02-2.愛したことが罪だというのならば
二人は仲が良い義姉弟だった。
魔法の才能に恵まれていたメイヴィスになにかと質問をするエドワルドのことを可愛がっていた。今だって可愛い自慢の義弟である。
……優しい子だもの。エドワルドにだけなにも残さないのも義姉としてダメなことかしら。
再び羽ペンを走らせる。
エドワルドに残すのは遺書ではない。
……エドワルド。貴方は私の自慢よ。
二人は義姉弟だった。義姉弟でありながら師弟だった。
これは義姉として残す遺書ではない。
……私を忘れて前に進めるように。
免許皆伝、そう書いた便箋を見て泣くことがないようにと願う。東洋の文化を学んでいる時に知ったその言葉をエドワルドは気に入っていた。いずれ師匠と弟子ではなく、隣に立つことの出来る一人前の魔法使いになれた時はこれが欲しいと強請られたことがある。
今ならばその約束を果たすことができる。
……貴方は私の自慢の義弟で、たった一人の弟子なんだから。
エドワルドにはその言葉だけで伝わるだろう。
小さく書いた言葉を見つけるだろう。それはそれでいい。遺書を残す行為そのものはメイヴィスの自己満足によるものだ。
「監視役の殿方、いらっしゃるのでしょう?」
机の上には封筒が三つ並んでいる。
母から贈られたメッセージカードを手に取り、物音の一つもさせない監視役に声をかける。
「遺書を三枚、書きました」
監視役の返事は望んでいない。
しかし、メイヴィスの言葉に驚いたのだろう。なにか大きなものが落ちるような音がした。
「私が命を絶った後、バックス公爵邸に届けていただきたいのです」
監視役は一人だけだ。
鉄格子の中にいるメイヴィスの傍に立っている人だけだ。恐らくは重く閉ざされている扉の奥には何人かの監視役が待機をしているのだろう。
「……公爵令嬢が書くようなものではないでしょう。それは、破棄させていただきます。貴女には必要がないものです」
「あら、意外ですわね。一日中、なにも話さないから声が出せないのかと思っていましたわ」
「話をする必要がなかっただけです」
鉄格子の傍に来た監視役の騎士へと視線を移す。
顔を隠すような古びた兜を被っている不気味な面立ちの監視役の手には鍵が握られている。
……それは、私の視界に収めてはダメなものなのに。
逃げようと思えば、逃げることができるだろう。
監視をするつもりもないのではないかと疑ってしまうほどに警備体制は薄い。荷物を運搬したのもこの古びた兜で顔を隠している監視役の騎士だった。
……バカな人ね。
頑なに声を発しなかった理由に気付いてしまう。
「悲しいことを言わないで。これは大切なことなのよ」
それは遺書を書いている間にも一度も思い出さなかったことだった。アルベルトの婚約者として生きていく為には思い出してはいけない大切な友人。公爵令嬢として相応しい振る舞いをすることを忘れることができた、メイヴィスがメイヴィスとして振る舞うことが許された相手だった。
アルベルトと婚約をするよりも前から交友があった。
王都にある公爵邸の隣に邸宅を構えていたオルコット伯爵家の次男、セシル・オルコットはメイヴィスが唯一心の許せる友人だった。
「本当はね、もう一通、遺書を書かなくてはいけなかったわね。私の自慢の親友、セシル・オルコット宛に謝罪の手紙を遺さなくてはならなかったわ」
「いりません。そんなものは、必要はありません」
「以前のようには話してくれないの?」
「……貴女だって以前のようには話してはくれないのでしょう」
「そうね。身についてしまうとそれが普通になってしまうのよ」
「俺だって同じですよ、公爵令嬢。遺書なんていりません」
先ほどした大きな物音は彼、セシルが剣を落とした音だったのだろう。
監視をしている間、息を潜めていた理由も察することができる。それでも、メイヴィスは己の意思を曲げるようなことはしないだろう。
古びた兜越しに眼があった。
それは三年前となにも変わらない優しい眼をしていた。
「そう。残念だわ」
触れようと思えば触れることができるだろう。
鉄格子の目の前に立っているセシルに手を伸ばすことだってできる。手を伸ばして触れてしまえば、セシルは手にしている鍵をメイヴィスに渡すだろう。
「貴方を目撃者にしてしまうことを許してちょうだいね」
「なにをするつもりですか。公爵令嬢。貴女の罪は死を招くようなものではないでしょう」
「世間様ではどうでしょうね。私は殿下に罪を問われたわ。それだけで国家反逆罪に該当するのではないのかしら」
「そのようなことは許されません。貴女は生きてここから出るのですから」
「前代未聞よ、それは。バレステロス監獄が生きて出た者はいないわ」
「それならば貴女が最初で最後になるだけです」
椅子から立ち上がる。
真っ直ぐとセシルを見る眼は変わらない。メイヴィスの覚悟は揺らがない。
「それはできないわ」
迷うことなく、足はベッドへと向かっていく。
そして、ベッドの横に備え付けられていたサイドテーブルに置いてある紅茶の入ったティーカップに手を伸ばした。
「私は誇り高きバックス公爵家の娘よ。誇りを踏み弄られることも、利用されることも、家族を傷つけられることも許さないわ」
準備は整っている。
セシルが鉄格子の鍵を開けるか悩んでいる間に終わってしまうだろう。
「でも、そうね……。こうしてセシルと再会をすることができたのですもの。貴方に遺書を残せないけれども、代わり、言葉を残せるわ」
ベッドに腰を掛ける。
その間もティーカップを離すことはなかった。
「私の友でいてくれてありがとう、セシル。私は貴方のことが大好きだったわ」
メイヴィスは笑った。
運が良かったのだと、幸せそうに笑った。
……神様の与えてくださった最後の幸運かしら。
これでなにも思い残すはないだろう。
「さようなら、セシル」
メイヴィスは用意しておいた紅茶を飲み干す。
紅茶の中には自分自身で調合した毒薬が入っている。
「まさかっ――!」
セシルが気付いた時には手遅れだった。
慌てて鉄格子を開けようとしているセシルを見ながら、静かに眼を閉じた。身体はゆっくりとベッドに倒れていく。
「メイヴィー! メイヴィー!」
鉄格子の扉が開けられた。
鍵を放り投げてその中へと駆け込んでいたセシルがメイヴィスに声を掛けるものの、反応は返ってこない。万が一にも解毒される可能性を考慮していたのだろう。メイヴィスが飲み越した毒薬入りの紅茶は即効性のものだった。
扉が開けられたままの鉄格子の中、セシルの声だけが響き渡る。
それに対してメイヴィスは穏やかな表情をしたままだった。少しずつ体温が冷めていくのを感じながらもセシルはメイヴィスの名を呼んでいた。重く閉ざされている扉の奥にいる監視役が異変に気付くまでの間、セシルはメイヴィスの身体に抱き着いたまま泣いていた。
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