05-1.秘密を打ち明ける

 エドワルドを泣き止ませ、呆然としていたリリーの手を繋がせる。その上で彼らの孤児として生活を聞き出すことができたものの、メイヴィスに出来ることといえば彼らに一週間分の非常食を持たせ、孤児院の近くまで馬車で送らせることだけだった。それも使用人たちの反対を押し切って行ったことだ。


 孤児院に戻ることを渋るエドワルドに対し、なにかあれば手紙を出すと言い聞かせるのがなによりも時間が掛かったことである。その後はニコラスに対し、本日起きた出来事を全て偽りなく書いた手紙を送った。それ以上、なにかをする気分にもなれずベッドで眠ってしまったのは仕方がないだろう。


* * *


 メイヴィスにとって前世は公爵家の為に生きた十八年間だった。


 それに対する後悔など持ち合わせてはいないのだと思っていた。それなりに満足をしていた人生だった。好意を抱いていない相手と婚約関係を結び、興味のない人間関係に巻き込まれる形で投獄をされてもなにも思わなかった。ただ、公爵家の迷惑になることだけを回避する為に命を絶った。そこにはメイヴィスがメイヴィスらしく生きた痕跡などなにも遺されていなかった。


 それでも彼女はどうでもよかったのだろう。


 生き延びてもメイヴィスは好きなようには生きることができない。それならば命を絶ってしまっても変わりはなかった。ただ、それだけだった。

 それは遺された者のことはなにも考えていない行為だったのだと知ったのは、二度目の人生を十三年も生きた頃だった。一度、知ってしまえば、両親やメイヴィスのことを慕っている使用人たちがメイヴィスを失えば涙を流すことを想像することができる。


 ……同じ間違いは犯さない。


 二度目の人生では自らの手で命を絶つような真似はしない。それはメイヴィスの大切な人たちの心に闇を残してしまうのならば、メイヴィスは最後の最後まで生きることを諦めるわけにはいかない。結局は他人の望みを叶えるようにしか生きる道を探すことはできない。


 それでも世界は大きく変わることだろう。

 彼女は世界から愛されることはない。


 この世界から愛されている少女、エミリアが幸せを望めば、メイヴィスはエミリアが輝かしい未来を生きる為の踏み台にされる。それが今の世界の全てである。しかし、メイヴィスはそのことには気付いていなかった。

 メイヴィスの頭の中からはすっかりエミリアのことは抜け落ちていた。元々、前世でも死に際までその名をはっきりと覚えなかったのである。彼女にとっては前世では婚約者だったアルベルトの恋人、という認識だけが残っており、その容姿や性格に関することはほとんど覚えていない。興味のないことをいつまでも覚えている余裕は今のメイヴィスにはなかった。


「おはようございます、お嬢様。さっそくですが、外出の準備をいたしましょう」


「……おはよう、フィリア。今日はハーディ先生の授業の日じゃないの」


 目は覚めてはいたものの、ベッドの上で寝転がっていたメイヴィスの掛布団が剥ぎ取られる。昨日の出来事などなかったかのような表情を浮かべて挨拶をするフィリアに対し、メイヴィスは視線を逸らした。そのことを指摘しないフィリアはドレスを数着抱えているメイドたちに指示をしている。


 手早い行動は見慣れたものである。


 寝転んでいるメイヴィスの身体を簡単に起こし、ベッドに座らせる。差し出された紅茶を疑うことなく受け取り、それを口にした。メイヴィスが飲みやすい温度にしてある紅茶は身体を温める。


「ミスター・フィッシャーにはしばらくの間は家庭教師としての仕事を中断するようにと伝えてありますのでご安心くださいませ。彼は旦那様の配慮により本日付でお嬢様の傍付きである従者の一人に選ばれました。私だけではお嬢様の護衛には少々不安があるとのことでして、旦那様がお嬢様のお選びになられたのですよ。よかったですね、お嬢様」


