03-3.彼女は残された者のことを考えない人だった
「エドワルドがメイヴィスを庇うような真似をすれば、あの子はその場で命を絶ったことだろう。それがわからないお前ではないだろう」
想像してしまう。
メイヴィスは誇りを踏み弄られたことを怒るだろうか、アルベルトの言葉を否定したことを怒るだろうか。どちらにしても怒りの形相を浮かべることは間違いないだろう。彼女はアルベルトに望まれなくとも婚約者に選ばれたことを誇り高く思っていた。それを身内により否定されることは望まないだろう。
「……わかっています」
父に言われなくても分かっていたことだった。
それでもあったかもしれない未来に縋り付いてしまう。
「姉上が望まないことはわかっています」
涙が止まらない。
普段ならば父の言葉に従うばかりで自分の意思がないとすら言われたことのあるエドワルドが何度も意味のない言葉ばかりを繰り返し、涙を流すことを止められない。そのようなことは初めてだった。
「父上、俺はどうすればよかったのですか。どうすれば、姉上は俺を許してくれるのですか。どうすれば……。どうしたら、いいですか……」
「メイヴィスはエドワルドを恨んではいないだろう」
「そんなはずがありません。俺は、なにも姉上にすることができなかったんです」
「自分を責めるのは止めろ。それはメイヴィスの望むことではない」
「わかっています、わかっているんです、父上。それでも、涙が止まらないんです。姉上がいないのに。それが、俺の所為だって責めてくれたら、そしたら、俺は、復讐だってできるのに。姉上が望まないことだってできるのに。それも、姉上のことを思ったらできないんです。父上、母上、ごめんなさい。貴方たちに引き取ってもらったのに、俺は、姉上を死なせてしまいました」
なにも前には進まない。
泣いてばかりのエドワルドを宥めるのはいつだってメイヴィスだった。自分を責めてしまう癖のあるエドワルドを肯定するのはメイヴィスだった。義姉でありながら師弟でもあったメイヴィスはエドワルドの歩む道を照らしてくれていた。いつだってエドワルドの背中を押してくれていた。
それを思い知った。
自覚した時にはメイヴィスはいなくなっていた。
「わかっているのならばこちらに来なさい、エドワルド。お父様を困らせるような言葉ばかりを並べるのならば、お母様の傍にいなさい」
棺に縋り付いていた母の声は震えていなかった。
いつも通りの声だった。エドワルドは視線を母に移したが、相変わらず、母は棺に縋りつくように座り込んでいた。本来ならば棺の蓋は閉められている時間であるのだが、それを頑なに拒んだのは母だった。暗いところに閉じ込めたくはないと、まだメイヴィスの顔を見ていたいと牧師に我が儘を言った母の姿のままだった。
エドワルドの頭が軽くなる。
乗せられていた父の手が下ろされたのだろう。なにも言わない父へと視線を戻したが、父も静かに母を見ていた。
「お母様もお父様もエドワルドのことを大切な息子とだと思っています。メイヴィーも貴方のことを大切な義弟だと思っていたことでしょう」
母の視線はメイヴィスに向けられたままだった。
それでも言葉だけはエドワルドに語り掛けている。泣いてばかりの息子を慰めようとしているのだろうか。
「今は泣きなさい。涙を止める必要はありません。メイヴィーはそれを望まないでしょう。優しいあの子は泣かないでほしいと願うでしょう。それは今だけは忘れてしまいなさい」
母は昔からメイヴィスのことを愛称で呼んでいた。
今となっては誰もメイヴィスのことを愛称で呼ぶ者はいない。少なくとも魔法学園に通うことが決まった三年前からそのような親しい間柄の人は家族以外にはいなかった。
「悩んでいるのならばお母様の隣にいなさい。メイヴィーの死を悲しんでいるのは同じでしょう」
それを悲しく思ったことはあったのだろうか。
メイヴィスは公爵家の令嬢として堂々とした姿を見せていた。魔法学園に通う令嬢たちの憧れの的は常にメイヴィスだった。その人気はアルベルトと同等のものだっただろう。それすらもアルベルトは気に入らないようだった。
……姉上は母上を意識しているのだと言っていた。
