02-1.愛したことが罪だというのならば

 メイヴィス・エミリー・バックス公爵令嬢が婚約破棄をされたその日の内に地下牢へと投獄された話題は、瞬く間に国中に広がった。それを広げたのはその場にいた貴族たちだったということは考えなくてもわかることだろう。アルベルトの反感を買ったことにより投獄されてしまったメイヴィスの解放を願う者だって少なくはなかったのだ。だからこそ広まったのだろう。

 しかし、当人であるメイヴィスにはそれを理解することができなかった。

 投獄されたことが国中に広まっているなどと夢にも思わなかったのだろう。


 ……監獄というのは初めて入ったのだけど、こうも待遇がいいものなの?


 魔法により空調管理がされているのだろう。

 重罪人を投獄しておく為のバレステロス監獄にある地下牢にはメイヴィスしかいない。他の重罪人はメイヴィスの投獄に伴い、他の場所へと移動させられていた。未だに公爵令嬢という立場を剝奪されていないからこその対応なのだろうとメイヴィスは思っていたものの、ここまで丁重な扱いを受ける理由がわからずにいた。


 ……一日、様子を見ていたけれども投獄された罪人の扱いじゃないわ。これが罪人に対する扱いならば市民は怒り狂うわよ。


 メイヴィスが投獄をされた一時間後には最高品質のクイーンサイズのベッドと布団、枕が搬入された。同時に机と椅子、ソファーも搬入された時には声がでなかった。投獄された二時間後に暇が潰せるようにと幾つも専門書も渡された時にはお礼しか言えなかった。それから豪華な食事が朝、昼、晩と提供され、いつでも紅茶を飲めるようにとティーセットも渡された。お湯は魔法で沸かすことができる簡易用の魔法道具までついていた。


 ……拷問もなければ、必要最低限の監視役しかいない。その上、私が要求した便箋と黒色のインク、羽ペンは最高品質のものが用意されている。おかしいことばかりだわ。


 机の上に置かれている便箋は品質が良いものだった。私用する為の用途も聞かれず、希望していた物を取り寄せるのが監獄の方法なのだろうか。思わず、そのように疑いを抱いたものの、それはありえないだろう。

 本来、バレステロス監獄は重罪人だけが投獄されている場所だ。王国に対する反旗を企てた者、多くの人の命を奪った者などが投獄され、公開処刑される日を待つ場所である。


「さて、どうしましょうか」


 独り言を言ってみせても監視役は反応をしない。


 なにかがあったのかと疑うような素振りも見せない。それはメイヴィスの行動に興味がないのか、外部の情報を漏らさない為にしている行為なのかわからない。判断のつかないことを考えることは放棄し、メイヴィスは羽ペンに黒色のインクをつける。


 ……最初はお父様からかしら。


 親愛なるお父様へと、慣れた手つきで羽ペンを走らせる。


 今まで何通も書いてきた文字ではあったが、僅かに文字が滲んでしまう。最高品質の便箋が滲むとは考えにくかった。恐らく、メイヴィスの手が僅かに震えてしまっているからだろう。


 ……ふふ、情けないわね。バックス公爵家の令嬢の名が落ちるわ。


 これは遺書である。

 異常な待遇を受けているのにもかかわらず、メイヴィスの頭の中にあるのはいずれ訪れるだろう死だけだった。バレステロス監獄から生きて出られた者はいない。投獄された罪人は例外なく処刑される。

 それはメイヴィスの望みではなかった。

 公開処刑などという恥を晒すつもりはない。身に覚えのない罪を背負わされたと便箋に書いたものの、すぐに羽ペンを動かす手を止め、書きかけの便箋を丸めて放り投げた。新しい紙を取り出し、再び、遺書を書いていく。


