03-5.転生者たちは後悔の中を生きている

 巨大な黒い手は公爵邸の敷地内を探し回ったのだろう。見つけ出した侵入者を握りつぶさない程度に掴み、メイヴィスの数十メートル先の地面に叩き付けた。死なない程度には力加減はされているものの、侵入者もすぐに態勢を立て直すことはできないだろう。小さな呻き声をあげている。


「小さいお嬢さん、私を殺そうとするのには数百年は早いんじゃないのかな。ごめんね、お嬢さんに負けてあげられるほどに優しくはないんだ」


 メイヴィスの前に現れたのは所々破れている薄汚れた布のような服を着た少女だった。少女は痛みを堪えるかのような声をあげながらも震えていた。メイヴィスから放たれる威圧感に怯えてしまっているのだろう。

 バックス公爵家の令嬢は中性的な物言いをするように教育をされている。

 それはどのような状況においても、誇り高き公爵家の者として威厳のある存在でいることができるようにという方針によるものである。メイヴィスの祖母も曾祖母も、バックス公爵家の生まれである叔母たちもそのような教育方針の下で育てられてきた。だからこそ、バックス公爵家を背負う女性たちは強い。


「うっ……あ……」


 言葉にならない声をあげている。

 上手く力が入らないのだろう。態勢を整えようと腕や足を動かすものの、地面の上で足掻くことしかできない。それは叩き付けられた衝撃によるものなのか、少女の限界なのか、どちらなのかメイヴィスには区別がつけなかった。


「バックス公爵家の優秀な魔法使いの包囲網を突破するだけで壊れかけちゃったね。……洗練されてもないお嬢さんに纏わりついていた魔力はどこかに消えてしまったよ。可哀想に。お嬢さんは悪い魔法使いに利用されたんだね」


 黒い手の間を逃げるように飛んでいた鴉がいた。


 魔力の残り滓にすぎない鴉を仕留めても情報を摑むことはできないだろう。それならば、言葉を話すことができる少女を捕縛した方がいい。そう判断をしたのだが、それも外れだったようだ。殺気もなければ、見知らぬ気配もない。メイヴィスを監視しているかのような視線も感じられない。


 ……公爵邸を守っている【防護壁】に亀裂が入っている。でも、それは数十秒以内に自動修正される程度の小さなものだね。この子が放り込まれた時に出来たものと考えるのが無難なところかな。


 侵入したばかりの少女が纏っていた魔力は綺麗に消えてしまっている。証拠を残さないように消すことができるのは、かなり優秀な魔法使いや魔女でなければ難しい技である。その上、今にも死にそうな少女を思いのままに動かしていたのならば、イルミネイト王国の者ではない可能性が浮上する。

 イルミネイト王国には他人の身体を操る魔法を使える者はいない。しかし、そのような効力を持つ血統魔法が他国には存在している話は聞いたことがあった。


 ……お父様に怒られるだろうなぁ。


 他国の人間により襲撃を受けたのならば、それは戦争行為にも発展しかねない。宰相である父は頭を抱えるだろう。なにより父が留守にしている間にそのようなことが起きたと知れば、怒りで頭がおかしくなってしまうかもしれない。


「生きた人間を使い捨てにするなんて酷い奴もいるんだね」


「お嬢様。この者は生きたまま捕縛をさせていただきたく思います。許可をお願いいたします」


「拷問でもするの?」


「ご安心くださいませ。お嬢様のお耳には触れさせません」


「使用人の間で内密に処理をするってことかな」


「それも私どもの仕事でございます」


 フィリアはメイヴィスの言葉に答えない。

 確信を付くように問いかけるメイヴィスに対し、少しだけ困ったような表情を浮かべてはいたものの、それで見てみぬふりをするわけにはいかない。


「気になることがあるんだ。それを確認した後なら好きにしてもいいよ」


 メイヴィスは少女に視線を落とす。

 土汚れにより濁った色をしているものの髪の色は金色だろう。イルミネイト王国では珍しくもない色である。反抗的な眼の色は緑色だ、絶望的な状況であることを理解していない気の強そうな眼をしている。頬は痩せこけてしまってはいるものの、孤児のような身になってからそれほど時間も経っていないのだろう。


