第1話 悪役令嬢、転生する
01-1.やり直しの人生
メイヴィス・エミリー・バックス公爵令嬢には誰にも話したことがない秘密がある。それは同一人物として生きた記憶が備わっていること、自らの意思で服毒自殺を図ったということ、そして、それなのにもかかわらず生きているということ。それらは誰にも明かすことができない秘密だった。
メイヴィスには一度死んだ記憶がある。それは十八年間のメイヴィスが生きた痕跡であった。幼い頃はそれらが夢であると思っていたものの、今では、それは違うのだと気付いてしまった。些細なものではあったが、十八年の記憶と違う箇所が存在するのだ。
それによりメイヴィスは人生のやり直しが引き起こされたと悟ったのである。
現実離れした発想に至ったのは、理論だけではあったが、そのようなことを可能とする魔法が存在することを知っていたからである。それはメイヴィスの死を引き金に発動したのか、何者かが発動した魔法に巻き込まれたのか、そこまではわからなかったものの、メイヴィスが第二の人生を与えられたのは確かなことである。
それを思い出したのは十三歳の誕生日だった。
* * *
「お嬢様、いつになく勉学に取り組まれておりますが、なにか気になることでもございましたか?」
二度目の人生を歩むこととなったメイヴィスには前世とは異なる変化があった。十三歳の誕生日を迎えた当日、多忙な両親に代わり、メイヴィスの世話係を務めている五十代のメイドの驚いた表情がその変化を物語っている。前世でのメイヴィスが勉学の楽しさに目覚めたのは学園に通う年頃を迎えた頃だった。公爵邸で悠々自適に暮らしていた頃は最低限の勉学しか取り組まなかった。
それが大きく変わったのだ。
メイヴィスの中では前世の記憶が大きな影響を与えたのだろう。
知らないことは恐怖であり、知識を身に付けることは生きていく術である。好きな分野ばかりを取り組む傾向があったメイヴィスだが、今では苦手な分野であっても逃げようとせずに資料を読み込んでいく。その姿を見守っていた家庭教師の驚いた表情には気付いていないのだろう。メイヴィスが脱走をしないようにと仕事をしながら様子を見に来たメイドが声を掛けるまでの間、メイヴィスは一言も話さずに資料を読み込んでいたのだった。
「ハーディ先生は?」
「いらっしゃいますよ」
「そう。静かだから気付かなかったよ」
メイド、フィリアが差し出した紅茶を飲む。
バックス公爵家の一人娘であるメイヴィスは常に人の上に立つような存在であるようにと教育を受けている。中性的な物言いを好むのは令嬢であるからと他人から下に見られることのないように、という公爵家の方針によるものだった。メイヴィスもそのような話し方を好ましく思っていた。
……急な変化に対応できないようでは家庭教師には向いていないのでは?
振り返れば家庭教師、ハーディ・フィッシャーは驚いたような表情を隠しきれていない。仕事を放棄したのではないかと思われていることを恐れているのだろうか。以前までのメイヴィスの態度を考えればハーディが気を抜いていたことを咎める者はいないだろう。ハーディはフィッシャー子爵家の生まれであり、名門である魔法学園の出身である。属性魔法や血統魔法の解説がわかりやすいと評判のいい家庭教師だ。
……ハーディ先生の話は聞きやすいけど。
話を聞いているだけで理解の出来る解説はハーディの才能によるものだろう。
しかし、それだけで家庭教師の仕事をこなしていくのは難しいだろう。
「ハーディ先生、いくつか聞きたいことがあるんだけど。まだ時間は残ってる?」
「ええ、かまいませんよ。なんでしょうか、メイヴィスお嬢様」
「資料にある家系図なんだけど。ここ、アベーレ伯爵家の名前が二重線で消されているけど、これの意味はなに?」
「家系図を読み込まれましたか。今日は珍しく公爵家の歴史に興味がおありのようですね」
「興味が沸いたからね」
「さようでございますか。それでは質問にお答えいたしましょう」
メイヴィスが手にした資料にはバックス公爵家を中心に描かれた簡易的な家系図がある。家系図を把握することにより血統魔法を理解させることが目的なのだろう。
「五年前、アベーレ家は没落いたしました。没落をした原因はいくつかございますが、もっとも大きな要因は先代伯爵の浪費癖だといわれています。バックス公爵家の分家として名の知れた立場であったことを利用し、多くの貴族から借金をしていたことが発覚し、貴族階級を剝奪されました」
ハーディの言葉にメイヴィスは耳を疑った。
浪費癖の当主や婦人により没落する貴族が稀にいることは知っていた。そのような不明様な没落の仕方は誰もが望まない姿であり、社交界から追い出された後も中傷の的になる。ましてや貴族階級を剝奪されるのは数十年に一度の話である。
……没落?
バックス公爵家はアベーレ家が没落をした際、早々に掌を返してしまったのだろう。そうではなければメイヴィスが一度もアベーレ家の人間を見たことがないはずがない。
前世の記憶を受け入れた後、メイヴィスはアベーレ家の名を聞かないことに対し違和感を抱いていた。
前世のやり直しであるのならば、十三歳の誕生日にはアベーレ伯爵一家と顔を合わせるはずだった。その顔合わせはエドワルドを公爵家の養子として迎え入れる為のものだった。しかし、肝心のアベーレ家が没落してしまってはその話がないことにも納得することができる。
……エドワルドは?
前世での義弟、エドワルドのことを思う。
義姉弟であり師弟関係でもあったエドワルドのことを気に掛けてきた。それは転生しても変わることはない思いだった。
……私の義弟はどこにいるのだ。
メイヴィスはエドワルド以外を義弟として受け入れるつもりはない。
それでも両親が必要だと判断をすれば家族として受け入れるしかないだろう。前世との明らかな違いを受け入れることができるのか、わからなかったものの、それはそれと割り切ることができるのかもしれない。しかし、それは家族としての話である。師匠としてはエドワルド以外を受け入れることはない。
「その為、この家系図は大きな間違いが残されています。アベーレ家の名を消去せず、二重線をするという形を取っていることそのものが間違いなのです。しかし、血統魔法を学ぶ上ではアベーレ家の名は外すことができません。その為だけの事務処理だと思っていただければと思います。メイヴィスお嬢様がお気になさるようなことはございません」
「アベーレ家の者たちはどうなったの」
「そのようなことをお気になさらないでください」
「いいから、教えて」
「しかし、メイヴィスお嬢様のお耳を穢すような内容でございます」
「かまわない。隠さずに話して」
ハーディは静かに視線を逸らした。
そして、メイヴィスの隣に立ち、資料が点在している机へと目線を落とした。家庭教師として仕事をしようとするハーディの姿を見たメイヴィスも姿勢を戻し、机に視線を落とす。
「気分を害された時はすぐに中止いたします。それでもよろしければお話をさせていただきましょう」
「わかった」
「ミセス・フィリア、万が一、メイヴィスお嬢様の表情に変化が現れ、私がその変化を見逃してしまった際には中断のお声がけをお願いできますか?」
「お任せください。お嬢様の変化を見逃すことはありません」
「二人とも大袈裟だよ。勉強を嫌がるわけではないのに、そこまでする必要はないと思うのだけど」
メイヴィスの言葉に対し、フィリアもハーディも静かに首を横に振った。
そこは譲ることができないところなのだろう。
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