03-1.バックス公爵家の令嬢は魔法に愛されている

 王都ライデンにて過ごす日々は新鮮なものだった。


 窓を少し開けてみれば、領地では聞くことができない活気のある人々の声が聞こえて来る。城で働いている人々の声だろうか、貴族街を通る人々の声は明かるものだった。見たことのない人々の会話を盗み聞きしているのではないかという罪悪感はあるものの、領地にある公爵邸では耳にすることはないやり取りを聞くのは止められない。それは大勢の人々が生きている証だ。


 メイヴィスは窓際に椅子を置き、その声を聞きながら読書をする。

 それだけでいつもの日常が違うものになる。


「お嬢様。そろそろ窓を閉めさせていただきますよ」


 メイヴィスはエルマーの声に気付き、視線を本からエルマーへと移した。いつの間にか部屋の中にいたエルマーの気配に気づくことができなかったのは、久しぶりだった。そのことに気付いていないのだろう。エルマーはメイヴィスが開けていた窓を閉め、躊躇なくカーテンをしてしまう。


「どこかにいくのか」


「はい。先ほど、奥様が王都入りをしたと報告が入りました。お出迎えをいたしましょう」


 エルマーはメイヴィスに左手を差し出す。


 椅子に座ったままのメイヴィスはその手を取り、立ち上がるべきだろう。公爵夫人である母のエミリーが王都に戻ってきたのならば、それを出迎えるべきだ。その為の準備をしなくてはならないことはメイヴィスもわかっていた。傍に置いてある机に本を置き、その手を掴もうとしたものの、すぐにメイヴィスは手を引っ込めてしまった。


 ……どの顔をしてお母様に会えばいい?


 ニコラスよりもメイヴィスのことを溺愛しているのはエミリーだということは、前世の頃から知っていることだ。しかし、不安が頭を過る。


 ……前世と同じとは限らない。


 前世となにもかもが同じならば、メイヴィスは迷わなかっただろう。


 人の気持ちというのは簡単には変わらないと思っていた。だからこそ、公爵領にある公爵邸を離れる時は母の愛を疑うことはなかった。しかし、今は違う。


 王都に向かう最中、思い知ってしまった。


 他人の気持ちは簡単に変わってしまう。状況が変わってしまえば同じことなど一つもない。前世と同じ人生を歩むだけならばメイヴィスは困らなかっただろう、悲しみも覚えることはなかっただろう。それらは全てアリーチェとクロエの行動により否定されてしまった。


 ……悩むのならば、幽閉でもされる方が良かったのかもしれない。


 現実から目を閉じてしまいたい。現実から耳を塞いでしまいたい。


 前世の記憶などがなければメイヴィスは迷うことを知らなかっただろう。他人は他人だと割り切ってしまうこともできただろう。家族から向けられる愛を疑うこともなく、その愛は王国への忠誠心よりも劣るものだと決めつけてしまえただろう。


 今は母から拒絶されることが恐ろしくて仕方がない。

 よくはない想像ばかりをしてしまう。


「お母様には会わない。私は部屋にいると伝えて」


 メイヴィスは臆病になっていた。


 父と対話をした時に抱いた恐怖感を拭えない。他人とも家族とも違う存在だということは自覚をしていたものの、それを簡単には受け入れることもできない。逃げ道を用意してしまうのは弱い心からくるものだということはメイヴィスも分かっていた。


