05-2.秘密を打ち明ける
頭の中で幾つもの妥協策を展開していく。
この瞬間の間に全てを思い出すのには時間が足りない。
「髪飾りは簡易なものにいたしましょう」
「なくてもいいけど」
「それはいけませんよ。お嬢様、髪を整えることは淑女の嗜みでございます」
「そう。邪魔にならないようにして」
「かしこまりました」
アリーチェの言葉にメイヴィスは好きにしていいと言い放った。
母であるエミリーよりも、父のニコラスに似た容姿をしているメイヴィスはドレスや髪飾りを嫌う傾向がある。それは可愛らしい顔立ちではなく、気の強そうな顔立ちをしていることを気にしているからこそである。可愛らしいものは似合わないと決めつけてしまっているのかもしれない。
「お嬢様、これより王都ライデンへと向かうことになります。他のドレスはアリーチェが管理をいたします。これより、慣れない馬車による移動となります。お身体にはお気をつけてくださいませ」
支度が整ったことを確認したフィリアは静かに微笑んだ。
その表情は寂しげなものだった。
「王都に? なぜ?」
「旦那様より、お嬢様を王都へお連れするようにと手紙を預かっております。王都にて旦那様がお待ちでございますよ」
「お父様が? ……お母様はこちらに残るの?」
「さようでございます。お嬢様が公爵領へとお戻りになられるまではこちらで療養をされるとお聞きしております。王都へまでは二日間の馬車での旅路となります。お気をつけていってらっしゃいませ」
「フィリアも一緒に行くのだろう?」
イルミネイト王国の王都、ライデンには数回しか出向いたことはない。前世で訪問をした数を含めても両手の指で収まってしまうほどである。両親が暮らしている王都内にある屋敷にも訪れたことはないのだ。
それは全てニコラスの意向によるものだと知っていた。メイヴィスを公爵領の外に出すことに関して、ニコラスはかなり消極的である。
「いいえ、私は王都には参りません。お嬢様の傍付きとしてお供をさせていただきたい気持ちはございますが、私ではもうお嬢様を御守りすることができません。公爵邸にてお嬢様のご無事を願っております」
「それは急な話だね」
「これも旦那様の判断でございます」
「そう、お父様の判断ならそれが正しいだろうね」
昨日の出来事により変更されたのだろう。
メイヴィスはフィリアの制止を押し退けた。本来ならば、メイヴィスが行動を起こそうとすることを止めなくてはならない立場にあるフィリアはなにもすることができなかった。メイヴィスの圧倒的な力を前にして動くことができなかったのだ。それは他の使用人たちも同じである。
そのことも丁寧に伝えられたのだろう。
二人の侵入者を捕縛しただけではなく、意図していなかったとはいえ、敷地内にある塔の扉の破壊してしまったことはニコラスにとっても想定外の出来事だったのだろう。急遽、メイヴィスの傍付きを任している面々を入れ替えてしまうほどの出来事であったことは否定することができない。元々メイヴィスの護衛役であった従者以外は全て入れ替えられたことになる。
「私もフィリアを王都まで連れていくのは反対だったんだ。もちろん、いつも私の傍にいてくれているフィリアがいないと心細いよ。でも、いつまでも優しい貴女に甘えていられるわけでもない」
イルミネイト王国の最精鋭の騎士や魔法使い、魔女でもない限りはメイヴィスに傷の一つもつけられないだろう。金銭目的の強盗や山賊には片手一つで再起不能に陥らせることもできる。
メイヴィスの才能を知らない者は公爵邸にはいない。
だからこそ公爵邸にいる騎士や魔法使い、魔女の中でも優秀な人たちがメイヴィスの護衛を任せられるのである。メイヴィスの護衛は彼女の命を守ることだけが仕事ではない。メイヴィスに魔法を使わせないことも仕事の一環である。
……フィリアが傷を負うのならば、私は戸惑うことなく魔法を使ってしまう。
敷地内の出来事だからと自らの手で侵入者を捕縛したのだ。
