02-2.悪役令嬢は未来を語る
「前世での弟子が禁忌を犯していようとも、今のお前には関係はないことではないか。そう受け止めてはくれないか、メイヴィス」
ニコラスの言葉に対し、メイヴィスは首を左右に振る。
前世と今世は変わってしまっている。
それでも切り離して考えることはできなかった。涙を流していたエドワルドの顔を思い出してしまえば、彼を見放すことなどできない。
「それならば、せめて、お前がいなくなってもいいようにと悲しい提案をしないでくれ。代わりなど必要はない。お前はお前だろう、お前が生きていなければなにも意味は無いのだ」
ニコラスの言葉にメイヴィスは涙を流す。
涙を止める術を教えられなかったかのように止まらない。止める方法をメイヴィスは知らなかった。ただ、涙を流し続けるのは恥ずかしいことだと自覚はしているのだろう。右手の人差し指で涙を拭う。
「……わかっています、頭の中ではわかっているのです、お父様。ですが、私は王国の為に死ななくてはなりません。死にたくはなくとも、同じような道は歩まないと決めていても、死ななくてはならない日が来るでしょう。その時には私の代わりに公爵家を導く者が必要なのです。お父様、前世の話をすると死が頭の中から離れてはくれないのです。王国の平和を願うからこそ、私は、自らの手で死を選ばなくてはならないのです。そのようなことばかりを思ってしまうのです」
言葉と共に涙が零れ落ちていく。
……どうして、落ち着くのだろう。
頭の中が混ぜられているような気分だった。
前世のことを口にしてはいけないと囁かれているかのような気分だった。誰もいなければ無意識の内に毒を生成し、飲み干していただろう。不思議とそうしなければならない気分に陥っていたのだと、今になって気づく。
……不思議だ。
死を選んではいけないとわかっている。
それなのにもかかわらず、死の淵に立っているような気分だった。それを自覚していなかったことも不思議だった。
「私は、他人を傷つけるような力を持ち合わせています。前世では制御をすることのできた魔力でしたが、今は違います。最盛期の頃よりも多い魔力が私の中にあります。魔力はこれからも増え続けるでしょう。……私は、この国の平和を壊しかねない存在となってしまうことでしょう。私は、この国を愛しております。愛する国の平和を乱す存在となってしまうのならば、いっそのこと、命を絶ってしまった方が幸せなのかもしれません」
それは言い訳に過ぎないのかもしれない。
生きたいと口にすることすらもできない。死ななくてはならないと自己防衛のように何度も何度も口にしてしまう。その言葉がニコラスたちを傷つけてしまうことはメイヴィスもわかっていた。
涙を流しながらも話をするメイヴィスを見つめているニコラスの眼には、悲しみの色が宿っていた。
「お父様、私は他人を傷つけることを望んだことは一度もありません。他人を苦しめても生きていようとは思えません」
頭を撫ぜている優しい手を悲しませてはいけない。
平和を乱すようなことが引き起こされてしまえば、メイヴィスを宥めてくれる父の手は平和を取り戻す為に血で汚れることになるだろう。宰相として王国の平和を維持する為にはどのような手段も取ることだろう。
それは仕方がないことなのかもしれない。
それでも、メイヴィスは優しい手をしている父親にはそのような真似をしてほしくはなかった。
「死ななくてはならないと何度も口にしていながらも、このようなことを願ってしまうのは、許されないことなのかもしれません」
涙が止まらないからだろうか。
メイヴィスの視界は歪んで見えていた。
「私は、前世のようには死にたくはありません。私は、回避することが可能な未来ならば改変を望みます。……この我儘が許されるのならば、二度目の人生は好きなように生きてみたいと思うのです」
はっきりと言い切った。
王国の為には死を選ばなくてはならない日が訪れてしまえば、メイヴィスは再び毒を飲もうとするだろう。他でもない自分自身の行動だからこそ、誰に言われるまでもなく想像することができる。
それでも、生きることに対して絶望を抱いているわけではない。
「バックス公爵家の令嬢として相応しくはない行動を控えるのならば、好きに振る舞えばいい。万が一にもお前が自害をしようとした時には、私たちがどのような手段を用いてでも阻止しよう。だから、お前は安心して好きなように生きるといい」
「お父様……」
「いいか、メイヴィス。このことだけは忘れてくれるな。お前の弟子が平穏を壊すのならば受け入れるつもりはない。メイヴィス、前世の記憶というものは私にはどうすることもできない。それにより、お前の才能が強化されたというのならば、それはそうなる運命だったのだと思いなさい。私も妻もお前のことがなによりも大切だ。話を聞くことを許したハーディとエルマーも、お前のことを守るだろう。二度と死にたいなどと言ってくれるな、メイヴィス。私たちはお前が死を望んでもそれを受け入れることはしない。そのことをよく覚えておくように」
