03-2.転生者たちは後悔の中を生きている

 そう思っていたのにもかかわらず、今も彼は生きることに執着をしている。

 もう一度、メイヴィスに会いたい。

 それだけがエドワルドの生きる希望だった。


「エド、どうしよ」


 孤児院の片隅で目を閉じていたエドワルドの腕を引っ張る手の力は弱々しいものだった。エドワルドのことを頼る子どもたちは多い。孤児院に連れて来られた子どもたちの大多数がエドワルドの知恵を頼り生き延びている。中には自力で食料を調達し、数人の徒党を組んでいる子どもたちもいる。恐らくは前世ではそういった子どもたちが生き残ることができたのだろう。


 子どもの声に僅かに眼を開ける。


 今にも泣きそうな顔をしている子どもの頬は泥で汚れている。所々殴られたような跡もある。


「なに? 用事があるなら起こして良いって言ってあったのに、そんなにボロボロになってどうしたのさ」


 今月は孤児院を運営している教会の人間は来ない日である。

 憂さ晴らしと言わんばかりに幼い子どもたちばかりを狙って暴行をする大人たちはいない。それなのに子ども、セツの頰は赤く腫れている。


「リリーが戻ってこない」


「リリーが?」


「ぼくたちは止めたんだ。エドも寝てたし、アイカもいないし、ユージンも食料を調達に行っているから。危ないって、止めたんだ。でも、リリーが行っちゃった」


「状況がわからない。リリーはどこに行ったんだ」


 リリーはこの孤児院に連れて来られたばかりの子どもだ。元々は子爵家か男爵家の生まれらしく、孤児院に連れて来られた時は孤児院の子どもたちと接触することさえ嫌がるような貴族らしい感性を持ち合わせた十歳の子どもだ。親に捨てられたことの自覚がないのだろう。リリーは家族が迎えに来てくれると信じて疑わなかった。


 エドワルドはその傾向を危険視していた。


 二歳下のリリーの言いたいこともよくわかる。孤児院に連れて来られるまではそれなりに可愛がられていたのだろう。子どもを道具扱いする親がいることは珍しい話ではない。実際、エドワルドも似たような境遇を見たことがある。

 だからこそ、嫌な予感がするのだろう。

 膝にかけていた所々穴の開いたひざ掛けを折りたたみ、姿勢を起こす。


「わかんない」


「あたし、馬車の音を聞いたよ」


「大人の声もした!」


「ぼく、リリーが走ったのを初めて見た。行っちゃだめだって言ったのに、リリー、ぼくたちの声が聞こえてないみたいだった」


 セツたちはそれぞれ耳にしたことを口にする。

 恐らくリリーは馬車を目にしたのだろう。そして、それをリリーが生まれ育った子爵家か男爵家のものだと思い、追いかけていってしまったのだろう。


 ……なんてことをするんだ。


 走っても馬車に追いつけるわけがない。


 追いかけて来るリリーの存在に気付き、馬車を止めたとしても、リリーを待ち受けているのは迫害だけだ。追い払われるだけならばいいが、多少なりとも暴力を振るわれることだろう。もしかしたら、勢いのまま殺されているかもしれない。


 ……追いかける? 無駄なことかもしれないのに?


 見つけることができたとしても、それは、惨たらしい遺体が転がっているだけかもしれない。前世では何度も眼にしてきた。いつも肝心な時に後れをとってしまったエドワルドの手の中にあった大切な人たちを守れた試しはない。今だって前世での大切な思い出にしがみ付くことでしか息をすることができない、それがメイヴィスの望みではないと知っていながらも縋ることでしか生きられなかった。そんなエドワルドには誰が救えるというのだろうか。


 ここでリリーを探しに行かなくても変わらないだろう。


 惨たらしい遺体を連れて帰ればセツたちは泣くだろう。リリーを探しに行かないと選択をすれば、エドワルドには頼らないとセツたちは探しに行ってしまうかもしれない。そうすれば多くの子どもたちを失うことになる。