社交界の華と呼ばれる母の堂々とした姿を真似しているだけなのだと、メイヴィスはエドワルドにだけに教えてくれたことがある。皆、母のような人を好いているだけなのだと悲しげに笑うメイヴィスにエドワルドはなんと声を掛けただろうか。頭の中を過るのはメイヴィスの笑顔だけだった。
……姉上が姉上らしく過ごせるのは、俺の前だけだなんて、浮かれていた。
思い出の中のメイヴィスは笑っている。
いつだって楽しそうに笑っていた。エドワルドの前では完璧な令嬢ではなく、好きなことに熱中する女性らしさが欠けたところのある義姉だった。エドワルドは魔法研究に熱中しているメイヴィスの姿が好きだった。
それはメイヴィスのことを慕っていた令嬢だって知らない姿だろう。
メイヴィスはその姿を見られてしまえば嫌われてしまうと自嘲していたものの、エドワルドは知っていた。その姿を見れば令嬢たちはさらにメイヴィスのことを慕うだろうということを。知っていたからこそ黙っていた。
「ねえ、私の可愛いメイヴィー。貴女はいつだって優しい子ですものね」
再びメイヴィスに語り掛ける母の姿は痛々しいものだった。
社交界の華と呼ばれ続けている美しい女性とは掛け離れている者だった。弱々しい姿などエドワルドは見たことがなかった。
母に近づくことを躊躇っているエドワルドに呆れたのか、それとも、着いて来いと言っているつもりなのか、父は棺のある方へと歩き始めた。その背中は小さく見えたのは気のせいだろうか。
「メイヴィー、貴女は、優しい子ですものね」
声を掛けても返事ない。
棺の中で眠っているメイヴィスが眼を覚ますことはない。
「メイヴィー……」
棺に縋り付いている母の髪に父の手が伸ばされた。
母の隣に座り込んだ父はなにを考えているのだろうか。また、メイヴィスのことを思い、涙を流しているのかもしれない。
……姉上。
メイヴィスの言葉を思い出す。
……俺に任せてくださったのに、ごめんなさい。
両親のことを任せると言っていたのだ。
両親が荒れることも涙を流すこともメイヴィスはわかっていたのだろう。わかっていながらも命を絶ったのだろう。そして、それをエドワルドに託したのは義弟ならば解決できるはずだと信じていたからだろう。
……今だけは、泣かせてください。
足を少しずつ前に動かす。
泣いている母と父のいる場所に近づいていくエドワルドを止める者などいない。それを知っていたのにもかかわらず、エドワルドは恐れていたのだろう。
「……綺麗な顔をしていますね」
棺の傍にまで辿り着き、ようやく口に出来たのはそんな言葉だった。
服毒自殺をしたと耳にした時から顔色は悪いものだと思っていた。苦しんでいるような表情のまま息絶えたのではないかと思っていた。棺の中に横たわっているメイヴィスの顔は綺麗に化粧が施されていた。白い百合の花に囲まれたメイヴィスは絵画のように美しかった。
「そうでしょう、でも、メイヴィーには似合わないわ」
「そうですね、姉上は化粧が好きではなかったですから」
「知っているわ。それでも、最後は、綺麗なお顔のままでいてほしかったの。あの子は嫌がるかしら」
「きっと、嫌がるでしょうね」
「そう。……それならば、これはお母様からメイヴィーへの初めての嫌がらせね。お母様を置いて逝ってしまったのだから、このくらい、許してほしいものだわ」
母の隣に座る。
大理石に直接座るなどいつもならば礼儀作法がなっていないと怒られることだった。それを怒る人はいない。母も父もメイヴィスと視線を合わせるかのように座ってしまっているのだから、今だけは許されるだろう。
葬式が始まるまでの間だけだ。
家族と使用人だけが集まっているこの時間だけだ。
メイヴィスの死を嘆く人々は多いだろう。彼女を死へと追い込んだアルベルトたちはそれすらも面白くないと思うことだろうが、そのようなことはエドワルドたちには関係がない話だった。万が一、アルベルトたちが葬式に顔を出すようなことがあれば、父は怒り狂ってしまうだろう。王族を守る為の剣をアルベルトに向けてしまうだろう。そして、それを止められる人はバックス公爵家にはいない。それを諫められる人はもういない。
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