03-1.彼女は残された者のことを考えない人だった
メイヴィス・エミリー・バックス公爵令嬢が服薬自殺をしたのは新聞の一面を飾った。あまりにも早すぎる訃報に誰もが耳を疑い、新聞を見る眼を疑ったことだろう。それはメイヴィスの訃報と共に届けられた三通の遺書を受け取ったバックス公爵一家も同じだった。
……姉上。
意気消沈した彼、エドワルドに喪服を着せたメイドの眼にも涙が溜まっている。希望をなくしてしまったかのような表情のままのエドワルドに掛ける言葉を誰も持ち合わせていないのだろう。
メイヴィスの遺体と共に届けられた遺書はエドワルドの手元にある。いや、エドワルドだけではない。遺書を握り締めて泣いている父も遺体が収められている棺に泣きついている母も、訃報を聞き、礼拝堂に集まってきた公爵邸で働いている全ての使用人たちの眼に涙が浮かんでいた。
……どうして命を絶ってしまったんだよ。
エドワルド宛に書かれた遺書には姉の言葉は書かれていない。
幼い頃に師匠としての義姉に強請っていた言葉とエドワルドを義弟としても弟子としても認める短い言葉だけが書かれていた。それだけで充分だとメイヴィスは判断したのだろう。
……俺は貴女に認められたかった。俺は魔法使いとして貴女の隣に立ちたかった。貴女の義弟として恥ずかしくない姿を見せたかった。
それが悲しくてやりきれなかった。
エドワルドを後悔へ渦へと放り投げるのには充分すぎる言葉だった。婚約破棄をされた義姉の姿を目の前で見ていながらなにをしなかったのはエドワルドだ。それなのにもかかわらず、それを責めることもしない。メイヴィスの遺体に泣きついている母も泣いている父もそれを知っているのにもかかわらず、エドワルドを責めるような言葉を吐くことはなかった。
……俺は、貴女に自慢だと言ってもらえたら、それでよかったんだ。
メイヴィスはエドワルドのことを認めていたのだろう。
遺書に書かれた言葉を読めばそのことはわかる。ただ、その言葉を声に出してメイヴィスが言ったことはなかった。
「父上、母上」
声は震えている。
立ちながら泣いている父も棺に泣きついている母も振り返らない。それは泣き顔を見られるのを拒んでいるのか、エドワルドの声が届いていないからなのか、どちらなのかわからなかった。
バックス公爵として堂々とした振る舞いをする父の姿しか見たことがなかった。家族として常に威厳のある姿を見せていたが、家族のことを愛していることはエドワルドも知っていた。公爵夫人として社交界の華である母はいつだって優雅に振る舞っていた。感情を露わにしてしまうのは貴族の姿ではないと礼儀作法には家庭教師よりも厳しい人だった。それでも時々、厨房に潜り込んで焼き菓子を手作りしてくれる優しい母だった。
エドワルドは両親と血の繋がりが薄い。
分家であるアベーレ伯爵家の三男として生まれたエドワルドを公爵家の跡継ぎとする為に養子にした彼等ではあったが、実の両親よりもエドワルドのことを家族として愛してくれていた。義姉となったメイヴィスの後ばかりを追いかけるエドワルドのことを優しく見守っていてくれた。
だからこそ、メイヴィスは両親のことをエドワルドに託したのだろう。
「姉上は免罪でした。それは誰よりも姉上がわかっていたはずです」
アルベルトの恋人であるエミリアは可愛らしい少女だった。
表裏のない素直な性格をしているエミリアにアルベルトは救われたと言っていた。エドワルドにエミリアのことを語る彼の顔は幸せで満ち溢れていた。
……俺のやるべき仕事は殿下を止めることだったのに。
敬愛するアルベルトの幸せな顔を見てしまうと言葉を飲み込んでしまっていた。婚約者を放っておいて恋人に現を抜かすのはいけないことだと分かっていながらも、それを言葉にすることはできなかった。諫めなくてはならない立場だと自覚していながらもなにもせずに彼らの傍に居続ける道を選んだのは、エドワルドの弱さだろう。
