アルベルトの全てを肯定することのできるように自分自身の記憶を書き換えていた。だからこそ、なにも疑う事もなく、免罪だと理解をしていながらも毒を含んだのだろう。


 全てを思い出す。


 頭が焼けるように熱い。眼からは大粒の涙が零れ落ち、額からは汗が流れる。


 ……この力は、呪いだ。私が自分自身にかけた呪いだ。


 他人を害することに特化した魔法ばかりを習得したのは、それしか習得することができないからであると自分自身に暗示をかけた。毒を生成する血統魔法を除き、他人の命を奪う可能性の高い属性魔法を習得したのは魔法学園でのことだ。卒業を控えた三年目の夏以降の話だった。


 大切な人を二度と奪われることのないように。

 大切な人の仇を討つことができるように。


 メイヴィスはエドワルドのことを誰よりも理解をしていた。師匠としてエドワルドに禁忌の魔法に関する話を教えたことを思い出す。彼ならばメイヴィスの遺言を無視して禁忌に手を染めることだろうと理解をしていながらも、様々な話を教えたのだ。


 全ては復讐の為の準備だった。



* * *


 これは夢だ。

 ――夢だということは誰よりも私がわかっている。



「殿下。これは、どういうことでしょうか」


 妙な気分だった。

 見覚えのある魔法学園の一室、半透明な私自身と剣を握っている半透明なアルベルト殿下がいる。刺々しい雰囲気というのは目には見えないものの、肌で感じることができる。二人のやり取りには身に覚えがあった、聞き覚えがあった。


 妙な気分に陥るのには理由がある。

 私はその二人を見下ろすように眺めているのだ。


 前世の二人のやり取りを眺めているのは初めてだった。


「エルマーが、見当たらないのです。私の従者がいないのです。殿下、殿下ならば知っているのではないですか、エルマーを見てはいませんか」


 殿下の足元には横たわっている人がいる。

 それがエルマーだということは今の私にもわかる。わかってしまう。


「殿下、これは、一体、どういうことなのでしょうか」


 これは前世の記憶なのだろう。

 私が書き換えてしまった真実の記憶なのだろう。


 エルマーはアルベルト殿下の癇癪により殺される。それを私は受け入れることはできなかった。こうして上から見下ろしてみると、なんて不愉快な光景なのだろう。


 アルベルト殿下は笑っていた。

 従者を殺され、気が狂ったような言葉を口にする私を見て笑っていた。


 それに気づくことができなかったのは私の落ち度だろう。それだからエルマーを殺されたのだ。周囲への警戒を怠っていたからこそ奪われたのだ。


「下僕の管理を怠っただろう。それは俺の恋人に手を出そうとした不良品だ。早々に買い替える手間を失くしてやったんだ、感謝するべきではないか、メイヴィス。お前みたいな化け物の下僕の管理までこの俺にさせるなと、散々忠告をしてやったのにそれを聞かないからこうなるんだ」


 呆然とした顔をしている私は殿下の言葉を理解していないだろう。

 今だからわかることもある。


 私は王国の為だと心にもない言葉を口にする暇があったのならば、彼の剣を奪い、その手で殺してやるべきだったのだ。


「……エルマー……?」


 殿下は倒れているエルマーの背中を蹴り飛ばした。


 血を流している彼は私の足元に転がる。その顔は真っ赤に染まっていた。斬り殺されたのだろう。魔法をかけられたのだろう。拷問の末に命を奪われたのだろう。私はその場に座り込んでしまった。それから冷たくなったエルマーの頬に触れ、彼の名を呼ぶ。


 その時のアルベルト殿下がどのような顔をしていたのか目にしていれば、私は記憶を書き換えるなどといった暴挙を起こさなかっただろう。


 アルベルト殿下は笑っていた。

 正しいことをしてやったのだと言うかのように笑っていた。



* * *



「――メイヴィス、メイヴィス! 眼が覚めたのですね!」


 メイヴィスの眼が薄らと開かれた。

 それに真っ先に気付いたのは母、エミリーだった。メイヴィスの記憶ではエミリーが王都入りをしたところであり、屋敷に到着をするまでには一時間ほどかかる予定だった。


 ……なんで、お母様が。


 頭がぼんやりとしている。

 状況をすぐに理解をすることができない。


 ……まだ、時間があるはずだったのに。


 あの後、メイヴィスは激しい頭痛と耳鳴りの中、意識を手放していた。それは前世にて書き換えた記憶を取り戻してしまった反動だったのだろう。


 意識を手放している間、メイヴィスは恐ろしい夢の中にいた。


 それは全てが前世で引き起こされたことだった。夢の中のやり取りはぼんやりとしか覚えていない。ただ、眼を閉じれば前世でのアルベルトの狂ったような表情を思い出してしまう。それを思い出すことを拒むようにメイヴィスは瞬きをした。それから右手で瞼を擦る。次第に視界が晴れていく。


「屋敷に着いた途端、貴女が倒れたと耳にして心配をしましたのよ、メイヴィー」


「……心配を、おかけしました」


「ええ、ええ、メイヴィー、お母様を心配させないでちょうだい。貴女が倒れたと聞いてお母様の心臓は止まるところでしたのよ。可愛いメイヴィー、貴女になにかあったらお母様は生きてはいられませんわ。お願いよ、無理はしないでちょうだい」


 身体を起こすとエミリーに抱きしめられた。

 心配をしていたのだと口にするエミリーに対しては恐怖感を抱かない。意識を手放すまでは嫌われているのではないかと不安だったのにもかかわらず、目の前にいる母親の言葉を疑うことすらしない。


「エミリーの言う通りだ、メイヴィス。体調が悪いのならば無理をするな、エルマーから報告を受けた時には私も生きた心地はしなかった」


 ニコラスの言葉を聞き、メイヴィスは申し訳なさそうに眉を下げる。


 体調不良だと伝えたのはエルマーだろう。実際、エルマーの眼にはメイヴィスが急に意識を手放したように見えたことだろう。

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