「……その馬車の家紋を見た子はいない?」


 それならば、エドワルドは行動を起こす道を選ぶ。

 どちらにしても誰かを失わなくてはならないのならば、なにもせずにいるという選択肢はない。僅かでも生きている可能性があるのならばエドワルドはその可能性を信じ、救出する為の術を探る。


「かもん、ってなに?」


「一族の印だよ、名のある家なら必ず持っている。貴族か商人以外には馬車は持っていないからね。その家の印を馬車に描くんだ。その馬車はなにか絵が描いてなかった? 花でも剣でも羽でもいい。なにか見た子はいない?」


「それなら、ぼく、見たよ。小さい丸の中に絵が書いてあった」


「セツ、描ける?」


「うん。ミッチェル、木の枝持ってない?」


「そこに落ちてたのでいいの?」


「うん。なんでもいいよ」


 セツよりも少しだけ背の高い女の子、ミッチェルは落ちていた木の枝を拾い、セツに渡す。それを受け取ったセツは塗装が剥がれ、地面が見えている孤児院の床に絵を描き始めた。孤児院の子どもたちの多くは字を書くことはできない。時々、エドワルドが字の書き方や読み方を教えているものの、その必要性も理解をしていないだろう。その日暮らしの生活しか知らない子どもたちには字を覚える必要性を説くのは難しい。それよりもお腹いっぱいにパンを食べる方法を知ることの方が彼らには重要だろう。


「ええっとね、丸の中に十字架があった。その上に王冠があって、周りを刺々した葉っぱみたいのがあって。……エド、こんな感じのだよ」


 セツが描いた絵に似たような家紋を見たことがある。

 それを見た時点で頬が引き攣るのを感じた。


 ……嘘だ。


 その家紋を忘れる日はないだろう。


 前世では毎日のようにその家紋を見ていた。その家紋の刺繍が縫い込まれたハンカチを死ぬまで愛用し続けた。騎士団に入団をした以降は騎士服には必ずその家紋が彫り込まれた勲章を身に着けていた。


 ……バックス公爵家の馬車が近くに来ていたなんて。


 エドワルドがいる孤児院はバックス公爵領の隣に位置するヴァレンティ伯爵領にある。この辺りは治安があまりよくはないものの、王都からバックス公爵領に最短距離で戻ることができる位置でもあった。恐らくはリリーが追いかけていったと思われる馬車はバックス公爵領に向かうものだったのだろう。


 ……そうだ。今日は姉上の十三歳の誕生日だ。だから、王都から急いで戻ったんだ。公爵か、公爵夫人か、どちらの馬車かわからないけど。その可能性が高い。


 今世ではメイヴィスは義姉ではない。


 そのようなことはわかっていた。それでも、エドワルドは心の中では許されるだろうとメイヴィスのことを義姉と呼ぶことを止められなかった。


 ……公爵邸にまで連れて行かれたなら、取り戻せるかもしれない。姉上に会うことができれば、きっと、俺のことがわかる。


 転生魔法の対象者はエドワルドとメイヴィスに設定をしていた。転生魔法の代償によりアベーレ家を没落へと導いてしまったエドワルドにはメイヴィスに合わせる顔はないと考えていたものの、こうなってしまっては仕方がないだろう。道中でリリーの姿を見つけることができなければ、バックス公爵邸を尋ねてみるしかない。当然のことながら、今のエドワルドのことを目にしてもバックス公爵邸の使用人も公爵、公爵夫人も浮浪児にしか見えないだろう。食べ物を乞う孤児にしか見えないだろう。その状況でメイヴィスに会える保証はない。


 リリーが公爵邸で保護されている可能性は限りなく低い。


 しかし、生きているのならばその可能性がもっとも高いだろう。公爵領に向かう最中にリリーの姿を見つけることができれば、それがなによりも良いことだとわかっていながらも、エドワルドの頭の中は懐かしい前世での親しかった人々とのやり取りを思い出してしまう。二度とそこには戻れないと思っていた日々が目の前に現れたような気さえした。

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