 ……お父様は優しい方だから、きっと、免罪により死を迎えた私のことを嘆くで

しょう。このような結末を迎えるのならば王室に差し出すのではなかったと泣いてしまうかもしれないわ。


 それならば遺書には泣かないでほしいと書くべきだろうか。


 不名誉な死に方をするくらいならば、自ら死に方を選びたかったのだと嘘偽りのない言葉を書く。遺書に嘘を書いても仕方がないだろう。せめてメイヴィスの死後、遺書をみた父が復讐に走るような真似をしないことを願う。


 ……お父様の娘に生まれて、私は幸せだった。


 父への遺書は短くていい。多くの言葉は必要ない。

 メイヴィスは便箋を封筒へとしまい、お父様へと宛先を書く。


 ……お母様。


 父よりも気を使った言葉を選ばなくてはならないのは母だった。母はアルベルトとの婚約を心から喜んでいた。代々王室と深い関わりを持ってきたバックス公爵家の令嬢として生まれたからには一度は夢を見るものだと嬉しそうに語る母の笑顔を思い出す。


 ……お母様の心は荒れ果ててしまうのでしょう。家族の中では誰よりも繊細な人だから。きっと、私が命を絶てば、泣き崩れてしまう。


 メイヴィスが投獄されたことは母の耳に届いているだろう。

 そうでなければメイヴィスが愛用しているティーセットが届けられるはずがない。好んでいる茶葉の入った缶の中には母からのメッセージカードが仕込まれていた。荷物検査を掻い潜ったとは思えないが、それは、確かにメイヴィスの手元にあった。


 ……ごめんなさい、お母様。


 必ず迎えにいきます。と、書かれたメッセージカードは机の上に置いてある。遺書を書くことを止めてしまわないようにと、メイヴィスの背中を押してもらう為だけに置いたのだ。羽ペンが止まってしまう度にメッセージカードを見る。


 それはメイヴィスの希望の光だった。

 家族は信じてくれている。それだけでメイヴィスは前に進める。


 ……生き恥を晒すのならば、私は、死を選ぶ。


 母はそれを望まないだろう。父もそれを望まないだろう。

 メイヴィスを監獄から連れ戻す為だけに足掻いているのかもしれない。それは国王の反感を買わないとも限らない行為だと知りながらも、両親は抵抗をするだろう。


 ……お母様、私のことは忘れてください。私は公爵家の恥晒しとなっても構いません。お二人が健やかに生きてくださるのならば、私はそれでいいのです。この命を絶つことでお二人が罪に問われるような未来をなくせるのならば、それでいいのです。私はそれで幸せです。


 感情のままに書いていく。

 母は遺書を抱き締めて泣くだろう。そのようなことを望んでいなかったと悔やむことだろう。

 それでも、いつか、前を向いて歩いて生きてくれるのならばそれでいい。

 母宛の遺書を封筒に入れ、父宛の遺書の隣に置く。

 次の遺書を書こうと便箋に手を伸ばしたものの、ふと、手を止めた。


「……必要かしら」


 思わず声になってしまう。

 次に書こうとしたのは義弟エドワルド宛の遺書だ。


 ……あの子は殿下の後ろに控えていた。


 メイヴィスが一方的な弾圧を受けている姿を見ていた顔を思い出す。一瞬だけ眼が合った時、エドワルドは肩を揺らしていた。その表情はメイヴィスのことを嫌っているようには見えなかった。


 ……それならば、これはいらないかしら。


 エドワルドはアルベルトの側近として生きる未来がある。その道を歩んでいくのにはメイヴィスが残した遺書が邪魔になってしまうのではないだろうか。


 ……いらないわよね。


 遺書がないことで怒るような義弟ではない。

 メイヴィスはエドワルドのことを思い出す。エドワルドはバックス公爵家の分家筋に当たるアベーレ伯爵家の三男だったのだが、跡継ぎに恵まれなかったバックス公爵家に養子として引き取られたのだ。それはメイヴィスがアルベルトと婚約をするよりも前の話である。


 ……あの子は、泣くのかしら。


 思い出すのは公爵邸にてエドワルドの過ごした日々のことだ。魔法学園へと入学をするまでの二年間はメイヴィスにとって大切な思い出だった。

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