03-2.彼女は残された者のことを考えない人だった
「エドワルド」
「はい、父上」
「それにはお前が殺したと書いてあったか」
「……いいえ」
「なにが書いてあった」
父の顔を見ることができない。
頭を下げたまま、エドワルドは声を出した。その声は情けなく震えているのはエドワルドも父も同じことだった。涙声が隠しきれていない。
「“自慢の義弟でたった一人の弟子なのだから、迷わず前に進みなさい”と、書いてありました」
遺書を声に出して読めば、また涙が大理石を濡らす。
遺書を持っている左手が震える。強く握り締めることもできない。メイヴィスが遺してくれたものを傷つけることはできなかった。
……姉上は俺の我が儘を覚えていてくれた。
免許皆伝、と大きな字で書かれていた。その隣に小さな字で書かれていた言葉だけを口にしたものの、父にはそれで充分だったのだろう。東洋の文化に憧れていたことも見たこともない人たちの姿に憧れ、真似をしてみたことも、両親には話をする必要もないだろう。それは義姉弟だけの秘密だった。
メイヴィスはそのことを覚えていたのだろう。
それを遺書に書いたのは約束を果たすつもりだったからだろう。
……姉上。
些細なやり取りもメイヴィスは忘れていなかった。
それは心を締め付ける。短い言葉だけの遺書はエドワルドの心の中に永久に残り続けるだろう。
……俺のせいで、ごめんなさい。
このようなことになると知っていたのならば、エドワルドはメイヴィスを守る為に行動をしただろう。敬愛するアルベルトのことを否定するようなことをしてでもメイヴィスの免罪を主張しただろう。
「そうか」
父はなにを考えているのだろうか。
エドワルドは身構える。
「顔をあげろ」
その言葉にすぐに従うことができなかった。
身体の震えがとまらない。涙声が隠しきれていない父の顔を見る資格などエドワルドにはないような気がしていた。なによりそのような顔を見たくはない。
次の言葉はかけられない。
父はエドワルドが行動を移すことを待っているのだろう。
……姉上ならどうしたんだろう。
心の中で問いかけても答えは導き出されない。
……姉上。
メイヴィスのことを考えると涙が溢れ出してくる。涙を止める術を知らないのではないかと、思わずそんなことを思ってしまうほどに涙が止まらない。
メイヴィスと会ったのは五年前だった。それはメイヴィスがアルベルトと婚約を結ぶよりも数か月前の出来事だった。実の両親や兄たちと引き離され、顔を見たこともなかった公爵一家との顔合わせをした日だった。冷たい印象だった実の両親とは異なり、公爵一家は温かくエドワルドを受け入れてくれた。
……姉上なら、きっと、父上を待たせるなと怒る。
姉弟が欲しかったのだと喜んでいたメイヴィスの姿を思い出す。
エドワルドが公爵家に迎え入れられたことを誰よりも喜んでいたのはメイヴィスだった。
それを思い出したエドワルドはゆっくりと姿勢を戻していく。頭を上げ、父の顔を見る。まだ追い越すが出来ない父の背を見上げていた頃とは違い、いつの間にか視線は同じ位置になっていた。
「エドワルド」
父は泣いていた。
それでも涙を見せまいと堪えている顔を見ると、エドワルドも苦しくなる。
「復讐は望まないと書いてあった。あの子は服毒を選んだのは自分の意思だと、それを責めないでほしいと書いてあった。メイヴィスの死後、私たちが心を痛めることをわかっていたのだろう。あの子はそういうバカなところがある」
それならば生きていてほしかった。
父が飲み込んだ言葉はエドワルドにも伝わっていた。エドワルドも遺書を呼んだ時に思ったことだった。
「遺書に書かれても止まることができないのは、あの子もわかっていただろう。私も妻も、お前も、あの子の死を望んではいなかった」
寡黙な父だった。
多くは語らない父だった。
それなのにも涙を堪えながらもエドワルドに語り掛けている。
「陛下はアルベルト殿下が冷静になるのを待つお考えだった。メイヴィスには不自由のない生活を約束し、公爵家から支援をする許可もいただいていた。……あの子は死に際にも妻からのメッセージカードを握っていた。何度も読んだ痕跡があったそうだ」
