03-4.彼女は残された者のことを考えない人だった

 メイヴィスの葬儀は豪華に行われた。

 バックス公爵家の権力を示すかのように華やかに行われた。それはメイヴィスならば嫌がるだろう。これは家族の気持ちを考えず、命を絶ってしまったメイヴィスに対する母からの仕返しのようなものだった。


 これから先も最愛の娘に与えることができただろう愛情を捧げた。


 これから先も続くと信じていた最愛の娘との日々を想い、母が考案したものだった。蓋を閉められた棺に最後まで縋りついていた母の眼は充血しており、誰もがそれを見ないふりをしていた。棺を墓地へと埋める際、嫌だと抵抗をする母を棺から引き離したのは父だった。父の眼も充血をしていた。


 ……姉上。


 メイヴィスとの別れを惜しむ人は少なくはない。

 死を選んだメイヴィスが思っていたよりもその人数は多いだろう。


 ……見ていますか、姉上。


 家族も使用人もメイヴィスの友人も、皆、涙を流している。この場では涙を流していなくても、メイヴィスの死を悲しみ、涙を流した人たちばかりなのだということは参列者の表情を見ればよくわかることだった。

 自ら死を選んだメイヴィスはこのような未来を想像していなかったのだろう。メイヴィスと親交が深かった人々が悲しんでいる姿を望むような人ではなかった。メイヴィスは、大切な人たちの為ならば自分自身を犠牲することのできる勇敢な人ではあったが、それが望まれていないことなど死を選んだ後も知らなかったことだろう。


 ……姉上だって、皆を悲しませようとしたわけじゃないのはわかっている。でも、姉上は死を選ぶべきじゃなかった。


 メイヴィスの冥福を祈る言葉が聞こえる。

 聖書を読み上げる牧師の言葉を聞きながら、エドワルドはメイヴィスに思いを馳せる。墓地には大勢の人がいた。その人々の顔は見覚えのある者ばかりではなかった。メイヴィスの才能に惹かれ、彼女を姉のように慕っていた令嬢たちやメイヴィスが先生代わりをしていた領内の子どもの姿がある。彼女たちの存在を知っていたが目にしたのは初めてだった。


 ……見ていますか、姉上。姉上は必要とされていたんですよ。


 大勢の人々が泣いている。

 大勢の人々がメイヴィスの死を悲しんでいる。


 そのことが命を絶ったメイヴィスに届けばいい。そのようなことを心の中で思うのは場違いなことではないだろう。


 ……俺には、まだ、姉上が必要なんです。


 メイヴィスは復讐を望まないだろう。後追い自殺などもってのほかだ。


 それを知っているからこそエドワルドは命を絶たずにいられるのだ。元々仲の良い義姉弟であり、仲の良い師弟だった。

 義姉と師匠を同時に失ったエドワルドは正気ではなかった。

 発狂せずにいられるのは公爵家を守らなくてはならない、家族を支えなくてはならないという義務感によるものだろう。そうでなければこの場に立ってはいられなかっただろう。


 大切な人を亡くすのは初めての経験だった。

 それも家族の愛を知らないエドワルドに家族愛を教えてくれた人の死だった。



* * *



「――姉上、そちらでは元気でお過ごしでしょうか」


 メイヴィスが亡くなり、三年の月日が経っていた。

 バックス公爵家を継いだエドワルドの二十歳の誕生日だった。


「こちらは相変わらずです。父は宰相として復帰しましたし、母は礼拝堂に引き籠るような日々を続けています。それでも、姉上の望み通り、二人は元気に過ごしていますよ。よかったですね、姉上。貴女の願い通りになりました」


 先代公爵となった父は宰相の座を譲ろうとしない話や敷地内に礼拝堂を立てさせた母の話をする。墓地に話かける姿は異様なものではあったが、しっかりと喪服に身を包んでいるエドワルドのことを否定する者もいない。数歩下がったところで待機している執事の手にも生前メイヴィスが好んでいた花束が抱えられている。


「知っていますか、姉上。エミリア嬢の暗殺を謀った騎士が返り討ちにあったそうです。騎士の命を奪ったのはアルベルト殿下だったそうですよ。あの人も恋人の為ならば他人の命を奪えるんですね。俺は、新聞を見て初めて知りました。いつだって姉上の才能を妬んでばかりだったのに、三年の月日で大きく成長をしたものだと思いませんか?」


 アルベルトの婚約者を暗殺しようとした騎士、セシル・オルコットが命を落としたことは新聞の一面で報じられた。それはメイヴィスの三年目の命日だった。暗殺未遂の末に命を落としたセシルは遺書と毒薬を懐に忍び込ませており、エミリアの暗殺が成功した後に命を絶とうとしていたのではないかと報じられていたことを思い出し、エドワルドは笑い声を漏らした。