話は終わりだと言うかのように、ニコラスは冷めてしまった紅茶を飲んだ。
* * *
メイヴィスの話を聞き終えたニコラスはため息を零した。
執務室から退室したメイヴィスと彼女を守るように付き添うハーディとエルマーの表情は浮かないものだった。前者は隠し事を打ち明けたことにより生活が変わることを恐れているのだろう、後者はメイヴィスが抱えていた秘密の大きさに驚き、それに気づくことができなかったことを悔やんでいるのだろう。彼女たちの様子を見るだけでそのことには気付いていた。それでも指摘をしなかったのは、それは彼女たちが自分自身の力で乗り越えていかなければいけないことだからである。
……どうしたものか。
メイヴィスはつまらないことでは嘘を吐かない。
公爵家の人間として生まれた彼女は英才教育が施されてきた。生まれ持った才能が開花しつつあることもあり、十三歳の子どもでありながらも厳しい授業を受けさせてきた。それを簡単に受け止めてしまっていたメイヴィスの気持ちを早くに尋ねておくべきだったのかもしれない。
ニコラスは死ななくてはならないと口にしていた愛娘の顔を思い出す。
十三歳の子どもとは思えない覚悟の決まった顔をしていた。
そのような顔をさせてしまったことを悔やむ。
ニコラスはメイヴィスならば一人でも問題なく過ごすことができるだろうと過信していた。仕事が多忙なこともあり、一人娘のメイヴィスには気を回すようなことは少なかった。毎年、メイヴィスの誕生日付近には顔を合わせるようにしていたものの、他の家に比べてしまえば圧倒的に少ないだろう。そのことは自覚をしていたものの、何一つ、不満を口にしないメイヴィスに甘えてしまっていた。
……エミリーの言う通りだった。私たちは話を聞くべきだったのだろう。
王都の屋敷に呼び寄せたのは妻であるエミリーからの提案だった。
道中、危険な目に遭ったとしてもメイヴィスならば傷一つ負わないだろうと、それを自分自身の眼で見るべきだとエミリーから提案された時は正気を疑ったものである。今まで最低限しか屋敷の外に出してはいなかった愛娘を危険に晒すなど、ニコラスは乗り気ではなかった。それでも最愛の妻の提案とその思いを聞かされた以上は断ることはできず、渋々、メイヴィスを呼び寄せたのである。
……死にたくないと言った言葉が本音ならばいいのだが。
死ななくてはならないと口にしていた。同時に死にたくもないと口にしていた。矛盾するその言葉のどちらを信用するべきなのか、ニコラスには様々な経験から推測をする。
……ハーディとエルマーだけでは不安が残る。警備を強化するべきか、……いや、それよりも確実な方法をとるべきだろう。
ニコラスは引き出しから便箋を取り出す。
迷うことなくペンを手に取り、手紙を書き始める。宛先は最愛の妻であるエミリーだった。
……外交の仕事を辞めさせるのは心苦しいが、これも娘の為だ。
宰相であるニコラスの仕事の手伝いを兼ねた外交の仕事をしているエミリーは、仕事を生き甲斐としていた。それは公爵夫人としては相応しくはないと影口を叩かれようとも、公爵夫人ならば領内にいるべきであるという正論を突きつけられようとも、彼女は好きな仕事を続ける道を選んだ。ニコラスも生き生きと仕事をする妻の姿を見ているのがなによりも好きだった。
しかし、そのようなことばかりを言っていられない。
優先するべきなのは一人娘である。
メイヴィスならば今の状況でも大丈夫だというだろう。ニコラスたちはその言葉に甘えて来てしまった。その結果、メイヴィスが語った前世の話に繋がってしまうのならば、ニコラスたちは変わらなくてはならない。
……十八歳で命を落とすようなことはあってはならない。
メイヴィスの身になにが起きるのかわからない。
柄にもなく動揺してしまい、そこまで話を聞き出すことはできなかった。いつも落ち着いた対応をしているメイヴィスが涙を流す姿に戸惑ってしまった。なにかに怯えているかのように震えていたメイヴィスに対して問い詰めるような真似をすることができなかった。
それでも、可愛い愛娘が死を覚悟している。
それを仕方がないことだと口にしている。
その事実だけで充分だった。ニコラスが変わらなくてはならないと自分自身を叱責するのには充分すぎる理由になった。
「……死なせはしない」
規格外の魔力の制御方法も探せば見つかるだろう。
前世にて禁忌を犯したというメイヴィスの弟子もすぐに見つけ出せるだろう。
可能性にすぎない情報を収集すれば、未来にてメイヴィスを待ち構えている死に対抗する術も見つけることができるだろう。
勢いのままにペンを取り、手紙を書き上げる。
そしてそれを丁寧に折りたたみ、封筒の中に仕舞う。
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