 ……許されはしないだろう。


 自ら逃げることを選ぶのは公爵家の者として相応しいとはいえない。

 メイヴィスの考えの大半を構成している公爵家の人間として相応しいものであれ、という基本方針はメイヴィスの行動を否定するだろう。


「お嬢様。奥様にお会いしたくはないのですか」


「……そうだ」


「そうですか。奥様は怒ると怖い方ですからね、お嬢様がお会いしたくない気持ちもわかります」


「怒られることをしたわけではない。エルマーと一緒にするな」


「失礼しました。俺はお嬢様が退屈な日々に飽きてしまい、悪戯でもしたのかと」


「していないよ。……そういう問題じゃない」


 エルマーはメイヴィスの言葉に大袈裟なくらいに頷く。


 強引に部屋から連れ出そうとしないのはエルマーの優しさだろうか。時々、腕時計を確認している仕草から時間はあまりないことがわかる。


「お母様は、私のことを嫌いになられたかもしれない」


 それはか細い声だった。


 日頃から堂々と振る舞っているメイヴィスの声とは思えないほどに小さな声を聞き取ったエルマーは不思議そうな顔をして首を傾げる。数日前、護衛騎士としてメイヴィスの秘密を耳にしたとは思えないほどに態度を一つも変えないエルマーに対し、メイヴィスは時々こうして弱音を吐いてしまう。それは家庭教師も兼任をしているハーディに対してはできないことだった。


「エルマー、私は体調が悪いということにしてくれないか」


「顔色もよくはないので体調を壊されたと言っても通るでしょうけど、それでいいのですか?」


「いいんだよ。なにも問題はない」


「お嬢様は逃げることを嫌っていたではないですか」


「いいんだよ。……私だって逃げたいときはある」


「お嬢様がそれで楽になれるのならば、俺は協力をします」


 エルマーの手がメイヴィスの手の上に重ねられる。

 権を握る騎士だからだろうか。その手は硬いものだった。


「俺はお嬢様の騎士です。大切なお嬢様が悲しむことはしません」


 エルマーの言葉に聞き覚えがあった。

 今世では初めて聞いた言葉なのにもかかわらず、その言葉を覚えている。


 ……あぁ、そうだ。あの時も言われたんだ。


 それは前世の記憶だった。


 前世と今世の記憶が混ざっている。前世の全てを引き継いだから引き起こされた現象なのだろう。エルマーの顔が重なって見えてしまう。


 ……あの時だってエルマーは私を守ろうとして。


 前世でもエルマーはメイヴィスの護衛騎士だった。兼任していた従者としての仕事も問題なくやり遂げてしまう優秀な人材だった。


 彼はメイヴィスのことを大切に思っている。


 望まない婚約により大切な友を手放さなくてはならなかった時も、手紙という形でハーディの訃報を知らされた時も傍にいた。いつだってメイヴィスの言葉を肯定し、メイヴィスが選んだ道ならばそれで正しいのだと優しい言葉を継げるのはエルマーだった。フィリアが引退した後もエルマーはメイヴィスの従者でいることを選んだ。それは魔法学園に入学をした後も変わらなかった。


 ……私を守ろうして。エルマーは、殺される。


 なぜ、忘れてしまっていたのだろう。

 魔法学園で引き起こされた悪夢を忘れてしまっていた。


「お嬢様?」


 エルマーの顔が二重に見える。


 重なった顔は血に染まっている。それは前世で見たエルマーの最期の顔だった。魔法学園三年目の夏、庶民生まれの恋人を溺愛するアルベルトの手によってエルマーは殺された。その切っ掛けは些細なものだった。アルベルトが溺愛していた恋人の関心がエルマーにも向けられてしまった。それを許すことができなかったアルベルトは制裁と称してエルマーの命を奪った。


 その日のことを思い出してしまう。


 自分自身の記憶を書き換えるという暴挙に出てしまうほどに恐ろしい記憶を思い出してしまう。記憶を思い出した衝撃からか、怒りからか、メイヴィスの体温は下がっていく。顔色も次第に悪くなっていく。


 前世のことだと割り切ることはできない。心の中が暗いもので埋め尽くされていく感覚を味わったのは初めてだった。メイヴィスの表情の変化に気付いたのだろう。エルマーは戸惑い、メイヴィスの手を離してハーディを呼びに行こうとしたのだが、メイヴィスがそれを阻止した。エルマーの腕を掴むメイヴィスの手は震えていた。得体の知れない恐怖に怯えていた。

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