エミリアの行動を注意する者はいた。
注意したのはメイヴィスのことを慕っている令嬢たちだった。彼女たちはメイヴィスの義弟でありながらもなにもしないエドワルドのことを嫌っていたこともあり、何度も、何度も言い争いをしたことがある。彼女たちはメイヴィスの気持ちを考えろと何度もエドワルドに忠告していた。
それにすらも耳を傾けなかったのはエドワルドだ。
「姉上はエミリア嬢の名前すら知らなかったと思います。殿下の恋人として傍にいるエミリア嬢の口から姉上の名前が出ていたことはありました。姉上から嫌がらせを受けたと、彼女は口にしていましたが、俺はその現場を見たことはありません」
エドワルドがアルベルトの傍を離れていたのは授業を受けている時や移動時間だけだった。他の時間は可能な限りはアルベルトの傍にいた。そして、その時間は学年の違うエミリアもアルベルトの傍にいることはなかった。
エミリアの主張通り、メイヴィスが嫌がらせをしていたのならばその姿をエドワルドが一度も見なかったというのは不可能だろう。それすらもメイヴィスの性格を考えれば想像することができない。
「姉上はなにもしていません。殿下の主張はエミリア嬢による偽りの申告によるものだと思われます」
あの場でその主張をしていれば運命は変わっただろうか。
エドワルドはメイヴィスのことを過信していたのだろう。アルベルトの婚約者として相応しい人材であることを誇りに思っていたメイヴィスならば、免罪であると主張するだろうと思い込んでいたのだろう。
メイヴィスはなにも言わなかった。
ただその眼は冷たいものだった。氷のような眼だった。
……姉上は不興を買わない方法を選んだつもりだったのだろう。
免罪だと主張せず、言いがかりだと呆れもしなかった。
それは公爵家が被るだろう不評被害を恐れたからだろう。家族を守る為ならば自分自身のことは道具のように割り切ってしまう人だということは、エドワルドだって知っていたことだった。
……その為なら、死すら厭わない人だった。姉上は自分自身の命を軽く考えていた。そんなことはあの人の義弟になった時から知っていたのに。
バレステロス監獄の地下牢に投獄をされたメイヴィスは服薬自殺を図った。その毒はメイヴィスが自作したものだということは、彼女の最期の瞬間を見てしまった監視役の騎士が証言したことだった。彼が噓を吐いていないのならば、メイヴィスは投獄された時点で覚悟が決まっていたのだろう。
「申し訳ございません、父上、母上。姉上の性格を考えれば、公爵家の損害を少なくするために免罪だと主張することもせず、命を絶つのは分かりきっていることでした。それなのに、俺は、その場にいながらもなにもしませんでした」
深々と頭を下げる。
エドワルドの頬を伝っていた涙が大理石を濡らす。
「俺の保身が姉上を殺したようなものです。申し訳ございません」
両親にエドワルドの言葉は届いていた。
涙を指で拭った父は大股でエドワルドの元に近づく。いつもよりも大きな足音が鳴っているのは父の心が荒れているからだろうか。
……謝っても姉上が戻ってくるわけではない。
愛娘を奪われた両親はエドワルドのことを恨むだろうか。
足音がどんどん近づいてくる。その音が近づく度に身体が震えそうになってしまう。
……許されるわけじゃない。
両親に許されたいわけではなかった。
エドワルドのことを許せないのはエドワルド自身も同じことだった。誰に許されても彼は自分自身のことを許すことはできないだろう。
……姉上は戻ってこないんだから。
二度と笑いかけてはくれない。
二度と暖かい抱擁をしてくれない。
二度とメイヴィスの声を聞くことはできない。
それだけが変えることのできない現実だった。
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