04-1.貴方を受け入れることはない
ニコラスが招き入れた客人の顔を見た途端、メイヴィスの心は悲鳴をあげた。
心臓を握りつぶされているのではないかと思ってしまうほどに苦しくなり、呼吸をしていることすらも忘れてしまいそうになる。露骨なまでに表情を硬くしたメイヴィスの変化に一早く反応をしたのはエミリーだった。エミリーはメイヴィスの隣に並び、まるで威嚇をするかのように両腕を組む。しかし、ソファーに座っているのにもかかわらず、その威圧的な態度に臆するような相手ではなかった。
それは娘を守ろうとする母親の姿だった。
我が物顔で応接間の中に入ってきたメイヴィスと同じような年頃の少年と少年に付き従う従者が五人。彼らは招き入れられるのが当然の対応であるかのように振る舞い、ニコラスもそれを指摘するような真似はしなかった。
「公爵、彼女が父上の用意をした僕の婚約者か? 随分と顔色の悪い者を用意してくれたものだ。いずれはこの国の王になる僕には家柄以外では相応しいとは思えないね」
少年、アルベルト・イルミネイト・ギースベルトはソファーに腰を掛けてから容赦なく言い放った。それは、イルミネイト王国第一王位継承者であるとはいえ、王国の宰相を務めるニコラスに向けて言うべき言葉ではない。
そのことがわからない子どもなのだろうか。
思わず言葉を失ってしまったニコラスの視線にも、露骨なまでに威嚇をしているエミリーの視線にも気づいていないのだろう。アルベルトが気に入らなかったのはメイヴィスの引き攣った表情とその顔色だけだったようで、他のことにはなにも気付いていない。
……なにも変わらない。
メイヴィスは前世を思い出す。
前世では婚約者という関係性を持っていたアルベルトと初めて出会った日も彼は同じような言葉を口にしていた。なにも疑うこともなく、ただ、与えられたものが気に入らないのだと我が儘を口にする。
当時からなにも変わらないものがそこにはあった。
それに対しては懐かしさを抱かない。抱くのは呆れと怒り、そして、前世の記憶を思い出したことによる強い殺意だけである。前者はともかく後者に至っては、メイヴィスは公爵家の人間であるという意地だけで抑え込まなくてはならない。立場を投げ打ってでも彼を感情のままに殺めることはしてはいけない。
……なにも疑いもしない。与えられることが当然の権利だと思っているのだろう。あの頃からそうだった。私から様々な物を取り上げておきながらも、すぐに癇癪を起こし、女性問題を起こし、その尻拭いを押し付ける。
心が冷めていく。
氷の中に放り込まれたかのように心が冷えていくのを感じた。
……つまらない男。それではこの国を栄えさせることなんて出来やしない。
メイヴィスがアルベルトへの文句を心の中で呟いていることにも、彼は気付かないのだろう。それどころかメイヴィスがアルベルトに見惚れ、言葉が出せないのだろうと自分にとっての都合の良いことばかりを考えていることだろう。
前世の付き合いが長いからだろうか。自尊心が高い傾向があるアルベルトの考えは手に取るように分かってしまう。
「不味い。よくもこんな不味い紅茶を出せたものだ」
アルベルトは差し出された紅茶を疑うこともなく、口に含んでいた。そこに毒が含まれている危険性を考え、毒見役として従者を使わないのは愚かな証拠だ。イルミネイト王国の貴族や王族ならば、バックス公爵家が毒を生成する血統魔法を操ることを誰もが知っている常識である。味方であるとはいえ、裏切らない保障はどこにもない。その自覚がないのだろう。
紅茶を準備したのはニコラスが信頼をしているアデーレである。
日頃から公爵家で出している紅茶の味が悪いはずがない。それを指摘せず、ニコラスはアデーレに目の前で注がせた紅茶を飲んだ。
「王子。それは我がバックス公爵家の秘伝の紅茶でね」
ニコラスの表情は変わらない。
しかし、メイヴィスとエミリーには僅かな変化が伝わった。
……お父様は試したのか。
それはメイヴィスが前世の話をしたことの影響だろう。