「どうして? お父様にはハーディ先生を従者として雇ってほしいと伝えていないのに。フィリアが伝えたの?」


「いいえ、私ではございませんよ、お嬢様。今回は旦那様がミスター・フィッシャーに声を掛けたとお聞きしております。護衛騎士としての採用だそうですよ。……さあ、お嬢様、本日はどのようなドレスにいたしましょうか。昨日、お話をさせていただきました新しい型のドレスはまだ届いておりませんが、比較的動きやすさを重視して選ばせていただきました」


 フィリアの言葉を聞き、メイヴィスは眼を伏せる。

 公爵邸の中には多くの人々が働いている。その気配を一つ一つ把握することは不可能である。それでもメイヴィスの自室の扉を守るようにして廊下にいるだろう従者の数くらいならばすぐに把握することができる。昨日よりも三人も増えている。人数を把握し、視線を元に戻す。普段ならば着替えの時にはフィリアだけである。今日は他にも五人のメイドがいる。


 ……警戒しているのかな。


 メイヴィスの暴走を懸念しているわけではないだろう。


 情報が公爵家の外に漏れだしている可能性を考慮し、何者かによりメイヴィスが誘拐されるようなことが起きないように警戒されているのである。機密情報として扱うべき出来事には変わりはないものの、それは公爵家以外にも知られている可能性は高い。リリーを刺客として公爵家に放った者の行方が掴めていない以上、警戒して損をすることはないだろう。


 ……当然か。悪用されたらバックス公爵家だけの問題じゃなくなる。


 メイヴィスの力は悪用される可能性が高い。

 彼女が敵の手に落ちれば、イルミネイト王国に大打撃を与えることができるだろう。それは幼い頃から魔力数値が飛び抜けていたメイヴィスの存在を知る者ならば誰でも警戒することである。前世でも魔法学園に入学をする以前は社交界にすらも顔を出すことを禁じられていたのは、メイヴィスが誘拐される危険性を極力低くする為の処置であった。


 ……お父様は私が自殺をするのではないかと疑っているのかもしれない。


 メイヴィスは自殺願望があるわけではない。


 しかし、メイヴィスの誇りの為ならば死を厭わない発言を耳にした時のニコラスの表情を思い出す。酷く驚いていた父ならば警戒態勢を解かず、メイヴィスを必要以上に屋敷の中に閉じ込めておこうと考えるだろう。


 ……一刻も早く、お父様の誤解を解かなくては。このままではエドワルドを公爵家に引き込むどころか、セシルと会うことすらも禁じられてしまう。


 ニコラスの用心深さは知っている。

 そこに関しては前世となにも変わらない。イルミネイト王国の繁栄とバックス公爵家の維持の為には他人を疑うことばかりなのだろう。ニコラスが危険だと判断を下せば、今のメイヴィスにはなにもできなくなってしまう。


「お嬢様、いかがいたしましょうか」


「ワインレッドのドレスにする」


「かしこまりました。こちらの色のドレスは二着用意いたしましたが、どちらになさいますか?」


「黒が多い右側がいい」


「かしこまりました。ではこちらにいたしましょう。アリーチェ、お嬢様のお着替えを任せましたよ」


 フィリアの手を取り、立ち上がる。

 それからメイドたちの手により着替えさせられていく。緊急時を除き、自分で着替えるようなことはない。


 ……武術の心得がある人材を育成しているって言っていた覚えがある。


 いつまでもフィリアが傍にいるわけではない。


 五十歳を過ぎている彼女がメイヴィスの傍付きとしての仕事を行うのには、身体がついていかないだろう。体力が落ちているフィリアではなく、メイヴィスの行動に追いつくことができる若手のメイドの育成をしているのだろう。緊張した表情でメイヴィスのドレスを着せていくメイド、アリーチェには見覚えがある。前世では婚約破棄をされた卒業式にて傍にいたあのメイドである。


 ……アリーチェは知っている。他の四人は見たことはないけど。


 昨日のことが切っ掛けとなり四人も追加されたのだろう。

 前世と重なることもあれば異なることもある。予想外の展開にメイヴィスは頭を抱えてしまいたくなった。これでは思うように動くことができない。


 ……方法を考えなくては。似たような状況に陥ったことはある。その時の打開策を改善していけばいい。

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