それを外出先でもしてしまう可能性がある。特に親しい者が危機に陥れば、メイヴィスは迷うことなく魔法を発動させるだろう。それが敵の思惑通りだと知っていながらも見殺しにすることなどできはしない。
……お父様はそれすらも見抜いているのだろうね。
だからこそ、フィリアを王都に向かう役目から外したのだろう。
全てはメイヴィスを守る為である。
「貴女はいつだって私の味方だ。……そうでしょ?」
メイヴィスの言葉を聞いたフィリアは穏やかな表情を浮かべていた。
少しだけ不安げな表情を浮かべながらも確認をするように問いかけたメイヴィスに対し、なにも心配をすることはないと抱きしめるようなことはしない。それでもいつも通りの表情を浮かべているだけでメイヴィスは安心感を抱く。
二人の関係は歳の離れた主人の娘と使用人である。
それはなにがあっても変わることはない。その関係だからこそ心地が良いのだとメイヴィスは思っていた。
「はい、当然のことでございますよ、お嬢様。私はなにがあったとしてもお嬢様の味方でございます。この屋敷で働く者の中にはお嬢様を恐れる者はおりません。皆、お嬢様のことを大切に思っております。そのことはお嬢様ならばご存知かと思いますが、私の思い過ごしでしたでしょうか」
「いいや、わかっているよ。そうでなければ、エルマーやベンたちが私の護衛を続けているはずがないのだから」
「ご存知のようで安心いたしました。お嬢様、私どもは貴女が傷を負うような姿は見たくはございません。お嬢様よりもか弱い護衛をつけることをどうかお許しくださいませ、必ずや、お嬢様をお守りすることのできる実力を身につけてみせます。ですから、手当てを拒むような真似はお止めくださいませ」
「……わかっているよ。あれは私の判断不足が引き起こした事故だ。三日前の夜に王都へ帰ってしまわれたお父様が心配をされるのも仕方がないことだよ」
応急処置は必要ないと拒んだメイヴィスを叱りつけ、強引に頬の怪我を治療した昨日のフィリアの表情を思い出す。その場にいた侯爵邸で仕事をしている人々の中では唯一フィリアだけがメイヴィスの眼を真っ直ぐと見ていた。その眼には恐れはなかった。ただ、怪我の治療を拒むメイヴィスのことを心配で仕方がないのだということは、フィリアの顔を見ればすぐにわかった。
……エドワルドが言っていた。皆、泣いていたと。
前世ではメイヴィスが命を絶った後、皆、泣いていたのだと口にしたエドワルドの言葉には噓はないだろう。そして、その中にはフィリアも含まれていたことだろう。あの当時は公爵邸での仕事を引退していたとはいえ、バックス公爵家の令嬢が服毒自殺をしたことを国民に隠し通せるはずがない。新聞を購読していたフィリアの眼にもその記事は入ったことだろう。
……フィリアも私の為に泣いたのだろうね。
止められなかったことを悔いたのだろう。
その場にいられなかったことを悔いたのだろう。
長い間、メイヴィスを支えてくれているフィリアのことはよく知っている。
……エルマーたちも昨日のことがあっても護衛を辞退しなかった。それは受け入れなくてはいけないことだ。彼らの思いを邪険してはいけない。
バックス公爵領から王都ライデンまでは馬車で一日から二日ほどかかる。ニコラスやエミリーのように馬車に乗り慣れているのならば、休憩を含めても一日ほどで到着をするだろう。普段、馬車に乗ることがないメイヴィスの体調を考慮し、多めの時間が取られているだということはすぐにわかった。その間、護衛を任せられている従者たちは常に緊張感を保っていなくてはならない。
護衛騎士を任せられるのは名誉のあることである。
それによる殉死もイルミネイト王国では珍しいことではない。もっとも国外に出れば護衛騎士が命を落とすようなことは事故として片付けられてしまうようなことである。平和な時代であっても貴族が外に出るということは危険が伴うことである。特に歳若い令嬢が乗っていると知られてしまえば、金銭目的の山賊の標的になることは眼に見えている。
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