前世と同じ道を歩めば、メイヴィスは命を落とすことになる。それが自らの意思により引き起こされる結末であるとはいえ、ニコラスはそれを遠ざけることを選んだ。
全ては一人娘を守る為の行動である。
それは過剰な行為なのかもしれない。しかし、ニコラスはメイヴィスの直接的な死因となり得る出来事を聞きそびれてしまった。その為、限られた情報の中でメイヴィスから死を遠ざけようとしているのだろう。
その為にはメイヴィスに関わる者たちを例外なく選別するつもりなのだろう。
バックス公爵家の秘伝の紅茶を持ち出したのはアルベルトの心を読み取る為だ。疑うこともなく、差し出された紅茶を飲んだ十歳の少年に対してする行動ではないだろう。そこまで疑いをかける必要はないのかもしれない。
……味の変わる紅茶を差し出すとは考えてもいなかった。
公爵家の人間に対して好感を抱けば美味しい紅茶になり、悪意を抱けば不味い紅茶となる。それは曖昧な感情により左右される紅茶であり、バックス公爵家の者が牽制の為に差し出すことで有名な品物である。
味が変わったとしても表情に出さなければ良い。どのような味であったとしても美味しい紅茶を差し出されたかのような演技を貫けば、それは表面上の友好関係を築くことのできる油断の出来ない相手となることだろう。表情に出すことはもちろんのことながら、言葉に出すのはありえないことである。失態を犯したことにアルベルトは気付いていないのだろう。そもそも、バックス公爵家に代々伝わっている秘伝の紅茶の存在も知らなかった可能性が高いということは、ニコラスの言葉に対してありえないと言いたげな表情を浮かべるアルベルトの表情を見ていればわかる。
「口に合わなかったようで残念だ。国王陛下はこの味を好み、娘を王子の婚約者候補として迎え入れたいとおっしゃられたのだが」
「冗談でしょう、公爵。父上の味覚がおかしいとでも?」
「いや、国王陛下には美味しく感じられただけの話だ」
「あはははっ!! それはありえない。こんなにも不味い紅茶は初めてだ。父上は公爵に気を使われたのでは? これほどに不味い紅茶を美味しいと信じていらっしゃるとは、公爵も噂に聞くよりも頼りにならないものだね」
アルベルトは大きな口を開けて笑った。
何度も不味いと言葉にする。その言葉を聞きながらも止めることもしなければ、紅茶を下げるように指示をしない従者は鉄仮面を被っているかのような表情を浮かべたまま、アルベルトの言葉を聞いている。命令を忠実に聞く従者は優秀な護衛騎士として高く評価をされる。反論ばかりの従者や主人の意思に背くような従者は半人前であり、護衛騎士としての本来の役目は任せられないことが多い。主人の信用がなければ護衛騎士としての役目は果たすことはできず、半人前の従者は雑用以外には仕事を与えられない。それでも解雇をされないのは幸運であると捉える者も多い。もっとも、主人からの信頼を得る為に必死になって行動をする者が大多数である。
アルベルトの従者は命令を忠実にこなす者たちなのだろう。
命令を守る為ならば、アルベルトが犯した失態を指摘することもない。それが彼の今後を左右するような大問題であったとしても、彼に仕えている従者は自らの高い地位を保持する為に見逃すことだろう。
「それは残念だ」
ニコラスは白々しく紅茶を飲む。
その味を確かめるかのような表情を浮かべ、すぐに味は変わらないと言いたげな表情を浮かべてみせた。その些細な変化にアルベルトは気付いていない。
「十歳のお子様にはこの味は早かったようだ。お好みの飲み物を用意させよう。王子、好まれる飲み物を伺っても?」
「甘い果物の飲み物を希望する」
「アベーレ、甘いものを準備しろ」
「かしこまりました。当家において最高品質の甘い飲み物をお持ちいたします」
アベーレは深々と頭を下げ、応接間から出ていく。
子どもの味覚なのだろうか。甘いものがなによりも好きだと語るアルベルトの話に対し、ニコラスはまるで真剣に聞いているかのような仕草をしていた。
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