「君に掛けられた魔法は解いてあげたよ。私の質問に素直に答えるのなら、この後の処遇も改善するように掛け合ってあげる。でも、反抗するのならば拷問部屋に送り込むよ。どちらが自分の為になるのか、わかるよね?」


 脅しのつもりだったのだが、魔力を込めすぎたのだろう。

 練習用の剣は崩れ落ちた。支えを失ったメイヴィスは少しだけ身体をふらつかせたものの、すぐに態勢を元に戻した。両腕を組み、少女を見下ろすようにメイヴィスは問いかける。その声は威圧的なものだった。


「小さなお嬢さん、この場所の名前がわかる?」


「……しらないわ」


「私が誰かわかる?」


「どこかの令嬢だということしかわからないわ」


「お嬢さんの名前を教えてくれる?」


「リリー、……リリー・アレクシア・キプリングよ」


 少女、リリーは迷うこともなく答えた。

 逃げられないとわかっているからこその行動なのか、なにかを企んでいるのか、そのどちらかだろうと考えていたメイヴィスも簡単に口を割るリリーの行動を思わず笑ってしまった。


 ……この子は魔法に対する知識がなにもないのか。


 実力差のある魔法使いや魔女に対し、本名を名乗るのは知識のない者がする典型的な失敗である。それも丁寧なことにミドルネームも名乗ったのだ。それでは好きなように操ってほしいと懇願しているのと同じである。


 ……ここまで単純な相手だと、先ほどの術者が血統魔法を使ったとは思えない。闇属性の魔法に長けた術者なら、単純な洗脳だけで操ることができそう。


 敵を絞り込むのは難しいだろう。

 リリーを操ることは闇属性の魔法使いや魔女ならば誰でも出来てしまう。それほどに彼女は警戒心というものが抜け落ちてしまっていた。孤児のような身なりをしているわりには危機感もないのだろう。


「キプリング男爵家には二人の子息と三人の子女がいたね。それでは、小さなお嬢さんはキプリング男爵の手引きで私を襲おうとしたのかな?」


 この十年以内に準男爵から男爵の地位に引き上げられたキプリング男爵家との接点はない。イルミネイト王国の中でも高い地位を維持しているバックス公爵家に近づける要素をキプリング男爵家は持ち合わせていないだろう。なにより、身の丈に合わない地位に引き上げられたキプリング男爵家は税の取り立てに失敗し、家計は火の車だと社交界では笑い話にされている。


「違うわ。お父様たちはなにも関係ないわ!」


「でも、君はキプリング男爵家の子女なのだろう?」


「そうよ。私はキプリング家の子どもなの! でも、ここに放り投げられたのは関係ないわ。私を投げたのは見たこともない男の人だったわ!」


 リリーが大きな声をあげたことにより、メイヴィスはキプリング男爵家を非難しなくてはならなくなった。正確にはキプリング男爵家と直接的な関係を持たないメイヴィスではなく、公爵である父を通じて行うことである。面倒な手続きを踏むことになるだろう。


「うるさいよ。質問以外のことを口にするな」


 鋭い視線を感じた。

 メイヴィスは反射的に空を見上げた。その辺りに放置されている掃除をする為の箒に跨っている人間の姿がある。太陽と姿が重なってしまったことにより直視はできないものの、確かに、公爵邸を上から見つめている者がいる。


 ……殺意はない。


 眩しさから顔を見ることはできないものの、向けられている視線には殺気は含まれていない。それどころか困っているようにも感じる。


 ……この子の関係者か。


 公爵邸の【防護壁】を突破することができないのだろう。

 何度も同じところを回っている。出入口を探しているようにも見える。


 ……捕縛するか。このまま撃ち落とすか。


 屋敷の中にいるだろう母は緊急事態には気付いないのだろう。気付いていたとしても屋敷の外に出てくるような真似はしないはずである。

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