「この三年の間に彼とは何度か手紙を交わしたんです。姉上を止められなかったこと、彼は、悔やんでいました」


 ……彼は姉上に囚われていた。俺とは違って、姉上のことだけを思って生きていた三年間だったのだろう。


 この三年間、身近な人が亡くなることは何度かあった。その都度、エドワルドは悲しみから涙を流した。その死を悼みながらも前を向いて生きてきた。


 死の悲しみは乗り越えられる。

 時間はかかっても前へと進むことができる。


 ……本当は羨ましいと思った。


 しかし、セシルは違ったのだろう。

 三年の月日をエミリアの暗殺計画にだけ費やしたのだろう。それを狂った男の犯行と思うか、友を奪われた哀れな男の末路と思うか。それともその背景にあったのかもしれない恋心を指摘するのか。死後、好き勝手に書かれている新聞を見たエドワルドはそのどれもが違っているように感じていた。


「姉上、セシル・オルコットを許してください。彼は姉上のことを守りたかっただけなんです。誰がなんと言おうとそれだけなんです。姉上の誇りを踏み弄り続けるエミリア嬢を許せなかっただけなんです」


 三年前、葬儀の場に現れなかったことを不審に思うべきだったのかもしれない。セシルは、目の前で服毒自殺をしたメイヴィスのことを簡単に忘れることなどできなかっただろう。だからこそ、復讐に走ったのだろう。


「セシル・オルコットを怒らないでくださいね。姉上。彼は彼の誇りの為に生き抜いたんですから」


 遺書がなければ、それはエドワルドだったかもしれない。


 メイヴィスから公爵家や家族を託されていなければ、エドワルドがエミリアの暗殺を謀ったかもしれない。エドワルドはセシルからの手紙を受け取る度にそのようなことを思っていた。

 セシルの危険性に気付いていながらもエドワルドは止めようとはしなかった。

 エドワルドはメイヴィスの墓参りを欠かしたことはない。

 時間の許す限りはこうしてメイヴィスに様々な話をするのだ。


「姉上、聞いてください」


 三年前、泣いていた少年の面影はない。

 晴れ晴れとした表情を浮かべているエドワルドの眼は希望に満ちていた。


「昔、姉上が不可能だと断言した魔法に成功しました。師匠が無理だと諦めたことを叶えたんです」


 メイヴィスが亡くなってからの三年間、エドワルドは魔法研究に没頭した。その姿は婚約をする前のメイヴィスのようだと比喩されるほどの姿だった。異様なまでに魔法研究に没頭する姿を見た父も母もエドワルドを止めようとしたものの、彼は止まらなかった。エドワルドを止めようとする両親に対し、これは亡き義姉との約束を果たす為なのだとエドワルドは言ってみせた。


 それは本心だったのだろう。


 魔法研究こそが全てだと言いたげな顔をして語る姿はメイヴィスと同じだった。それを目にした両親はエドワルドの行動を見守ることにしたのは、亡くなったメイヴィスにはすることができなかったことを悔いているからなのかもしれない。両親の思いに気付いていながらもエドワルドは止まれなかった。


「俺はこの人生を惜しみなく生き抜きます。寿命が尽きるまで死にません。なにをしても生き抜いてみせます。意地汚いと言われても生きてみせます」


 希代の天才魔女と呼ばれたメイヴィスですらも不可能だと諦めた魔法が存在した。それは理論上だけでは可能であるとされていた魔法であり、その危険性から禁忌とされていたものだった。歴史上に名を残す魔法使いや魔女だって誰一人その魔法を成功させたことはない。


「やり直しましょう、姉上」


 それは魔法を扱う者ならば、一度は夢を見ることだった。

 それでもその異端の魔法を実現させようとする者はいなかった。


「俺と父上と母上と、それから、セシル・オルコットも。公爵邸で働いている執事、メイド、従者、シェフも、俺たちに関わったことのある公爵領の人たちも、みんな、幸せになるべきなんです」


 それは理想論だ。

 エドワルドもそれをわかっている。


「俺が守ります。守れるようにがんばります。だから、姉上、もう一度だけチャンスをください。もう一度だけ俺を姉上の義弟として生きさせてください」


 エドワルドは魂を転生させる魔法を完成させていた。完成したといっても前例もなければ使用したこともない不完全な魔法だ。それをエドワルドは自分自身に使用した。それだけは満足できず、義姉の墓を掘り起こし、彼女の骨を媒体とすることにより彼女の魂も転生させた。


 いや、転生と呼ぶのもおかしいだろうか。

 エドワルドの目的はやり直しである。新しい人生を歩む為のものではない。


「ごめんなさい、姉上」


 それはメイヴィスの望みではないだろう。

 エドワルドの独りよがりな暴走だということはわかっていた。


「また、来ます。今日は帰りますね」


 エドワルドは立ち上がり、メイヴィスが眠っている墓に頭を下げる。

 そして背を向けて歩き始めた。エドワルドの大きな独り言を聞いていた執事はなにも言わずにエドワルドの後ろを歩く。止められないと諦めているのか、その執事すらエドワルドの企みに共謀しているのか。どちらとも取れる表情を浮かべている執事に対し、エドワルドはなにも言わなかった。

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