それなのにもかかわらず、メイヴィスは死を選んだ。
名門校である魔法学園に通っていた三年間、首席を保ち続けられるほどの頭脳と才能を持ち合わせていたメイヴィスならば状況を理解していたことだろう。
メッセージカードはメイヴィスの手元にあった。
それを握り締めながらも死を選んだのはメイヴィスの意思だったのだろう。
「……姉上は、幸せだったのでしょうか」
「遺書にはそう書かれている」
「姉上は、家族のことを嫌っていたのでしょうか」
「そのようなことはないと信じたいものだ」
「姉上は、死にたかったのでしょうか」
「それはわからない。だが、そうかもしれない」
「姉上は、俺になにを望むのでしょうか」
強く生きることを望むのだろうか。
メイヴィスのことを忘れて生きることを望むのだろうか。
それを父に聞いても答えは返ってこないことはエドワルドもわかっていた。愛娘を亡くしたことを悲しんでいる父に聞くべき言葉でもないこともわかっていた。それでも止めることができなかった。
「それは遺書に書いてあるだろう」
父の言葉になにも言えなかった。
メイヴィスが遺した遺書には書いてある。その言葉を受け入れることができないのはエドワルドの問題だということもわかっていた。
「私宛の遺書には幸せだったと書かれていた。それがメイヴィスの本音だろう。家族に復讐をさせない為にも遺書を残したのだろう。優しいあの子の考えることだ、それを受け取った私たちが涙を流すこともわかっていただろう」
「……姉上らしいですね」
「私もそう思う」
父の手がエドワルドの頭に乗せられた。
頭を撫ぜるわけでもない。ただその重みすらも涙を促すようだった。
「顔を見せてやれ」
「見せる顔がないです」
「そんなことはない」
「姉上を追い詰めたのは俺かもしれないんです。あの時、俺が、姉上を庇っていれば、そうしたら姉上は死を選ばなかったかもしれないんです。俺が、俺が、姉上を殺してしまったんです」
父から眼を逸らす。
震える身体を抱き締めてはくれない。その代わりに父の手はエドワルドの頭に乗せられたままだった。
「卒業式での出来事は耳にしている。仕事を優先し、卒業式に出席をしなかったことを悔いている」
バックス公爵を務めている父も公爵夫人である母も卒業式には参列していなかった。緊急の仕事があり欠席をしていたのだ。二人がいなかったからこそ、アルベルトはあのような真似をすることができたのだろう。
「お前だけではない。私たちも後悔をしている」
メイヴィスが命を絶つような事態が引き起こると知っていれば、父も母も仕事を放りだしたことだろう。いや、メイヴィスを卒業式の後に開かれた祝宴には参加させなかっただろう。卒業証書を受け取るとすぐに踵を返し、公爵邸へと連れて帰ったことだろう。
未来を知る力があれば変えてしまっただろう。
そのようなことはありえないと分かっていながらも、父も母も同じようなことを考えてしまったのだろう。
「だが、それをあの子は望まないだろう」
バックス公爵家の令嬢として誇り高い女性だった。
アルベルトの婚約者として相応しい人材になる為ならば、どのような試練でも乗り越えてきた。それがバックス公爵令嬢として望まれていることだと知っていたからこそ、一度も弱音を吐かなかった。
「あの子の命が奪われると知っていたのならば、私は婚約などさせなかった。あの子の夢を絶つような真似をしなかった。友を遠ざけるような真似をしなかった。メイヴィスの好きなように生きさせてあげたかった」
公爵家に生まれてこなければ、メイヴィスは幸せだったのかもしれない。
父の零した言葉はあまりにも悲しいものだった。
「エドワルド。お前だけではない。私もありえないことを考えてしまう。今更、そのようなことを思っても、メイヴィスは戻ってこないと知りながらも可能性に縋ってしまう」
その言葉になにを言い返すことはできなかった。
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